kor

みなみ嶌

ep.1 Bray & Socalo

ep.1-1 ブレイという少年


 穏やかな昼下がり、一羽の白い鳥が蒼海そうかいを映す晴れ渡った空を、風に乗って西へと飛んでいく。


 遠くの空には薄い雲。天上からは爽やかな水色の中で日輪なさんさんと光を降り注いでいる。

 白い鳥は高度を落とし、翼に風を受けながら眼下に見えてきた港町へと近づいていく。


 港には大小の漁船が停泊しており、町の活気がうかがえた。暖色に見えていた屋根の色合いが日に焼けた橙、黄色と、はっきりと視認できる距離で鳥は進行方向を変え、町から西へと迷わず飛んでいく。

 その先、海に近い緩やかな丘陵きょうりょうとりでのような城がそびえている。

 城のすぐ下には白い海岸が広がり、そこでは釣りを楽しんでいる一人の人影が確認できた。

 釣り人のところへ舞い降りてみるのも良いかと、白い翼をひと羽ばたきしてみたものの、距離を縮めて釣り人――男の足元に置かれたかごの中身を確かめた白亜の鳥は方向を変え、その場から飛び去っていく。

 当初からの目的地へと再び進路を取り、一直線に城の大きなバルコニーを目指すのだった。


 そこに行けば、先ほどの釣り人の成果を掠めるよりは上等であろう食事にありつけることを、彼女はよく知っていた。





 城の豪華ごうかな一室。溶けた飴のような繊細な窓枠を持つ大きなガラス窓が部屋の側面から暖かな光を差し入れている。

 部屋の中は落ち着いたボルドー色のカーペットが広げられており、窓と反対側の壁面には重厚なおもむきのチェストが備え付けられている。そのチェストもカーペットと同色の装飾品で飾られており、素人目にも分かる一級の調度品が整然と鎮座ちんざされていた。

 背の高いダークブラウンの棚には分厚い本が隙間なく並んでおり、部屋の奥にはアンティーク調の見事な机が、そこにあるのが相応ふさわしく配置されていた。

 しかし、残念ながらその机の上には高く積まれた書類の山や、ぞんざいに置かれ散らばり重ねられた本たち、その上にも横にもインクや万年筆が転がっており、その価値をかすませている。

 

 その机上の山々の間に突っ伏している一人の少年がいた。

 ぴくりとも動かず、死んだように時を止めている。寝ているわけでもなさそうで、勿論、死んでもいない。

 その少年の髪は積み上げられた書類や本の隙間から差し込んだ光を受け、春の若葉のように淡く輝いていた。その光景は絵画になりそうな完璧な美しさを保っていた。


 そう、彼が地獄からの使者がつむぐような声色で、物騒ぶっそうな言葉をその唇から発するまでは。


「あいつめ、殺すだけじゃまだ足りぬ……」





「ッだあぁっ!あいつはまったくどこへ行ったぁぁ! こんなにたくさん書類を溜めおって!なぁにが『うん、ばっちり片付けてるよ☆』だ! 嘘八百じゃないか!」


 少年は咆哮ほうこうと共にがばりと勢いよく体を起こした。先ほどの沈黙は怒りのためであったらしい。

 少年のはげしい怒りに机の書類が幾枚か床にずり落ちる。それを少年は目の端に捉えると、「ちッ」と舌打ちを挟んで苦々しい表情を浮かべては、また苛々をつのらせた。


「大体、よく考えてみればあいつ、なにか言いながら不自然に口角が上がってたな……。くそ、僕も疲れてたとはいえ、見過ごすとはなんたるていたらくだ……」

 呟きながら滑り落ちた書類の端を掴んだ少年は口の端を歪めたが、グッと強い表情に引き締めなおす。

「しかし、とはいえ! この元凶げんきょうはあいつであることには違いない! 奴め、見つけ次第、いちから側近そっきんとはあるじを助け、補助するものだということを脳味噌に叩き込んでやる……」

「その後は一週間の食事抜きだ……」とか、「ははは、奴のあわてふためく姿が見える、見えるぞ」――等と、独り言を発し続けていたが、カツカツとかすかに窓のガラスを叩く音が聞こえ、少年は呪詛じゅそを吐くのを一時中断する。


「なんだ? 一体……」

 窓辺に近づき、あ、と声をらす。

「すまない、忘れていたようだ。すぐ向かおう」

 少年は先ほどの修羅のような形相ぎょうそうから一変いっぺん、柔らかい微笑びしょうを浮かべる。

 視線の先には、カモメに比べればゆうに二倍はある大きさの白い鳥が、少年に向かい長いくちばしを突き出していた。





 少年は自室から出てすぐ隣の階段を駆け上がり、展望バルコニーの扉を勢いよく開く。

 扉の向こうから差す眩しい光に視界を一瞬奪われるも、全身に浴びる日の光の心地よさにゆっくりと目を開いた。

 バルコニーの欄干らんかんにとまり少年を待っていた先ほどの白い鳥は、少年を確認すると欄干から床へと舞い降りる。


「すまない、無能な部下のことを考えていたらお前がくるのをすっかり忘れていた。……そんな目で見るな、お前だって毎日来るわけではないくせに」

 言いながら少年はふところから小さな布袋を取り出し、中に入っていたものを鳥の周りにいた。


「さあ、どうぞお召し上がりください、と」

 言葉を待たずして鳥は勝手にマメやら、小麦やらをつついていた。

 少年は友人から目を離すと蒼穹そうきゅうの空と、光を受けてきらめく滄海そうかいを見つめる。髪を揺らし、頬をぜる風が心地いい。

 今日は本当によい日だ。きっと城下の民も過ごしやすいはず。


「今日は洗濯物がよく乾きそうだ」

 昔よく母が「こういう日はお洗濯したくなっちゃうわね」と嬉しそうに話していたのを思い出す。そして父があきれた顔で言うのだ――。

 しかし回想はそこで途切れる。

 背後でバルコニーの扉が勢いよく開かれたからだ。


「すみません、失礼を。ブレイ様、ソカロ様がお戻りになられましたのでご一報いっぽうをと思いまして参りました。……ブ、ブレイ様?」


 少年――、ブレイがあまりにも無反応なので兵は不審ふしんに思い、声を掛けた。

 少々の間をおいて、ブレイはご苦労、と一声掛ける。いつもなら、「あの大馬鹿者めがぁ~!」と怒りをあらわにする主君の異変に兵は背中に寒いものを感じた。


――間違いない、今日は嵐だ。

 バルコニーを後にした兵は、扉を閉め、重苦しい気持ちを吐息と共に吐き出した。そして蒼白そうはく面持おももちで強く念じた。


 ソカロさん! 逃げてーーーー!!


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