ロシアの地にて 第二十二話

 倒れている武装集団の一人からスマホを取り上げて、ロシアの緊急電話番号を調べ、警察と救急車に電話をした。電話口に出てもらったのは、ロシア語のわかるヴォルフだったが。


 ほどなくして、建物の傍に何台もの警察車両と救急車両が着いた。

 その頃には圭吾とヴォルフは建物から出て、傍の木立に寄りかかって様子を眺めていた。

 圭吾の目に、タンカで運ばれていく男たちの姿が映る。

 一体、何人、生かせておけたやろか、と思う。


「なぁ。なぜお前は、あいつらをできるだけ生かしておこうと思ったのだ?」


 隣にちょこんと座るヴォルフが圭吾を見上げる。

 タンカからヴォルフへ視線を映し、圭吾は感情の薄い目で言った。


「……なぁ。あの監禁されてた奴らのうち、何人くらいがまともな生活に戻れるんかな」


 圭吾の言いたいことが分からず、ヴォルフは小首を傾げる。

 そのヴォルフのどこか愛らしい仕草に、圭吾はつい小さく苦笑してしまう。


「アリョーシャみたいに、さらわれた奴はいいで。待っていてくれる家族がおる。…でも、そうじゃない奴も多いはずや。……元々浮浪者やったり、親の虐待から逃れるために家出した子やったり、売られた子やったり。親に売られた子なんて、家庭に戻ったところで、親はこう思うやろうな。『良かった、また売れる』って」


 ヴォルフは、言葉に詰まってしまう。

 俯いたヴォルフに構わず圭吾は続ける。


「……俺らがやったことは、自己満足にすぎひんのかもしれへん。……親に売られた子が、助けられたことでまた売られるとしたら……いい迷惑どころか、ほんま……残酷なことしてしもたと思うし。そういうやつらが、運よく大人になれたとして。どんな大人になるんやろな?」


 そこまで圭吾に言われて、はっとヴォルフは顔をあげた。


「あの武装集団……あれも、恵まれない子供たちの行く末の一つだと?」


 圭吾は、こくりと頷くと背を預けていた木から離れる。


「裏の世界で搾取されてしもた子なんて、大人になれてもやっぱり裏の世界でしか生きれへんやつが多いんや。ギャングやとかマフィアやとか、テロリストとかな」


 だから、殺したくなかったんや。と、圭吾は付け加えて歩き出す。

 その圭吾の背中に向かって、ヴォルフが声を上げる。


「それでも。今回のことが契機になって、自分の足で自分の人生を切り開いていけるようになった者もいると、私は思いたい」


 先に行ってしまっていた圭吾が振り返ると、小さく笑った。


「……そうやな」







 女は泣いていた。

 森で子どもを見失ってしまった。

 あの日から、女の時間は止まっていた。

 死のうと思った。でも、なぜか死ねなかった。気が付いたら、自宅で寝ていた。

 もう死ぬ力もなく、ただ抜け殻のように床に座り込んでいた。

 涙も出ない。

 それでも、女は泣いていた。涙もなく、泣いていた。

 ふと、音がした気がした。

 女は顔を上げる。

 ドアが開いた。幻覚を見た気がした。

 女は反射的に立ち上がって、ドアに向かって倒れ込みそうになりながら走り寄った。

 そこに、焦がれていた顔を見たからだ。

「アリョーシャ!」

 女は、その幻覚に抱き着く。もう二度と逃がしはしないと、抱きしめる。

 しかし、それは幻覚ではなかった。

 顔に酷い傷はあったけれど。紛れもなく、温かみのあるその子。

 その子は、満面の笑顔で笑った。

「ただいま! ママ!」

 涙が出た。

 枯れたと思っていた涙が止めどなく溢れていた。

「アリョーシャ。アリョーシャ。帰ってきてくれたんだね」

 アリョーシャは小さな手で母を抱きしめた。

「うん。あのね。オオカミさんがここまで乗せてきてくれたんだよ」

 アリョーシャの後ろで、一瞬、銀色の輝く毛並みと人影を見たような気がした。

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