ロシアの地にて 第二十一話
部屋の入口で倒れた数人の男たちの上を踏み越え廊下に出た時、圭吾の傍の壁がバラララと弾けた。すぐに圭吾は床に前転するように転がり距離を取る。起き上がるとすぐに、狙撃元と思わしき方向に向かって、
相手はすぐに柱の陰に隠れてしまったが、身を隠す直前に見えた残像に見覚えがある。あれは、例の全身タトゥー男だ。森で圭吾にとどめの一発を撃とうとしたあの男だった。
タトゥー男が身を隠した隙に、圭吾も足に力を込めて全力で廊下を駆ける。転がるようにして駆けながら、隣の部屋のドアを体で押し開け逃げ込む。その直ぐあとを追うように、弾丸が飛んで行った。
(あれは、完全に、こちらが見えとるな)
圭吾が応戦しないでいたら、しばらく沈黙が続いた後。足音がこちらに向かってくるのが聞こえた。
何かをロシア語で叫んでいる。Chinkとか言っていた。前にも言われた単語やな、と思い返す。おそらく、蔑称。どうやらタトゥー男は今戦っている相手が、先日監禁して逃げられたアジア系の実業家だと分かっているらしい。
タトゥー男の
タトゥー男は圭吾が潜んでいる部屋の入口横の壁に背を預ける。
まず、ドアに
タトゥー男は、室内が見える程度に横顔だけそっと出して室内を伺った。
照明のついていない室内は、廊下の明かりだけを光源としていて薄暗い。室内には雑多に段ボールやベッドなどが散乱している。
タトゥー男は圭吾が隠れていそうだと思える場所へ
天井付近に取りついていた圭吾が上から降ってくる。
実は、ドアのノブを足場に天井付近に跳びあがって、むき出しになっている配管を掴んで天井付近に隠れ、機会を伺っていたのだ。
重力に任せて落ちる勢いに体重の負荷をかけて、
とんと地面に降りるとすぐに
タトゥー男は声を上げる暇もなく、前倒しに床に倒れ絶命した。
圭吾は顔についた血を手の甲で乱暴に拭い、男の身体を一瞥したが、すぐに次へと向かう。
そうして接触した順にどんどんと倒していき、突入から10分もしたころには一階には立っている人間は圭吾だけになっていた。
圭吾は二段飛ばしで階段を駆け上がって、二階に上る。
二階もちょうどヴォルフが男たちを行動不能にしたところだった。
ヴォルフと合流した圭吾は、一番奥の部屋へと向かう。圭吾が監禁されていた、あの部屋だ。
両開きの扉は施錠されている。
圭吾はヴォルフに頼んで「離れろ」と扉越しに向こうに伝えてもらう。
そして、
両開きの扉は廊下側に開いて開く仕様になっている。
圭吾が扉の取っ手を引っ張ろうとすると、こちらが力を入れるよりも早く向こう側から押された。
20センチほど開いたと思うと、その隙間を縫って中の人が飛び出してきた。
先頭にいたのは、あの圭吾にパンを食べさせてくれた子ども、アリョーシャだった。
歓声をあげて廊下に飛び出すアリョーシャ。
しかし、圭吾の聴覚が別の方向からの足音をとらえる。顔をそちらに向けると、1階で圭吾が行動不能にしたと思っていた男が一人、階段を上ってきたところだった。手には
(やばいっ……!)
圭吾は咄嗟に、たった今自分の脇を通り抜けて行った小さい体を追った。
背中に飛びつくようにして彼を押し倒した後、自分の身体で庇うようにして廊下に伏せた。
バララララララとアサルトライフルの射撃音が耳を劈く。
撃たれたと思った。
しかし、衝撃は何も来ない。
顔をあげると、どこから現れたのか。
目の前に、圭吾たちを銃撃から守るように立ちはだかる大きな男の背中があった。
それは顎髭をたくわえ帽子をかぶったロシアの伝統的な農夫の姿をしていた。
「ドモヴォイ!」
圭吾の声に大男は振り向くと、にっと素朴な笑みを浮かべる。
そして次の瞬間には姿が掻き消え、パラパラとアサルトライフルの弾が床に落ちた。
彼が身を挺して銃撃から圭吾を、というよりアリョーシャを守ったのだった。
ヴォルフが駆けより、
近寄って確かめてみると、男は絶命していた。
安全を確認した後、奥の部屋の扉が大きく開いて捕らわれていた人々が出てくる。歓喜の声を上げている人、複雑そうな表情を浮かべている人、何の関心もなさそうな人……それぞれだった。
アリョーシャも無事だった。
元気にはしゃいで走り回るアリョーシャや他の子どもたちを眺めながら、圭吾は思う。
さっき弾丸から自分たちを守ってくれたものは……家につく先祖霊ドモヴォイに違いない。自殺未遂を起こしたアリョーシャの母が、助けを求めていたあのドモヴォイだ。彼女の願いを聞いて、子孫を守るために来てくれたんだ、と。
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