呪いの日本人形 第六話
店主が渡してくれた手書きの地図を元に、イザは商店街の通りへと戻る。地図に従い、何本目かの横道を曲がり、さらにまっすぐ歩いて行く。大雑把な地図だったので本当にこれで辿りつくのか不安はあったが、その不安はすぐに杞憂だとわかる。
店主に、大きな屋敷だよと言われた通り。
その家は、周りの住宅と比べても明らかに長い塀と大きな門をもつ屋敷だった。
表札を見ると、店主に教えてもらった苗字と同じ名が掲げてあった。間違いない。
両開きの大きな門の横に、小さな通用口がある。イザはその横にあったインターホンを押した。
しばらくの後、はい、と帰ってきたのは落ち着いた女性の声だった。
「突然、すみません。私は、神奈川から来ました田中敬一と申します。実は、私が中古で購入したものに、こちらのものと思われるものが誤って入っていたため、お届けにあがりました」
インターホンは、たっぷり10秒は沈黙したあと、『少々お待ちください』という女性の訝し気な響きを返してきた。
そのままそこで待っていると、通用口が開けられて半分ほど内側に開く。
イザは通用口から覘いた顔に、軽く会釈をした。
中から覘いたのは、和装姿の女性だった。5月というこの季節に合わせたであろう淡緑のあわせの着物を、金糸の刺繍が施された帯で留めている。
歳の頃は、30代半ばから後半くらいだろう。
右の目元にある泣き黒子のある柔らかな双眸は、今は警戒心からだろう、固く強張った視線を突然の訪問者に投げかけていた。
「こちらのもの……ですか?」
イザは、何も言わず、手に持った鞄を目の前に掲げてみせる。
女は、胸元に当てた手をぎゅっと強く握りこんだように見えた。しばし、じっとイザの手に持つ鞄を見つめていたが。
「……どうぞ。こちらへ。お入りください」
通用口の戸を中から押さえて、イザに入るよう促す。
古い造りをしているからだろう、通用口に背の高いイザは頭をぶつからせそうになるが、当たる直前で気づいて僅かに身を屈ませて通り抜ける。
イザが入ったあと、女は通用口の戸をしめて閂をかけると、先に立って進んだ。
着物と同じ淡緑の草履で、白い玉砂利の上を慣れた様子でしとやかに歩いていく。
途中、こちらを振り返って。
「こんな格好で、申し訳ありません。先ほど、お茶のお稽古から戻ったばかりでしたもので」
いえ、と返して、イザも後について行った。
白い塗り壁に囲まれた敷地は広く、一体何棟あるんだろうとイザが不思議に思うくらいに倉や倉庫らしき建造物が並ぶ。その奥に、一際大きな瓦ぶきの日本家屋が構えていた。
その屋敷の前で、女は一度足を止めるとこちらを振りかえり、どうぞとイザに声をかけると中に入って行った。
屋敷は、建ってから優に100年以上は建っているだろうと思われる古いものだった。太い柱や梁は長い年月で黒くくすんでいる。しかしその黒くすみが趣をつくっているのも確かだった。
玄関を上がると、イザは玄関近くの和室に通される。
女がどこかに行ってしまったので、イザは座卓の前に置かれた紫の座布団に座る。
(正座、苦手なんだけど……)
胡坐をかくわけにもいかないので、仕方がない。
しばらく待っていると、イザはふと気づく。この屋敷の中、音がほとんどしない。
自分の衣擦れの音以外は、たまに外の庭をスズメか何かが遊んでいる声が聞こえるだけで、それ以外の音がほとんどしない。
あの女性は、一人でここに住んでいるんだろうか。静謐すぎて息がつまりそうになるほどに、人の気配が感じられない家だった。
しばし後、彼女はお盆を手に戻ってくる。上品な身のこなしで畳に膝をつくと、イザの前に、まだ白く湯気が揺らぐ緑茶の湯呑を差し出た。隣に、お茶請け。
小豆色の羊羹が、鮮やかな朱や青に彩られた艶やかな古伊万里の小皿に乗っていた。
(羊羹も苦手なんだよな……)
何も手をつけないのも悪いかなと思い、とりあえず湯呑を手に取ってお茶をいただいた。
彼女は、お盆を膝においたまま座卓の横に座り、こちらを観察するように見ている。
女性の一人暮らしだったとしたら、知らない男を家にあげたくないだろうなという気持ちは分かる。
が、彼女の双眸に揺れる光は、そんな心配以上に激しく怯えているようにも見えて、イザは訝しく思う。
「それで、こちらのもの、というのは……」
彼女に促されて、イザは彼女の目の前に、持ってきた鞄を置いた。そして、チャックを開けて中の物を取り出してみせる。
あの日本人形を。
ひっ……と女が、息を飲むのが分かった。
元から色白ではあったが、彼女の面差しがさらに蒼白なものになった。
まるで、この場から今すぐ逃げたいというように、手を後ろに身を反らせる。
その日本人形を、女の前に翳して、イザは続ける。
「見覚えありますよね? この人形」
彼女は、狼狽と怯えで今にも叫びそうなほどに表情を硬くし、その人形を凝視した。
「私が購入した古いカラクリ箪笥の隠し小部屋に、この人形が入っていました。この人形が私のところにきてから、ずっと纏わりつかれて困っています。何度、捨てても。戻ってくる。だから、元の持ち主を探していました」
イザは無抑揚な声で、つらつらと続けた。
そして、
「この人形の元の持ち主は、こちらで間違いないですよね。……お返しします」
そう言って、彼女にその人形を受け取らせようと、イザはぐっと人形を女の面前に突き出した。
そのときだった。
「いやっ…………!!!!!!」
右手で強く、彼女は人形をはらった。人形は、軽く畳をこすって転がった。人形のまっすぐな黒髪が畳の上にばらける。
「いや、いやっ……こないで。もどってこないで。いやーーーーー!!!」
彼女は両手をわなわなとさせ、転がった人形を凝視したまま、腹の底から叫んだ。
いまにも、パニックで卒倒しそうだった。
イザは立ち上がると、人形に釘付けになった彼女の視線を遮るように前に片膝ついて背中をそっと撫でる。
「大丈夫か……? 息、ちゃんとした方がいい。深呼吸、できるか?」
彼女の快方をしながら、イザは確信していた。
間違いない。この人形は、この家から来たんだ。
そして、この女も、この人形を捨てようとした。あのタンスに仕舞い込んで、質屋に流すという方法で。
でも、この人形は戻ってきた。この家に。
もしかしたら、俺に人形が纏わりついていたのは、この家に戻るためだったのかもしれない。俺は、まんまと人形に使われたんだ。
イザは、背中に人形の視線が刺さるような気がして、背中を冷たい汗が流れていくようだった。
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