呪いの日本人形 第七話


 30分ほど、そうやって介抱していただろうか。

 灯を消したような虚ろな目で虚空を眺めていた女だったが、ふっとその相貌に光が戻る。

 ようやく、真っ青だった面差しにも、僅かずつだが朱が戻りつつあった。


「もう、大丈夫です……」


 そう力なく呟くと、女はすくっと立ち上がった。

 乱れた着物の襟を正し、すっとイザの横を通って、人形の方に向かう。

 女の後を追うように視線を巡らせてイザは後ろを振り返る。彼女は人形の傍に身を屈ませると、そっと人形を手に取った。

 それはまるで赤ん坊を抱き寄せるような仕草だった。大事そうに抱きかかえると、手櫛で黒髪を梳いて髪の乱れを整えてやる。


「そうです。この人形は、たしかに我が家にあったものです」

 

 女の表情は能面のようで、一切の感情が消えているようにも見えた。


「こちらに、来ていただけますか」


 そう言ってイザを一瞥すると、女は人形を抱いたまま、客間を出てすすっと廊下を歩いて行った。

 イザは、なんとなく嫌なものを感じつつも、大人しく女の後について行く。


 彼女は玄関で草履をはくと、屋敷の外に出た。

 そして、屋敷に隣接するようにたてられていた平屋の方へと向かう。

 その平屋には鍵がかけられていた。不思議なことに、そのカギは一つではない。

 元から平屋の引き戸につけられている鍵穴の他に、後付けで3つ鍵がつけられている。

 それを、女は帯の中から出した鍵で開けていく。


 最後の一つの鍵が開き、彼女は引き戸をガラッとひと息に開けた。

 女の背後にいたイザは、引き戸の向こうにある光景を見て、息を飲んだ。

 引き戸を跨ぐとすぐに靴を脱ぐためのタタキがあり、その奥は一部屋のフローリングになっている。

 そのフローリングの奥。壁一面に、ひな壇のような3段の祭壇のようなものが置かれており。

 そこに、20体ほどの日本人形が置かれていた。


 女は慣れた様子で草履を脱いでフローリングに上がると、祭壇の真ん中、ちょうど開いていたスペースに抱いていた日本人形を置いた。

 おそらく、元々その人形はそこに置かれていたのだろう。

 夕ぐれの長くなった赤い日が室内に差し込み、物言わぬ日本人形たちの顔を朱に染めていた。


「……これ、は?」


 そう声を絞り出すのが、精一杯だった。

 しかし、女はイザの問いには答えず、戻した人形の黒髪をそっと撫でた。まるで幼子にするように。


「やっぱり……帰ってきて、しまったのね」


 彼女は傍らにある小箪笥から櫛を取り出すと、一体ずつ優しく髪を梳き始めた。

 丁寧に丁寧に、髪をすく。一体が終わると、その横の一体を。それが終わると、さらにその横の一体に。黒髪に、落ちかけの日の光が一層艶やかに映える。

 髪を梳きながら、彼女は背後にいるであろうイザに、ぽつりぽつりと呟いた。


「おかしいでしょう? この人形たちを、こうやってお世話するのが。この家を継いだ女の仕事なんです」


「お世話?」


 得体のしれない不安で落ち着かない心持だったイザだったが、女がこの部屋から離れようとしないので、この場から離れられずにいた。

 一体でも不気味だった人形が、20体以上揃うと不気味さが一層強くなる。禍々しさすら感じるほどに。

 イザの問いに、女は人形の髪を梳きながら、こくんと頷いた。


「ええ。毎日、一人ひとりに朝晩の二食を供えて、髪をとかし、顔と手足を拭き。おしろいをつけて、口に紅をさしてあげる。1年に一度は、着物をつくりかえてあげる」


 たしかに、どの人形も新しそうな赤い着物を着ている。


「そうやって、もう300年も人形たちをお世話しつづけてきたんです。この家は」


 この人形たちのお世話をするのが、この家の女たちの大事な役割だったんです。と、女は付け加えた。


「でも……なんで……?」


 当然の疑問を、イザは返す。

 まさか、祖先が人形コレクターだったとか、そんな呑気な理由ではなさそうだ。


「……この家は代々、庄屋をしておりました。年貢の取り立てなどもしていたようです。それで、大飢饉の際、食うに困った地元の農民たちが一揆いっきをおこして、この家の米倉を襲ったことがあります。その者たちは捕まり、全員が処刑されたそうです」


 人形の髪を梳きながら、女は続ける。


「その直後から、この家の者が病や事故で次々と亡くなったりと不幸が続き。これはきっと、あの一揆をおこした農民たちの呪いなのだろうということになりました。一揆で処刑された人の数だけこうやって人形を作り、大切に養うことで呪いを鎮めてきたのです」


 女は人形の一体を赤子のように抱き上げると、髪を優しくなでた。人形に落とされた視線に、もう恐怖はなく。あるのは、絶念の情のようにも見えた。


「ですので。この人形たちを養うことが、この家に課せられた償い……なんだそうです。ここまでしても、この家の男は代々早世です。私の夫も、若くして事故でなくなりました。高校生の娘がおりますが、この家が嫌だと言って、いまは私の実家がある九州で私の両親と暮らしています」


 この償いをやめてしまうと、この家は断絶すると言われているんですよ。そうなったら私も娘もどうなるのでしょうか。と、女はかすれた弱い声音で、小さく笑った。

 だから…やめられないんです。と。


「でも。私も、一人で人形を守って養い続けることに、もう耐えられなくなってしまって。300年も続けたんですから。もう、いいんじゃないかと思って。呪いなんて、気のせいだと思い込んで。それで、何体かを手放したんです」


 ひとつは、事情を知らない人に何も告げず譲り渡し。

 ひとつは、遠くの町に出掛けて、公園のベンチに置いてきて。

 そして、ひとつは、家にあったカラクリ箪笥に隠して売りに出した。


「でも、今日、この子が家に戻ってきて。これで、全ての子が戻ってきたことになります」


 やはり私たちは逃れられないんですね。と呟いた最後の言葉が、いつまでもイザの耳に残っていた。

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