呪いの日本人形 第三話


 京浜東北線の上りで20分ほど電車に揺られる。

 車内は、満員というほどではないが、座席はすべて埋まり吊革や入口に立つ人もほどよくいる程度の乗車率。

 イザはドアの脇スペースで掴み棒に背を委ね、窓の外の夕闇を眺めていた。が、意識は足元に置いた鞄から離れられない。

 その中に、あの人形が入っていた。

 駅に電車が止まるたびに、このまま鞄ごと置いておけば人形とおさらばできるんじゃないかという誘惑にかられる。

 自分の身元に繋がるようなものは何も鞄には入っていないから、自分のもとに帰ってくることは通常では考えられない。


(……いや)


 こいつは通常で考えられる存在じゃない。現に、なんで俺の自宅にまでついて来やがったんだ、こいつは。

 どこまで逃げても、逃げ切れないような気さえして益々憂鬱な気分になる。

 HPで確認した寺の営業時間終了時間にはまだ30分以上あるから、このまま行けば充分間に合うだろう。


 電車は車輪を軋ませて、目指していた駅に滑り込んだ。降りる客が一斉にホームに吐き出される。一瞬躊躇ったが、イザも鞄を持ち上げると人の流れに交じって電車を降りた。

 持ち上げた時、ごとっと鞄の中で中身が転がった気がした。

 もしかして鞄の中で動いてんのか?と想像すると猶更気味悪く、イザは神社に向かう足をさらに早める。

 北口から出て坂を上る。そこのバス停からバスに乗り、四つ目のバス停で降り。

 国道沿いに歩いて行くと、目的の寺が見えてきた。


「ここだ……」


 都内にしては大きな寺だった。営業時間終了間近ではあったが、境内にはまだちらほら参拝客の姿が目に付く。

 境内を奥に行くと、本殿の傍に受付が置かれていた。

 白布を被せた長テーブルの上に置かれたトレーの中に、申請書がある。

 それに書いて人形と一緒に出さないといけないらしい。

 申請書には、人形供養用の他にも、水子供養用などもあった。


(へぇ……俺も、水子供養しといてもらった方がいいのかな……)


 なんて身に覚えもなくはないので、ちらと思ったが。今回来たのはそれが目的ではないので。

 人形供養用の申請書を手に取り、必要事項を置いてあったボールペンで書き入れていく。

 もちろん名前や住所は偽名だったが。普段いくつかの偽名を使い分けていたが、一瞬迷ったあと一番よく使う、田中敬一という名前を書き込んだ。

 その申請書と一緒に人形を受付の人に渡せば、それで全て終わるはずだった。

 鞄の中から人形を出そうと思い、申請書を書くために足元に置いていた鞄を取り上げる。


(あれ……?)


 嫌な違和感。

 鞄が妙に軽い。


(え……!?)


 おかしい。急いで鞄を開けると、その中にさっきまで入っていたはずの人形は、跡形もなく消えていた。


(……どういうことだよ)


 電車を降りるとき、バスを乗り降りするとき。鞄を持ち上げるたびに、その中に人形の感触と軽いながらもそれなりの重みは感じていた。

 ついさっきまで、確かにこの中にあったはずなのだ。


(え? 落とした!?)


 鞄をひっくり返してみるが、穴のようなものはどこにも見当たらなかった。




 釈然としないものを感じながらも、まぁ、無くなったんならそれでもいいやと思いなおして、イザは家路についた。

 自宅マンションのエレベーターを降りて、一直線の廊下を歩いている時。イザは異変に気付いて足を止める。

 廊下の真ん中あたり。

 そう。ちょうど自分の家のドアがあるあたりに。ドアに立てかけるようにして。

 それは、あった。


(…………!)


 ちょっと待てよ。勘弁してくれよ。と思わず声が漏れた。

 軽口とは裏腹に、胸の内は激しい動揺と戦慄で乱れていた。心臓の鼓動が大きく打ちはじめる。

 目を凝らさなくてもわかる。

 あれは。

 あの自分の家の前に置かれたあれは、紛れもなく。

 人形の形をしていた。

 イザは蛇に睨まれた蛙のように、動けなくなる。


(なんでだよ。俺、ちゃんと持って出ただろ? 駅降りるときも、アレはちゃんと鞄の中に入ってたのに)


 イザの鞄に入っていた人形は、いつの間にか勝手に鞄の外に出て、独りでイザの自宅まで戻ってきたとでもいうのか。


「ああ……くそっ」


 どうしていいのかわからなくなって、イザはその場にしゃがみ込むと頭を抱えた。

 どうやったって逃げられない。そんな絶望に押しつぶされそうになる。

 と、そのとき。

 何の前触れもなくイザの自宅のドアが開いた。

 スコーンと、人形は廊下に吹き飛ぶ。


「あ……」


「あれ? なんか今、跳ね飛ばした?」


 ドアから顔を出したのは、紗夢だった。


「あ、イザ。お帰り。出かけてたんだ? ……どうして、そんなところにしゃがみ込んでるの?」


 イザは小さく嘆息して立ち上がる。張りつめていた空気が、一転して、いつものものに戻った気がした。

 心の中で、娘にグッジョブと呟いてから自宅の方へと歩いて行く。


「いや……助かった」


「へ…?」


 紗夢はきょとんと、イザを見上げる。


「塾行ったんじゃなかったのか?」


「ああ、一回行ったんだけど。ノート忘れたの思い出して取りに帰ったの」


「そうか……」


 イザは自宅のドアの前を通り過ぎ、ドアに跳ね飛ばされて転ぶ人形のところまで歩いて行き、人形を掴み上げた。

 既に、先ほど感じたような動悸は、すっかり収まっていた。

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