呪いの日本人形 第二話


 普段イザは、夕方から明け方にかけて仕事をして早朝に帰宅し、朝に娘が学校に行ってから数時間眠るという生活をしている。

 しかし、この日はもうそれ以上仕事する気になれなかったので、夕方早々に自宅に戻ってきていた。


 自室のベッドに転がって音楽を聴きながら、腕時計の専門雑誌を眺めたりしてダラダラ過ごす。

 煙草に手を伸ばそうとベッドの脇に置いたサイドテーブルに手を伸ばしていたら、コンコンと部屋のドアがノックされたため慌てて手を引っ込める。寝たばこはダメだと言われていたのを思い出したからだ。

 ガチャとノブが回され、開いたドアの隙間から娘の紗夢じゃむが顔を出した。


「あれ? イザ。今日は家にいるんだ。珍しいね」


 玄関にイザの靴があったので、もしかして家にいるのか確認したくて覗きに来たらしかった。


「……ん。ちょっとな。なんか、疲れた……」


 寝転がって雑誌に目を落としたまま、力なく答えるイザ。


「……また、風邪ひいたの?」


「いや、そういうわけでもないんだが……」


 娘は、ふぅんと少々疑わし気な視線で父を見やった。

 大概この人は、無理しすぎてよく体調を崩すのだ。ケガをして帰ってくることも、日常茶飯事だし。

 娘は父の職業を、くわしくは知らない。ただ、あまり全うな仕事ではないらしいことは薄々感づいてはいた。

 イザの様子を眺めて、とりあえずケガとかしてないんやらいいや、と思いなおす。


「んじゃ、私、これから塾行ってくるから」


「……送ってこうか?」


「バイクで? ううん、いいや。ちょっと塾が始まる前に、本屋さんにも寄りたいし」


「……そうか」


 それじゃ、行って来ますとイザの自室を出て後ろ手にドアを閉めようとした紗夢じゃむの手がとまり、あ、そうだと呟くのが聞こえた。

 もう一度ドアを開いてイザの前に顔を出すと、娘は。


「これ。玄関のドアの前に落ちてたけど。誰かが落としたのかな?」


 娘がイザの前に差し出したものを見て、イザはベッドから飛び起きた。勢いで、背中が壁にぶつかり痛みが走るが、そんなこと気にしていられない。


「え……どうしたの?」


 イザの青ざめ強張った顔をみて、驚く紗夢じゃむ

 紗夢じゃむの手には、一体の日本人形があった。

 着物の柄からいって、間違いない。

 あの、日本人形だ。


「……ど、どうしたんだ、それ」


 喉がカラカラになり、言葉がでない。ようやく、絞り出した言葉がそれだった。


「え?」


 紗夢じゃむは人形を抱き上げて、眺める。


「私が学校から帰ってきたら、玄関のドアに凭れかかるように置かれてたの。可愛いよね、このお人形。綺麗な顔してるし。高価なものなんじゃないかな。落とし主、探してるかしら。マンションの掲示板に張り紙でもしとく? 落とし物ですって。それで、持ち主が見つかるまで、うちに……」


 と言いかけた紗夢じゃむの言葉を、イザの声が遮った。


「だめだ!!! 」


「……なんで?」


 イザがなぜそこまでこの人形を拒絶するのかがわからず、紗夢じゃむはきょとんと不思議そうにイザを見た。

 青緑の双眸でキッとイザはその人形を睨むと、ベッドから勢いよく立ちあがって紗夢じゃむの手からその人形を取り上げた。


「……あ!」


 手荒に取り上げられて、紗夢じゃむはむすっと不服そうにむくれる。


「なんでよ。いいじゃない」


「ダメだ。絶対ダメ。人形が欲しいなら、今度、買ってやるから。コレは、絶対ダメ」


 ふーん、じゃあ、いいや。いってきまーすと、紗夢じゃむはまだ少し名残惜しそうにしながらも部屋を後にする。

 娘の足音がしだいに遠ざかり、玄関のドアが閉められて外から施錠された音が耳に届くのを確認してから、イザはようやく娘が出て行ったことにほっと胸を撫で下ろした。

 娘をこの妙な事態に巻き込みたくはなかったからだ。


 さて、と。

 忌々しげにイザは手の中にある人形を見下ろした。


(俺に、ついてきた……のか……?)


 想像しただけで、絶望的な気分になる。

 なんだよ。なんで俺につきまとうんだよ。


(俺、何にもしてないだろ!? ……捨てたけど)


 このままでは、何度捨ててもこの人形は自分のところに戻ってくるように思えた。


(どうすりゃいいんだ……)


 明らかに、呪われた何かとか、霊的なものとか、そんなものなんだろうと思う。

 知り合いに霊能者でもいればすぐに相談するのだが、生憎そんな便利な知り合いに覚えはない。

 少し考えてから、イザはスマホを取り出すと、アドレス帳から架電した。

 スマホを耳に当てると、呼び出し音が聞こえる。何度か呼び出し音を繰り返しても、相手は出ない。ダメか…と諦めかけたとき、はい、と声が帰ってきた。


『イザか? どないしたん?』


 若干高めの声音の関西弁。御堂圭吾みどうけいごだった。


「圭吾。助けてほしい」


 我ながら、若干泣きそうな声をしてた気がするが、今はそれどころではない。


『……へ?』


 イザは、今日あったことを手身近に圭吾に話した。

 圭吾は、うーーん……と唸ったが。


『お前、めっちゃ不安そうな声しとるで。ほんまに大丈夫か?』


「……一応」


『そういやお前、ガキの頃、テレビの心霊特集とか怖がって見れへんかったもんなぁ』


 なんてケラケラ笑う声が電話の向こうから聞こえてくる。


「そういうどうでもいいことは、今はいいから」


 さりげなく昔の恥ずかしい話を蒸し返すんじゃねぇと思っていると、圭吾は声のトーンを真面目なものに戻し、人形供養してくれる神社か寺に持っていけばいいと教えてくれた。


『お前んちから近い、人形供養で有名な寺社をいくつか見繕ってアドレス送っとくから。そこに持ってって、御炊き上げしてもらえ。一緒に行ってやれたらええねんけど、すまんな、今仕事でちょっと遠いところにおんねん』


「どこにいるんだ?」


『ロシア』


 ロシアか……遠いな……。すっとイザの目が細くなる。

 どうやら、自分一人で対処しなきゃならないらしい。

 わかった。ありがとう。と電話を切って、しばらく待っているとスマホに圭吾からのデータが届く。

 一番近そうなのは、イザの住むマンションの最寄駅から乗り換え一つで20分ほどでつける場所にある寺だった。

 その神社への行き方を確認すると、イザは部屋にある適当なバッグに人形を無造作に詰め込んで、足早に家を出た。

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