近しき神 第八話



 拝殿の縁に座る、一匹のニホンオオカミの姿。

 大口真神。

 その古くから人々に慕われてきた神は、穏やかな表情で二人を見やる。

 幼子をみるような慈愛にみちた目だった。


「あ……」


 圭吾は、驚きで息をのんだ。

 イザも、言葉が出ない。

 優しく、しかし凛とした威厳。

 その姿の周りに、きらきらと輝く金粉のようなものを纏っていた。

 見竦められて、二人とも動けなかった。




 ナニヨウダ……




 声が二人の脳裏に響く。


「そうや、言わなきゃ……」


 その神々しい姿に見入ってしまっていた圭吾は、本来の目的を思い出して、その古き近しき神の前に進み出る。

 そして、持ってきたご神体を前に置くと、両膝をついて、必死で言葉を発した。

 貴方を、自分のところで祀らせてほしいこと。その代わり、御堂家一族が引き受ている呪いを昇華させる手伝いをしてほしいこと。

 圭吾が話している間、大口真神は、縁の上から、ただじっ……と圭吾を見ていた。


 圭吾の話が終わる。

 話してしまった後、失礼なことを言っていなかっただろうか、怒らせてしまってないだろうかと、圭吾は急に不安になって、おそるおそる大口真神の様子をうかがった。

 もし怒りを買えば、この場で即、祟られてもおかしくはない。

 祟られれば命はないだろう。

 緊張で、ごくりと圭吾は唾をのもうと喉を鳴らすが、口の中はカラカラだった。


 大口真神は、圭吾の心の内を見透かすかのように、ただただ静かに圭吾を見ていた。

 そして、顔を上げると、もう一度、




 うぉぉぉぉぉぉぉぉ……んと、遠吠えをする。




 遠吠えの声が山々に木霊した。

 遠吠えの余韻が消えた次の瞬間。

 境内に、沢山の人の姿が見えた。


「……!」


 イザと圭吾は、驚いて辺りを見回す。

 境内いっぱいに、人の姿。露店らしきものの姿も見える。

 それは、まるで夏祭りかなにかの光景のようだった。

 人々はうっすらとしていて、向こう側の景色が透けて見える。足は草履で、着ている服も、粗末な和服のようだった。

 でも、人々の表情は明るくて。ほがらかで。楽しげで。

 声は聞こえないけれど、楽しそうに談笑したり、歌ったり。子どもたちがはしゃいで走りまわったり。


 それは、かつての記憶。

 この神社に、まだ沢山の人が訪れていたころの、古い記憶の中の光景だった。

 やがて人々の姿はおぼろげになっていき、いつの間にか景色に溶け込んで消えてしまった。




 ショウチシタ……




 二人は、確かにその声を聴いた。

 拝殿を見ると、既に大口真神の姿はそこにはなく、ただ古ぼけた拝殿が夕闇の中に静かにたたずんでいるだけだった。






 圭吾の話によると、後日、神職を連れてきてその場で正式な合祀の神事を行ったということだった。






 神社から戻ると、次の日から二人は再びそれぞれの日常に戻った。


「……感想、言っていい?」


 娘に、初めて作ったというハンバーグを食べさせられていたイザは、目の前に座る娘にすまなそうに言う。


「うん。どうぞ」


「……塩からすぎて、これ以上食えないんだけど」


 イザの感想を聞いて、娘は大きくため息をつくと、ダイニングテーブルの椅子から立ち上がって無言で行ってしまう。

 ばたん、と娘の自室のドアが音を立てて閉まった。


(……なんて、言やあ、良かったんだよ……)


 困まり果てて頭を掻くイザだった。この世で、娘ほど扱いに困るものは存在しないんじゃないかという気さえしてくる。


(昔は、可愛かったんだけどな……)


 いや、まぁ、今も可愛いんだけど。かつての無邪気だった頃の幼い娘の姿がちょっと懐かしくもあって、イザはダイニングテーブルに頬杖ついたまま溜息をもらすのだった。




 第一章 完

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