近しき神 第七話


 圭吾は準備があるというので、民家を後にすると一旦二人はホテルに戻った。

 そして、翌日改めて、そのご神体をもって神社へと向かう。時刻は夕方。もっと早く行ったらどうだ?とイザは申し出てみたのだが、圭吾は黄昏時から日の入りあたりの時間帯が、不浄なものを呼び出すのにはちょうどいいと言うので、この時間になったのだった。

 ご神体を持ってきたからだろうか。階段の登り口にある鳥居をくぐった時から、一昨日来た時とは明らかに違う空気をイザも感じていた。

 空気が、重い。息がしづらいほどに、重い。

 そして、ひんやりと冷たい。

 鳥居をくぐる直前まで聞こえていた、木々のざわめきや鳥の鳴き声が、鳥居をくぐった瞬間からぴたりと止んでいた。

 二人が階段を上る足音しか、音がするものがない。いや、その音すら、どこか遠くで聞こえてくるように朧に聞こえる。


 境内についた。

 イザは、ぞっとするような身震いを感じて思わず両手で体を抱いた。

 押しつぶされそうな空気は、さらに重さを増し、絡みつくような粘度すら感じる気がした。

 本能が、このままここに居てはいけない。早く出なくてはと、警鐘をならすのを感じる。


「ちょっと、そこで待ってて」


 圭吾は肩にかけていたバッグと竹刀袋をイザの傍に置くと、手に持っていたものだけ携えて拝殿の裏へと向かう。

 圭吾が持ってきたのは、おひつに入れた白米。一応、郷土資料館の資料に書いてあったとおり、人の手は触れないように洗ってきたものだ。

 圭吾はそれをもって、神社の境内の裏手に回る。


「たぶん……ここ、ちゃうかな」


 裏手の雑木林の中。少し下がった窪地があり、その窪地の上にごく小さな祠が置かれている。

 その窪地のところにおひつをおいて、圭吾は手を合わせた。

 そして境内で待っていたイザのところにいくと、イザの足元に置いていた自分のバックを手に取り中を探

 る。取り出したのは、薬莢の箱。中身が入っているので、ずしりと重い。


「はい。お前、どうせ9ミリパラやろ?」


 薬莢の箱を、イザに押し付けるようにして渡す。

 手に渡された薬莢を見て、イザは怪訝そうな顔をした。


「自分でも用意してきたけど?」


 圭吾は自分の竹刀袋を開けて中から細長いものを取り出す。中から出てきたのは、一本の日本刀。竹刀ではない、鞘に入った真剣だった。


「それは、清めてあんねん。この刀もそうやけど。清めてあった方が効果が高いやろうから」


「……そもそも、不浄のものだか神様だかなんだかに、物理攻撃って効くのかよ」


 イザも肩にかけていたボディバッグを開けて、自分の銃を取り出す。銃身の横にある小さなボタンを押してマガジンを出すと、中に入れていた薬莢を圭吾から渡されたものに交換してみた。見た目は、普通の薬莢とまったく変わりはなかった。


「結構効くらしいで。邪を払うのに刀や剣を使うのは神道でも昔からよくあるし。弓の弦の音ですら、効くっちゅう話もあるくらいやから」


 圭吾は右手で刀の柄をもち、ゆっくり持ち上げるようにして鞘から刀身を抜く。

 黄昏時の赤い夕陽が、静謐な鋭さと美しさを纏う刃に零れるように流れた。柄を握りなおすと、刀身に圭吾の顔が映りこむ。その顔は、血の滾りをうつしてか、暗く笑っているようだった。


 イザも銃にマガジンを差し込んでトリガーに指をかける。今回持ってきたのは、シグザウエル&ゾーン社のP226 。精度と安定感が持ち味の、最近気に入っている銃だった。


「ちょっとこれ、持っといて」


 圭吾はイザに刀を差しだす。左手に銃を持ち帰ると、イザは右手に刀を受け取った。


「準備はええか、イザ」


 圭吾に聞かれて、イザは頷く。

 イザが頷くのを確認して、圭吾は少し笑うと。

 すっと真顔になり、拝殿に向かって手を合わせた。

 柏手を二回打つ。

 そして、両手を合わせて目をつぶる。


「ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ、いつ、むぅ、なな、や」


 音のない境内に、圭吾の声がよく響いた。


「ここの……とぉ」


 それは、数え言葉ではない。祝詞だった。

 いにしえの時代から伝わる、古い古い言葉。

 神々の時代の言葉。

 圭吾の声が終わった、あと。数秒の静寂があった。

 心臓の鼓動が、やけに大きく聞こえてくる。


 次の瞬間、粘度を帯びていた空気が拝殿の方に引き寄せられているような空気の流れを感じたかと思うと、足元で空気の爆発が起こったような急激な上昇気流が発生して二人の体を激しく揺さぶった。


「くっ……」


 地面から沸き起こる、まるで空気が圧縮され放たれたような激しい気流の流れが、草木を嵐のように翻弄し小枝を打ちふるった。

 その嵐のような風の中、うぉぉぉぉぉぉぉ………んという低く腹の底から震わせられるような咆哮が響いた。

 風が通り過ぎ、再び静けさが戻った境内。


 しかし。

 二人の視線が、拝殿の上に釘付けになる。

 拝殿を潰さんとするかのごとく、そこには巨大な黒い影が現われていた。

 その影が、もう一度咆哮を上げる。

 鼓膜が、びりびりする。

 拝殿を覆いつくすようなその影は、拝殿よりもさらに数メートル嵩がある。犬のようなオオカミのような輪郭を作る黒い影。しかし、その輪郭は境界があやふやで、はっきりとはしない。

 わずかに形を変えながら、その影は拝殿の上に前足をかけて、こちらに襲い掛かってこようと身を低くする。




 サビシイ……イナイ……イナイ、ドコニモイナイ……ナゼ、ミナイナクナッタ…………………





「なんだ、あれ」


 イザの問いに、圭吾は影から視線を離さず口早に答える。


「ご神体に祀られてた神は、長い間人間に捨てられたことで、負のエネルギーを溜め込んでた。負のものは、負の物を呼びよこせる。そうやって集まってきた負のものが固まって、神を取り込んでしまってんのや。本物の神様を引き出すためには、あの周りにまとわりついてる不浄な影を排除するしかない」


「……やることは、わかった」


 一度、圭吾がイザを振り返って、にっと口端で笑んだ。

 それが、合図だった。

 イザは圭吾に向けて預かっていた刀を投げた。それを圭吾は受け取ると、地面を蹴って走り出す。

 イザもすぐに銃を両手で構えて前に掲げ照準をつける。

 向かってくる圭吾に、影のあちこちから触手のように影が伸びて圭吾を捕まえようと迫った。

 それを圭吾はその類まれな運動神経で素早く避けていくが、全てを避けきれるわけではない。

 掴まれると、思った瞬間。影の触手が怯んだ。

 イザが弾を撃ち込んだのだ。


 圭吾は、数々の迫る触手をものともせず、刀を下に持って駆けていく。

 圭吾に触れそうになる触手は、全てイザが撃ち落としていた。

 撃ち尽くしても、すぐに古いマガジンをするりと落として新しいものを装填し打ち続ける。

 イザがトリガーを引くたびに、銃身から薬莢が跳ね出し、横に転がった。

 イザは、まるで圭吾の動きが全てわかっているかのように、圭吾が動く先の触手を弾丸で弾いていく。

 

 圭吾も、イザが撃ち落としてくれるのを信頼しきっているように、速度を落とすこともなく拝殿の前まで向かっていく。

 拝殿の脇にあった狛犬を足場に飛び上がると、圭吾は影の左前足のようなものにとりついた。

 それを見計らって、イザが圭吾の乗った腕とは反対のもう一本の前足に数発銃弾を撃ち込んだ。

 イザの銃撃の衝動に、影は打たれたところを庇うように縮まる。その反動で、圭吾が乗った方の前足が跳ね上がった。

 それを待っていた圭吾は上げられた前足を駆け下りて、刀を両手でしっかりと掴むと、影の頭部に向かって深く斬りつけた。



 うぉぉぉぉぉぉぉ…んと、呻き声のような咆哮が響き渡る。



 圭吾は影の頭部から刀を抜くと、影の背部に飛び降りる。そして、体を空中で反転させると、全体重をかけて影の背中を切り裂きながら地面まで着地する。

 一際大きな咆哮が響いたかと思うと、影が一瞬大きく膨らんだように見えた。

 一瞬あと、影を中心に空気の爆発がおこる。

 激しい突風の中、圭吾は必死で地面にしがみつき飛ばされないように伏せる。






 そうやってしばらくしていると。身体に当たる風圧が、ふいに途絶えた。

 圭吾は顔だけあげて、辺りを見回す。

 音が、戻っていた。

 ちちちちという鳥の鳴き声、葉のざわめき。いつも通りの音が、辺りに戻っていた。

 あの嫌な威圧感のある空気も、すっかり消えている。


「……散った……か?」


 のっそりと体を起こして立ち上がり、服に着いた葉や泥を手で払い落とす。

 拝殿の表に回ると、まだ銃を握ったままのイザもそこにいた。


「……これで、いいのか?」


 無事な様子の圭吾を見て、イザもほっと表情を緩めながら聞く。

 そのとき。




 わおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ………ん。




 すぐ間近で、犬のような遠吠え。

 弾かれたように二人が遠吠えがした方を見た。

 拝殿の縁の上。

 そこに、いつの間にか、一匹の赤犬が座っていた。……いや、それは先ほどスマホで見た画像と同じ。

 ニホンオオカミだった。




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