近しき神 第五話
二人は拝殿を出る。日が暮れると境内を取り囲む木々が、覆いかぶさってきそうなほど鬱蒼として見えた。
「今日はこれまでにして。神社の名前もわかったことやし。明日、町の図書館にでも行って調べてみようや」
「ああ……」
二人は境内を後にして、階段を下っていた。
先ほど、圭吾が「怖い」と言った言葉がイザの胸中に思い起こされる。
たしかに、怖い、と思う。
日が暮れる前は、そうでもなかったが。
日が暮れてしまうと、あたりには星明りと、圭吾が手に持つ懐中電灯しか明かりがないため周りはほぼ闇といってもいい。
満月であればまた違うのかもしれないが、あいにく今日はごく薄い月が天空にあるだけだ。
すぐ後ろに何者かが近寄っていても、分からない不気味さ。
突然手を引っ張られたとしても直前まで気付かないであろう暗さ。
都会の生活しか知らず、夜でも常に何かしらの明かりがあることが当たり前になっているイザには、この漆黒の闇はなんだかやたら気持ちを不安にさせた。
闇の暗さに耐えきれず、イザはポケットに手を突っ込んで煙草を咥えると火をつけた。煙草の先の仄かな火の明かりですら、どこかほっとする。
街の灯の明るさが無性に恋しかった。
二人は階段を下りきり、舗装された道路を下っていく。
道の両側に見えていた廃屋も、今は闇の中に紛れて輪郭すら見えなかった。
しばらく、歩いたとき。
イザは突然、何かの気配を感じ、びくりと足を止めて振り返った。
イザが今歩いてきたところ、5メートルほど後ろを何かの影が横切った。
「……!」
思わず、闇に目を凝らす。
それは、中型犬くらいの大きさの四足の動物のようだった。道路を横切っていく。
道路を渡り切る直前で、それは一度足を止めて、イザの方を見たようだった。
(……赤い……毛? 野良犬か……?)
なんだ、野良犬か。驚かせやがってと思って、内心安堵する。
その犬らしきものは、道路を渡り終えると、小高くなっている路肩の段差をよじ登りその上でもう一度こち
らを見下ろした後、向こう側へと消えていった。
「どうした?」
イザが立ち止まったことに気付いた圭吾が、懐中電灯の光をこちらに向けてくる。
闇に馴染んだ目に急に強い光を当てられて、イザは目元に手をかざして光を避けながら。
「いや、なんか犬がいた」
「へぇ…野良犬、かな。それとも、タヌキでもおったんやろか」
圭吾は懐中電灯であたりを軽く見まわす。民家の門がすぐ間近に見えた。
既に犬らしきものの姿はどこにもない。
圭吾は首を傾げると、懐中電灯を再び前方に向ける。
「さぁな……」
二人は車があるところまで戻ると、市街地の方へと車を走らせた。
イザは、何か引っかかるものを感じつつも、気のせいかと思いなおした。
その晩は、適当なビジネスホテルで休むと、翌日。
ホテルのスタッフに教えてもらった郷土資料館へと出向く。
郷土資料館で、郷土史や地理の書物を中心に漁ってみた。
途中、気が付いたら圭吾は今回のこととは関係なさそうな地元の風俗や祭りの文献を熱心に読み込んでいて、怒ったイザに頭を叩かれたりもしたが。
「あ、あったあった。ここや」
圭吾の指し示す文献を、イザも横からのぞき込んでみる。
それは長原神社でかつて行われていた神事について書かれたものだった。
当時。毎月一回、人の手に触れないように洗った米をおひつにつめて、境内のとある場所に置く。1か月後に見に行くと、おひつだけが残され米は消えている。そして新しい米を再び置いて行く。そんな神事だった。
「なんだこれ」
「これで、はっきりしたわ。あそこに本来祀られてたのは、大口真神や」
「おおぐちまかみ?」
圭吾は頷く。
「つまり、オオカミや。あの神社では本来はオオカミを祀ってたんや。米を置くっちゅう神事は他の大口真神を祀ってる神社の行事として見たことがある」
「オオカミ? オオカミって、……あのオオカミ?」
イザは、動物園にいる灰色の大きなオオカミを思い出して、きょとんと圭吾を見た。
「いや、お前が想像してるのは、だいたいわかるけどな。それちゃうんや。お前、知らんのか? この国にも、オオカミは生息してたんやで。ニホンオオカミっちゅうやつがな。もう、ずいぶん前に絶滅してもうたけどな」
「でも、……なんでオオカミ?」
「オオカミ信仰はな、かなり大昔から行われてたらしい。特にこの北関東では、盛んでな。元々、オオカミは大神と書いてオオカミと読んだんや。それが、いつしか狼っちゅう漢字になったけど。この漢字を見てもわかるように、ケモノヘンに良いと書く。日本人は古来からオオカミを良いものやと思ってきたんや」
圭吾の目が楽しそうにキラキラと輝く。ああ、また学者モードにはいっちゃったなとイザは、ちょっぴりうんざりする。
「ニホンオオカミは、元々人間を襲ったりしなかったっちゅう話もある。オオカミが人を襲うようになったのは、大陸から狂犬病が入ってきてからや、って。それ以前は、オオカミは獣害を引き起こす獣を食べて山を守るものとして神聖視されてきたんや」
「へぇ……」
文献を読んで楽しそうにしていた圭吾だったが、その表情がふと曇る。
「それだけ長い間人々に信じられていたものが、忘れ去られてしまったら……。今まで奉られてた神様は、どう思うんやろな。人間は、勝手やて、怒るんやろうか。それとも……」
郷土資料館で分かったことは、そこまでだった。
一旦外に出て、車のところに戻る。
「さてと。となると、ご神体がどっか別のところにあるはずやけど。あの神社の拝殿にはなかった。てことは……厄介やなぁ……」
車に寄りかかって空を仰ぎ見ながら、やれやれと呟く圭吾。
「何が?」
圭吾が何で途方に暮れているのかわからず、火のついた煙草片手にイザが聞く。
郷土資料館から出ると速攻、イザは煙草を取り出したのだった。
こいつ、ほんっまにしょっちゅう煙草吸っとるなぁ、そのうち肺癌になんで、と呆れつつも、んーと気のない返事を返す圭吾。
「あの拝殿にご神体がなかったっちゅうことは、や。ご神体は別のところにあるわけで、おそらく氏子の間で持ち回りで保管してたんちゃうかな、と思うんや。神職を置くほどでもない小さな神社やとな、氏子たちの間で神職とご神体を持ち回りでやってることが、よくあんねん」
「?」
「つまり。あの集落の、どこかの家にあった可能性が高いっちゅうことや」
「っても、あの集落全部、空き家じゃん。誰も、残ってねぇんじゃねぇの?」
圭吾が深く嘆息する。
「……そうやねんなぁ」
ここまで来て、行き詰まりかぁ…なんて悔しがる。
うなだれる圭吾を他所に、イザは他人事のように一服しながら景色を眺めていたが。
ふと、心の内に昨日からひっかかりがあることを思い出した。いつのことだっけ? そうだ、帰りに暗い道を歩いてたときのことだ。
「……なあ。そのニホンオオカミってさ、どんな姿形してたんだ?」
「あ?」
圭吾は顔をあげると、うーんと考えをめぐらす。
「たしか、国立科学博物館に剥製があったはずやで。ちょっと待ってな……」
自分のスマホで、画像を検索する。
「ああ。あったあった。これや」
スマホごと、イザに渡して見せる。
イザはスマホを受け取って、画面を拡大しじっくりと見てみた。
「……? それが、どないしたんや」
急にニホンオオカミに興味をもったらしいイザの様子に怪訝そうに圭吾がたずねる。
「……俺、昨日みたの、これじゃねぇかな?」
「はぁ!?」
圭吾の表情が、さらに怪訝なものになる。
「何、馬鹿な事言ってんねん。ニホンオオカミは100年以上前に絶滅したんやで?」
「俺さ。昨日、野良犬見たって言ったじゃん?」
昨日のことを、詳細に思い出そうと記憶を手繰り寄せるイザ。
「なんかさ。妙だなって、思ったんだ。でも、何が妙なのか、自分でもわからなかったけど、今、それが何だったのか、はっきりわかった」
「……なにが?」
「あの野良犬。赤っぽい色だな、と思ったんだ。はっきりと、そう思った。そう見えたんだ。……でもさ。あの時、あそこは真っ暗闇で、明かりは前でお前が持ってた懐中電灯だけで野良犬の方には向いてなかった」
そこで言葉を区切って、その青緑の瞳で圭吾を見る。
「俺、なんで色まで分かったんだ? 色なんて、わかるわけないよな? それどころか、形すら見えるはずはないんだ」
圭吾は驚いたように黙って、イザの言葉を聞いていた。
「でも、わかったんだ。今、この画像みて、確信した。俺が昨日みたのは、これと同じやつだ。あの時は、見えたっていうよりも、イメージが頭に飛び込んできたって言った方が近いのかもしれないけど」
「それって、あの神社からの帰りにお前が急に立ち止まったときのことやな」
イザは頷く。
「あの生き物は、あの道の脇にあった民家の方へ入って行った」
二人は顔を見合わす。
「もう一度、行ってみよう。その場所に。なんかヒントがあるかもしれん」
圭吾の言葉に、イザは頷いた。
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