近しき神 第二話


 自室のベッドの上にスポーツバッグを広げて、適当な服を放り込みながらイザは、はたと手を止める。

 目的地には、コインランドリーとかあるのだろうか。随分、田舎に行くようなことを圭吾は言っていたが。

 それによって、持ってかなきゃいけない枚数が大幅に変わってくるんだが。

 と、悩んでいる時、人の気配に気づいて部屋のドアに視線を投げた。

 ドアの枠に体を凭れさせて、こちらを見ていたのは娘だった。今年で高三になる。


「どっか行くの? イザ」


 娘は、決して自分の父親のことを「父」とは呼ばない。

 イザが幼いころから自分のことを「イザ」と名前で呼ばせていたからだ。

 そう呼ばせた最初の理由は、おそらく「パパ」とか「お父さん」と呼ばれることに自分自身の違和感が強すぎたのと照れ臭かったからだったと思う。


「ああ。ちょっと、北関東の方に。一週間くらいで戻る」


「そう。じゃあ、晩御飯はいらないのね? 」


「……作ってくれるんだ?」


 意外そうにイザは、青緑の目を瞬きした。

 夕飯は、大概外食かケータリング、コンビニが常だった。

 イザ自身が家事は最低限のことしかできず調理なんて湯を沸かす程度しかできないから、娘に料理を教えてやれるはずもない。母親がいればまた違ったのだろうが、生憎、娘の母親が誰なのかはイザ自身がよくわかっていないので仕方がない。


 娘が最近、自分で色々試して作ってみたりしていることは知っていたが。

 どうやら、彼氏に手料理を食べてみたいとかなんとか言われて密かに練習しているらしい。

 だから、まぁ、練習台なのだ、自分は。でも。

 つい最近まで、娘は同じ家に暮らしていてもイザとはほとんど話をしなかった。

 思春期特有の反抗期というやつなのだろうか、それとも普通の親のようにはできない自分がとうとう嫌われてしまったんだろうか、と内心怖かったりもしたのだが。

 前の冬くらいから、今までの険悪な雰囲気が一転して、ちょくちょくあちらから話しかけてくるようになった。


「作ってあげないこともないけどね」


 そんなことを言って、ぷいっと娘はリビングの方へ行ってしまった。

 やっぱり、まだ年頃の娘とどう接していいのかわからず上手く振舞えないなぁと、イザは途方に暮れる。






 待ち合わせた駅前に、圭吾はセダンで乗り付けていた。一般的な国産の車種だ。

 後部座席に荷物を放り投げると、イザは助手席に乗り込む。


「どこ行くんだっけ?」


「奥秩父らへん」


 圭吾は、車のダッシュボードに置いたスマホに目的地の住所情報を入力する。

 前回会った時のフォーマルな格好と違い、今日の圭吾はファストファッションのTシャツにチノパンという様相だった。

 初夏にも少し早い季節だというのに、Tシャツは半そで。その左袖の下から下り竜のタトゥーが見える。

 このタトゥーは実家を継ぐ前から圭吾の腕に刻まれていた。昔、遊びで入れたものだ。

 首には細いチェーンがかけられ、その先に小さな円筒状のペンダントがついている。


 イザの格好も、圭吾と大差はない。ただ圭吾のものよりはもう少し高価なブランドのものだが。圭吾よりも寒がりなイザは、Tシャツの上に薄手のニットを合わせて、袖を肘あたりまで捲っていた。


 圭吾の運転で、車は滑らかに動き出す。


「奥秩父に、何しに行くんだ?」


 圭吾はハンドルを握ったまま、うーん、と僅かに唸った。どこから話せばいいんかな。と呟く。

 様々な肩書を持つ圭吾だったが、本人に自己紹介をしろと言うとおそらくこういうだろう。


『市井の民俗学者』だと。


 圭吾は実家を継ぐ前は、大学院で民俗学を学んでいた。本人は実家の件がなければ、民俗学の研究者になりたかったようだ。しかし、実家を継ぐためにその夢を諦めた。


 車窓には、車列に並ぶほかの車が見える。分岐にある案内掲示板の行き先からすると、この車は高速道路に向かっているようだった。


「前にも言ったけど。俺の家は1000年以上続く古い家でな。今、家業としてやっている会社も元は『家』を残す資金力を稼ぐためにやり始めたものや。まぁ、何代か前の先祖が商才のある人でな。時代の商機もあって、いっきに会社は大きくなって今みたいな規模になってしもたけど」


 車はETCを抜けて高速道路に入るための螺旋の坂道を登っていく。


「元々は……御堂家は、生贄として存続してきた家なんや。代々当主が、その任を担ってきた。……これがな」


 圭吾は右手でハンドルを握ったまま、左手を助手席にいるイザの前に差し出した。

 その親指の左爪だけが、黒く変色している。


「この親指の染みが、次の生贄に選ばれてる印なんや。親父が死んで、1週間くらいしたら突然こんな色になった。親父も、祖父も、みんなこの印があったんや」


 イザは圭吾の手を取って、まじまじと間近で眺める。爪は壊死などしているわけではないようだった。でも、確かにその爪だけが、真っ黒く変色している。


「親父も、祖父も、曾祖父も。ある日突然、家族が誰も見ていない時間帯に肉塊になってしもた」


 なにげなく言ってのけるが、その現場はそれは凄惨なものだったのだろうとイザは想像する。


「んで、その呪い、って?」


 イザが圭吾の手を離すと、圭吾は再び両手でハンドルを握る。圭吾は視線をサイドミラーに向けたまま、ハンドルを切り車を高速道路に合流させた。


「この国が、1000年以上前から、脈々と受け継いできた古い呪いや。この国の長い歴史の中には、沢山の闇に葬られた人間たちがおるんやで。地方豪族やら、小作農やら、少数民族やら……そういう無数の無名の人たちの無念さや恨み。そういうもんが、もう大きくなりすぎて。抑えきれなくなって。昔、ある場所に神として祀って封印した。それでも、大きくなりすぎたものは抑えきれず漏れ出して暴れだした」


 車は追い越しレーンに入り、スピードをあげる。


「それが外に出ると、そのたびに大飢饉や疫病の大流行、大災害に襲われたそうや。このままにしたらアカンいうて。それをおさめるため、当時の偉い神職が、定期的に生贄をささげることで封じ込めを強化することを考え出したんや。その生贄のシステムは上手く行って、その後内側から封印が壊されたり漏れ出ることはめっきり減った。そのとき、生贄に選ばれたんが、俺の遠い祖先やねん。一番最初の生贄は、当時の御堂家の当主や」


「じゃあ。それ以来何百年も、お前んちの当主は殺され続けてんのか?」


「そう」


 前を見つめまま、圭吾は事もなげに答える。そして、イザの方に視線を投げると、にやっと笑った。


「俺は、それが嫌で家出したんや」


 よそ見しながらの運転は危ないので、再び視線を前に戻して続ける。


「祖父の死体を一番最初に発見したのは、俺でな。当時まだ12歳やった。そのあと初めて、御堂家の役割を父親から教えられたんや。そんで、祖父が亡くなってから一週間したら、親父の言うとおり、その親父の左親指にも生贄の印が浮かんできた。次は、親父の番で。それが終わったら、次は俺や」


 そこで圭吾は一度、言葉を切った。何かを考えるように、しばらく沈黙した後。


「そう思うと怖くて溜まらんくてな。気が付いたら、家を飛び出してた」


 圭吾の話に、イザは何か言葉を返そうと思うのだが、上手く言葉が見つからない。

 そもそも、1000年以上続く家や、代々受け継がれてきたものなど、とても想像ができなかった。

 どれほどの長い年月、どれほどの長い血の繋がりだろうか。


 イザ自身は、自分がどこから来て、どこの国の生まれで、なに人なのかすら知らないというのに。

 イザが生まれたのは東欧だか中央アジアだかの付近にあった難民キャンプだった。詳しい国名は覚えていない。ただ、母とともに何度かキャンプを移ったのは覚えている。


 母は難民、父親は母の話では難民キャンプに来ていた日本人の学生ボランティアだったらしい。日本に行きたがっていた母は悪い奴らに騙されて連れてこられ、お決まりの道だけど、風俗で使い捨てられた。

 父親が見つかるはずもなく、その母も日本に来て1年もたたずに病気で死んでしまった。


 一人残されたイザは、身寄りもなく、国籍もなく、日本語も当時はほとんどしゃべれないでいた。そんな子どもの末路など、明るいものであるはずがない。

 小児性愛向けの風俗で働かさせられたり、暴力団の末端組織の端くれに取り込まれて、詐欺グループを手伝わされたり、組の抗争相手のもとに刺客として放り込まれたりなど好いように犯罪行為に使われていた。


 そんなとき、同じような境遇に置かれていた子の一人として出会ったのが圭吾だった。

 実家が、けた違いの金持ちだと打ち明けられて圭吾に反発したこともあったが、実家に戻れば生贄にならなければならないなんていう事情があれば、最底辺の環境の方がまだマシだと思った圭吾の気持ちも分からなくもなかった。



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