銃と刃と八百万の神
飛野猶
第一章 近しき神
近しき神 第一話
……ナゼ、ミナイナクナッタ……サビシイ………サビシイ………
街の小汚いラーメン屋。
夕食時ということもあって、店内は8割ぐらいの埋まり具合だった。
その奥のテーブル席で二人の男がラーメンをすすっている。
一人はかっちりした茶系のスーツ姿の男で、もう一人はノーネクタイの黒系で若干ラフなスーツの男。
豚骨ラーメンをずるずると音を立ててすすっていた茶スーツの男は顔をあげ、それまでの雑談とはまったく関係なく、唐突なことを口にする。
「俺な。そのうち、生け贄として呪い殺されるやんか」
それは、疑問でも、推定でもなく。はっきりとした断定の口調だった。
向かいの席で一緒にラーメンを食べていたノーネクタイの男は、手を止めて胡乱な目で相手をみやる。
「……お前、何言ってんの?」
馬鹿なの?とでも言いたげな口調だった。
時間は戻って数時間前。
雑居ビルの中にある一室。くたびれた合皮のソファに腰かけたノーネクタイの男は、鞄から取り出した黒い樹脂製のケースを目の前のローテーブルに置く。
40代の整った顔立ちをした黒髪の男。明らかに幾らか日本人以外の血が混じっていると思われるその顔だちの、一番の特徴は青緑に光彩を放つ瞳だった。
その双眼で射すくめるように相手をじっと見つめると、ケースを目の前にいる商談相手の前に差し出した。
「ご注文の品に間違いないか、ご確認ください」
商談相手は緊張しているのか、空調が効いていて暑くもないのに手に握りしめていたハンカチで額を一度拭うと、小さくうなずいてケースに手をかけた。
ケースの手前にあるロックを外すと、ケースは簡単に開く。
中には内容物を保護するようにウレタンが敷き詰めてある。その内容物を、商談相手は僅かに震える手でつかみ上げた。
室内の蛍光灯の明かりを反射して鈍く黒光りする、それ。
一丁の拳銃だった。
38口径タイプのよく知られたブランドメーカーのものだ。
純正品だった。
「新品ですが、一応、射撃テストもしてあります。問題なく、すぐにご使用いただけますよ」
ノーネクタイの男の説明を他所に商談相手は、恐々としながらもその銃をあれこれ角度を変えて眺めてみたり、引き金に手を当ててみたりしながら眺めた後、そっとケースに戻し、一息軽く吐いた。
「ああ。たしかに。本物のようだ」
そう呟くと、後ろに控えていた部下に何かを指示する。
部下は頷くと、タブレットを取り出して指を動かす。
「完了しました」
部下の声に、ノーネクタイの男はポケットから自分のスマホを取り出して、自分が要求した額が指定の口座に振り込まれていることを確認した。
「商談成立です。次回も、またよろしくお願いします」
鞄をもって立ち上がると、彼はそこでは初めて、にこりと笑顔を相手に向けて手を差し出した。商談相手は、あ、ああと乾いた声で呟くと、ほっとしたように表情を緩めて彼が差し出した手を握り返した。
ノーネクタイの男は雑居ビルを出ると、駅に向かう途中の街角で立ち止まった。一仕事終えたので、一息入れようと煙草を咥える。最後の一本だった。あとで、コンビニに寄って買って帰ろう。
火をつけようとライターを近づけたところで、尻ポケットのスマホの振動に気付いた。構わず火をつけ、煙草の煙を口から一息に吐き出しながら、スマホを手に取って電話してきた相手の名前を確かめた。見覚えのない番号。
一瞬、無視しようかと思ったものの。
男は普段、何台かの連絡ツールを使い分けている。仕事用と、雑事用。そして、家族やごく親しい友人だけに知らせているプライベート用。そのプライベート用のスマホへの架電だったことが気になった。
煙草を指で挟むと、通話マークを押してスマホを耳にあてる。
「はい」
無抑揚な声で、応えた。
男の予想に反して、機械越しに聞こえてきたのは久しく聞いていなかった、懐かしい声だった。
「よぉ。イザ。今、仕事中?」
長らく互いに音信不通だったのにも関わらず、まるで昨日も会っていたかのような気軽い相手の口調に、
イザと呼ばれた男は、相変わらずだなと苦笑を浮かべる。
「……いや。今終わったとこ」
「そっか、良かった!」
相手の声が、弾む。
「なぁ、今日、暇? 一緒に、飯食わへん?」
「飯? お前、今、どこいんだよ、圭吾。京都じゃないのか?」
電話の相手、
駅から話しているのだろうか。
「ああ、今日は仕事で東京来てんねん。今晩、そっちいくわ。昔、よく行ったラーメン屋でええか?」
「あ、ああ。あの駅前の? いいよ。たぶん、まだ、潰れちゃいないはずだ。それより……お前、なんでこの番号知ってんだ?」
このプライベート用スマホを使い始めたのは、圭吾と会わなくなって久しく経ってからだったから番号を教えているはずはないのだが。
「調べた」
悪びれもせず、圭吾が答える。
イザは今日何度目かの苦笑を浮かべるしかなかった。
圭吾と約束をした夜の7時半。
イザは仕事では約束時間を破ることはなかったが、仕事外ではとことん時間にルーズな性質をしていた。
約束の時間に間に合うように最寄り駅に着いたはずだったが、ちょっとコンビニで煙草を買っていこうと寄っているうちに、気が付いたら予想より大幅に時間が経っていたのだ。
待ち合わせている店に、足早に向かう。
せっかく買った煙草を、ゆっくり吸う暇もないが自業自得なのだから仕方がない。
足早に歩きながら、あたりの風景にも目を向けて顔を上げた。
(やっぱ、ちょっと変わったな……)
10代のころ、この近くに一時期住んでいたことがあった。そのとき、一緒に住まわされていた少年たちの一人に圭吾がいた。自分は身寄りのない不法移民の孤児で、圭吾は家出少年だった。
他のメンバーは、既に消息は知れない。
もしかしたら、今生きているのは自分と圭吾くらいなのかもしれない。
なんてことを思い出しながら歩いていたら、イザのすぐ脇を黒塗りのセンチュリーが静かに近づき、真横に止まる。
警戒心から反射的に飛びのきそうになりつつ、ふと思うところがあって、イザは後部座席に目をやる。
案の定、そこには見知った顔があった。
後部座席のそいつは膝の上に置いていたノートパソコンを閉じると、隣の席に雑に放り投げる。
一瞬見ただけで分かるほどの高価そうな茶系のオーダーメイドスーツにかっちりと身を包んで、自動で開いた後部座席ドアに手をかけて車から出てきた男は、イザを見ると酷く子供っぽい印象を与える笑顔で笑った。
「よぉ。イザ」
「……圭吾。老けたな」
「うっさい、お互いさまじゃ。……久しぶりやな」
ぽんと肩を叩かれた。イザのその青緑の目は久しぶりに見る親しい友の姿に自然と細くなる。
圭吾は運転手に、
「今日は、一人で帰りますので。もう、戻ってください」
と指示を出す。運転手は圭吾に頭を下げると車内に戻り、車は滑るようにその場を後にした。
どちらともなく、店の方向に向かって歩き出す。
「……仕事、忙しいのか?」
イザの問いに、圭吾は首をかしげる。
「どうやろ。最近は、少し落ち着いてきたけどな。明日は、息子たちの学校の体育祭があるから、ちらっと覗きに行きたいな。そのあとは、一旦こっちに戻って残った仕事した後、夜からは香港や」
「……大変だな。社長業ってのも」
「まぁ、しゃーないわな。仕事やから」
この、かつて十代から二十代の前半にかけて共に過ごした元家出少年は、十数年前に父親が死んだあと京都の実家にもどり家業と家督を継いでいた。
それからは、イザにとっては、すっかり別の世界の人間になった気がしていた。
未だ裏の世界から足を洗えていない自分が、もう接してはいけない人間だと思って。自分からは一切の連絡は取ろうとはしたことがなかった。
だから……こうやって、一緒に歩いて、話していることが。なんだか不思議でならない。懐かしさから、嬉しくもある。
しかし、そんな内心の思いは顔には出さず、相変わらずの無表情でイザは圭吾の話を聞いていた。
目当てのラーメン屋は、記憶の中のたたずまいと寸分たがわない様子で、今も街の中にあった。
ガラッと格子の引き戸を開けると、いらっしゃーいと大きな声が飛んでくる。
奥の席に腰かけて、思い思いに好きなものを注文した。
注文したものはすぐにテーブルに届けられ、お互いの近況などの何気ない雑談を交わしながら口に運ぶ。
そこから、先ほどの冒頭のシーンに繋がる。
「だから、俺。あと10年か20年かしらんけど、そんくらいしたら呪い殺されるねん」
決して、電波な話ではない。
妄想でもない。
40代にもなって中二病をこじらせまくっているわけでもない。
圭吾は、ごく真面目に真剣に言っていた。
「……お前んち、代々生贄になる家系、だとか言ってたっけ?」
イザは、昔聞いた話を、思い出そうと記憶を辿る。
ただ、自分にとってあまりに実感のない話だったので、残念ながら詳細をあまり覚えていない。
「そう。親父も、祖父も、曾祖父も。みーんな、殺されてもた。俺も、そうなる運命らしい」
なんでもないことのように、汁に浸かったナルトを箸でつまんで口に運びながら答える圭吾。
一呼吸おいて、ラーメンからイザへ視線をあげると、圭吾は言葉をつづけた。
「でもな。ちょっと抗ってみようかなと、思うてんねん」
「抗う?」
圭吾が言わんとしている意味がつかめず、そのまま聞き返すイザ。
「お前、手伝ってくれるよな?」
圭吾は箸を止めて、静かにイザの目をみた。イザは端正な顔立ちを訝し気に崩して、え? 俺が?と呟いた。
「お前じゃないと、こんなこと頼めへんねん。お願い、な? 頼む!」
圭吾は箸を手に持ったまま、両手を合わせてイザを拝む。
「古い付きあいの仲やんか。な?」
イザはしばし考え込む。考え込む時間が長かったので、圭吾は手を拝んだ形にしたまま、表情は次第に不安そうに変わっていく。
圭吾は昔から、頭の中で思っていることがそのまま表情に出やすい。
こんな性格で、果たして経済誌にもよく載るような巨大グループ会社を傘下に置くホールディングカンパニーのCEOなんてやっていられるんだろうかと心配にもなるが、十数年も続けられているってことは仕事では上手いこと隠しているのだろう。
「……いくら出す?」
古い知り合いでもあるし、昔は何度も命を助けられたこともある。だから、そこまで頼まれれば受けるのはやぶさかではないのだが。何となく、タダにはしたくなかった。その方が、お互い後腐れないとの考えからだ。
「えーと……これくらい、どう? 一日あたりで。危険手当もつける」
圭吾が指を3本たてる。イザは、圭吾の残る二本の指を掴むと無理やり立たせて。
「OK。商談成立」
「え……え!?」
自分の五本立っている指を見て、驚く圭吾。だがすぐに、しゃーないなとそのまま頭を掻いた。
「わかった。それでええわ」
ほんま、イザには敵わんなー、とかなんとか言っていたが、イザは気にしない。
「んで。俺は何をしたらいいんだ?」
「ん? ……ああ。ちょっと、一週間くらい時間貸してほしいねん。北関東の方に、行きたいところあるから、一緒に行ってくれへんか?」
「……ふーん」
イザは、自営業の輸入業……というと聞こえはいいが、実際には銃など様々な違法なものを扱う仲介屋を生業にしている。
あらかじめ予定が決まっていれば先の仕事の融通はつけやすい。
二人は1か月後に、北関東に出掛けることを約束して、その日は別れた。
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