2016年12月 終点の海(前)

「家をリフォームするから物を処分する。捨てられたくないものがないか見に来い」

 横暴な連絡が実家から来たのはほんの三日前のことだった。

「ねえ、私の物ってこれだけなの?」

 和室に並んでいたのは高校時代の制服や教科書。昔読んだ気がする漫画や小説が少し。

「前も何度か処分したろ」

「そうだったっけ」

 父に言われてみれば何度も物を捨てたり東京へ持ち帰ったような気がしてきた。処分品の確認はすぐ終わり、捨てない物、の方にあった古い写真を眺める。

 子供の頃の私。動物園、七五三の晴れ姿、入学式。どれにも一緒に小さな弟が写っている。ふふ、天使だな。

 海水浴場でピースサインを決める少女の写真が目に留まった。珍しく一人の写真だ。

「あれ……これ、いつの写真?」

「覚えてないのか?」

「ぜんぜん。私、海行ったことあるの?」

「ふうん、本当に覚えてないんだ」

 父が顎に手をやる。ふむ、と唸る。

「これはな……その、おまえが七歳くらいの時、えーと深沼海岸に行ったときだよ」

「そんなことあったかなあ」

 父も母も海水浴が好きなタイプではない。父は海より山だし、母は海よりプールだ。

「えーと、あれだ、でもせり子はあんまり海に入りたがらなかったな。その、浜を走ってばっかりで」

 写真の背景には色とりどりのパラソル。この浜を走り回ったのだろうか。

「そうそう、レンタルのパラソルが欲しいって言ってたよ、おまえ」

「ふーん……」

 私は傘が好きだった。雨傘を晴天に広げては怒られていた。パラソルを欲しがるなんて、いかにも言いそうなことだ。

「私、深沼、行ってたんだねえ」

「うん、そう、そうだ」

 父は写真をトントン、と二度叩いた。


 用事も終わってしまったので、あてもなく出かけることにした。最寄りの駅から地下鉄に乗る。とりあえず北へ。

「ぬ、なんだおまえ」

 縦に走る地下鉄の路線図に横の路線が交差していた。東西線。いつできたんだっけ? 西は八木山動物公園、仙台駅を経て母校の近くを通り、東は……

「荒井?」

 聞き慣れぬ地名だった。地下鉄は海を目指して延び、仙台東部道路の手前で終わっている。

「行ってみるか。なんかあるだろうし」

 あるいはなんにもないだろうし。

 仙台駅で乗り換える。見慣れぬ地下通路をふらふらと歩く。なんだおまえ、私のいない間にこんなに綺麗で便利でがらんとした道を用意しやがって。

 とはいえ、そろそろ仙台に住んでいた時間と東京に住んでいた時間が半々になる。私はどこの人間なんだろう。仙台出身ではあるけど、仙台の人間と名乗ったら嘘になる。でも東京の人間と言っても嘘のようだ。事実の嘘と感覚の嘘の合間で宙ぶらりんだ。東西線、新品の車両はなめらか過ぎて居心地が悪い。家も列車も街も落ち着かない。私が仙台で十八年生きてたことが嘘のようだ。むしろ嘘であることのほうが本当だったんじゃないのか。

「私のいた証拠なんか、写真と卒業証書くらいだよなあ」

 その母校も伝統と栄冠の女子校をかなぐり捨て共学に鞍替えしている。私たちが微かな誇りを持っていた「頭のいい女子校」はもうない。はかない恨めしさを連れ、列車は元母校の下を走る。

 そうして着いた荒井駅は街の芽が出たばかり、みたいな風情だった。住宅街のほとりにある地下鉄の駅、バスターミナル、野原と少しの店。子供の頃、家の周りもこんな風景だった。

「深沼海岸行?」

 並ぶバス停の中に気になる地名がある。

「行ったら思い出すかなあ?」

 地下鉄の駅に戻って聞くと、現在深沼のバス停は休止。いくつか手前、南長沼というところが終点だそうだ。深沼海岸へ行くには終点から十分も歩けばいいらしい。

 仙台市営バスは緑がかった水色と濃い青のストライプという強烈なカラーリングだ。バスに乗る人はみな案内地図を持っている。

 「苦しくない 鼻から入れる 内視鏡」という車内放送が流れる。田んぼにゴミ袋がうごめいてる、と思ったらハクチョウだった。すごいでかい。なのにスマホで撮ってみたらホースのついたゴミ袋にしか見えない。バスは茶色の野を走る。

 終点の南長沼で降り、地図を持った人たちの後をついていく。信号を渡る。煤けた色をまとった校舎が見える。建物らしいものはそれしかない。

「この辺も居住禁止なのかな」

 野の中のアスファルトを歩く。立ち入り禁止の看板、様々な注意。建物の基礎、タイル、ブロック、住宅街だったと示す痕跡。

 校舎には「ありがとう荒浜小学校」と手書きの看板が架かっていた。止まった時計。重機のカラフルさが目立つ。プレハブの工事現場の事務所。窓にはクリスマスカラーの包装紙が無造作に貼られている。そうだ、もうすぐクリスマスなんだっけ。

 関係者以外立ち入り禁止、の表示よりも大きく「緊急一時避難場所」とある。その下に「震災の教訓を後世に伝える場所として現状のまま残していく」という張り紙。

「教訓、かあ」

 私は生まれる前にあった宮城県沖地震のことをぼんやりとしか知らない。今後ここを訪れる人たちは、この乾いた泥の色が残る小学校を見てどれほどの災厄を連想できるのだろう。

 小学校の前に妙に色の浮いたバス停がある。バスは来ないのにバス停がある。

 真っ直ぐアスファルトを歩く。「観音様を目指して行けば深沼海岸ですよ」と教わった通り、白くぼんやりしたものがそびえている。あれは津波の高さを示しているそうだ。東北の浜にはいろんな形で津波の高さや到達地点を表す物がある。びょうびょうと風が吹く。記憶の中の仙台と違わず風が強い。

「おう、もっと吹けやこら」

 風を浴びるほどに自分が仙台に生きていたことが本当のように思える。風の強さは頼もしい。

 小さな橋にさしかかる。川とも堀ともつかぬ流れ。この橋、流れ、どこかで見たような。

「貞山堀でねえかこれ」

 貞山公、すなわち伊達政宗の作った運河だ。「わたしたちの仙台市」に書いてあった。覚えている。小三で市のことを、小四で県のことを習う。そうだ。

 橋を渡る。バスの転換場がある。海は堤防で遮られてまだ見えない。

「あ……」

 だけど、海は、堤防じゃなくってぎっしりとした松林に覆われていたような気がする。林の中の小道を抜ける。この細い道をかつても通ったような。

 ゆっくりと堤防を登る。昔は堤防はなかったはずだ。ただ松林があってそこを抜ければ。

「海……」

 ただ砂浜が広がっている。奥に荒ぶる波。左を見ても右を見ても、どこまでもずっと浜。

 浜の景色に色とりどりのパラソルを思い浮かべてみる。

 見えた。

 あった。確かにあった。私はここに来ていた。

 あれ。

 とたん、今まで歩いてきた道のりにたくさんの家の風景が重なって見えた。住宅街。たまにお店。貞山堀には小さな漁船。あったはずだ。でも、今は荒野。みんな揺すられて壊れて、押し流されて……。

 砂を握りしめる。手の中でほろほろと流れる砂は暖かくてかすかに湿っている。波濤が弾ける。懐かしい記憶。

 そうだ、私はここにいた。仙台に、荒浜に、深沼海岸にいた。あの写真は私だ。

 どれほど浜でぼんやりしていただろう。潮風で髪の毛がばりっとしている。堤防を登って戻り大観音へ行く。約九メートルの観音様。亡くなった方の名を刻んだ慰霊碑、鎮魂の塔。供花、お菓子、お酒。亡くなった人の中には、出会ったことのある人もいたのだろうか。ただただ、手を合わせる。

 手を合わせている最中にポケットのスマートフォンが震えた。無視だ。でも、もう一度鳴る。しつこい。一礼し終えて見る。父からの電話だ。

「せり子、今日、昼飯どうするんだ? どっか食べに行くか?」

 そういえば、どこへ行くとも言ってなかった気がする。

「合流できるなら行くよ。今、深沼にいるんだけど」

「えっ! 深沼って、深沼海岸?」

「そーだよ。来てみたらなんか思い出したよ。だいぶ変わっちゃったけど、なんかわかる」

「へえ、思い出したんだ」

「うん」

「あっはっはっはっは!」

 つんざくような父の声。

「そう、せり子は思ったんだな? 来たことあるって」

「懐かしい感じ、したけど……」

「それな、嘘だよ」

「え」

「やー、試してみるもんだね。思い出の品とエピソードがあれば、人の記憶に簡単に虚偽を割り込ませられるのって本当だったんだ」

「それ、どういうこと」

 風の音がやけに大きい。

「あの写真な、安美お姉さんの娘だよ。お前らちっちゃい頃よく似てたんだよなあ。本当に覚えてないんだ?」

「じゃあ、私は深沼に来てないの?」

「少なくとも僕の知ってる限りでは、うちでは海水浴なんか一度もしてないね」

 電話をしながら、再び浜へ降りた。砂を握りしめる。それはやはり湿っていて、そしてすぐに手の中から流れていく。

「なんで、嘘、ついた?」

「こないだ読んだ本に書いてあったから、かな」

 父の声はあくまで明るく楽しそうだ。

「でさあ、昼飯、どうする?」

 黙って通話を切った。浜を見渡せばやっぱりそこは懐かしかった。だけどこれは嘘の思い出なんだ。偽物の懐かしさなんだ。

 重たい体と気持ちを引きずって堤防を登り、下る。砂利の広場でバス停を撮っている人がいた。そのバス停は見れば見るほどいびつでボコボコしている。


 バスのりば 深沼 偽仙台市交通局


 近寄ってみれば、それは手書き、手作りのバス停だ。


「偽?」

 私の声に、撮っていた男性が振り返った。

「これね、偽のバス停なんだよ。昔は深沼が終点だったけど今はバス来ないでしょ。だから本物のバス停もなくなっちゃって。で、誰かが偽のバス停を置いたんだ」

 バス停はプラスチックダンボールで出来ており、風にばたばたと煽られていかにも頼りなさげだ。

「偽物を、なんのために?」

「これがあると、昔は確かにバスの終点で展開場があって、今はなんもねえけどここには家があって店があって、バスば来てたなーって、思い出せて面白いじゃない。俺はそう思うけど」

「それって、嘘なんじゃ?」

 私の語調の荒さに男性は思わず目を丸くする。

「嘘、ではないよ。こないだも一日限定でバスが走ったんだよ。今度は荒浜小学校まで路線が延びる。あそこの偽のバス停はもうすぐお役御免だ」

 荒浜小学校のバス停、妙に派手だと思ったけど、あれも偽物だったのか。

「必ず深沼までバスは帰ってくる。これも、いつか本物のバス停になりますよ」

「そうですか」

 偽物でも残しておけば記憶の不確かさに抗えるのだろうか。

 去っていく男性に礼を言う。父からメールが来ていた。

『さっきの電話、嘘だよ? 一度だけ家族で深沼で海水浴したよ?』

『って、言ったら、どうする?』

 まばらな松林が風で揺れている。

 父の言葉の正否が私にはわからない。自分の中から生み出された記憶と、本当にあったことの違いがわからない。

 私、本当に十八年、仙台に住んでいたのだろうか。

 仙台の街中で過ごしていた十八年間、私は東北の、宮城の、仙台の、何を知っていたんだろう。ちっぽけだった子供の世界。

 私に、東北を懐かしむ資格は、東北を悼む資格はないのだろうか。

 思えば数井さんと東北のあちこちに出かけるようになって、おとずれた浜で、慰霊の地や記憶の場所で、「悼む資格はないのでは」「心を痛める資格はないのでは」とずっと考えてきた。

 深沼海岸のことを思い出したなら、私はやっと祈るべき場所を手に入れられるんじゃないか。そう、どこかで思っていた。

 なのに。

「数井さん……」

 ふと、その人の名が漏れた。数井さん、閖上で目を赤くしていた。数井さんには資格があるんだな。

 息苦しい。助けてほしい。ぐらぐらとした状況から助けてほしい。でも、なんて言えば。ぼんやりと電話のボタンを押していた。

「……もしもし」

「せり子さん? 風の強いところにいます? 声が聞こえにくい」

「用事で仙台にいるんだ。仙台の深沼海岸ってとこ。数井さんは?」

「僕は、釜石に遊びに来てます。すごいですよ釜石のスーパーは!」

 釜石のスーパーは、クリスマスシーズンになるとスーパーに寿司のパックが凄まじい量で売られるのだという。

「今夜は回らないお寿司ですよ! せり子さんも釜石来ます? 先輩お勧めのお店があって」

「いいよ」

「えっ」

 誘っといてそのリアクションはなんだ、数井よ。

「行くよ。釜石でしょ? 隣の県だもん、そんなに遠くないんじゃない?」

「ほんとに来るんですね?」

「うん」

 一刻も早く、ここを離れたかった。


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