2016年7月 餃子パーティ
「もう手を出さないで。ここは私がやる」
ナイフを握りこんだまま、私は目の前の男を見据えた。
「いやです、僕だって、もっとやってみたい」
その男はボウルの縁に指をかけたまま、譲る気配を見せない。
「今求められるものは冷徹さであり、均質さ。もう任せられない」
テーブルの上には、整然さと無残の二種類が並んでいた。
私が作った端正なその群れ。皮の中央に程よい膨らみ、あっさりとした襞。素人ながら食欲をそそる見事な餃子だ。
それに比べて、彼、数井さんが作ったそれは。あるものは今にも弾けそうなほどに種が詰められ、あるものはワンタンか? と問いたいほど平らだ。皮の口が開いている。腹が破けている。ひき肉が外側についている。同じ材料を使っているとは思えない。
「数井さん、不器用なんですね」
「誰だってはじめから上手にできるとは限らないでしょう」
よく見たら数井さんの眼鏡にうっすら白い粉がついていた。打ち粉だ。熱意は認める。だけど、熱意だけだ。数井さんとはけっこう長い付き合いで、職場ではそれなりに有能なのだ。だが餃子作りに関しては邪魔でしかない。
居間の扉がガラリ、と開いた。
「何、二人で見つめあっちゃってんのさ」
弟、ヨウが顔を出した。片手に缶ビール。待つのに飽きた顔だ。
「せり子ちゃんと数井さんが仲悪いの、俺は面白いからいいんだけど、いい加減餃子食べたいなあ。パリッパリのやつ」
可愛い弟をこれ以上待たせるわけにはいかない。お腹を空かせてもう缶ビール二本目に突入する勢いだ。可哀想に。
「あぁごめんねヨウ、すぐ作るから!」
「じゃあ、僕も手伝った方がいいですよね!」
数井さんが新たな餃子の皮に手を伸ばしたところを、てい、と叩き落とす。
「触るな! 数井さんは! 足手まとい!」
「せり子さんが一人で作ってしまったら、餃子パーティにならないでしょう?」
へ、という気の抜けた声が私とヨウから漏れた。餃子、パーティ?
「数井さん……説明を」
ヨウもうなずいて話をうながす。
「いいでしょう」
数井さんは重々しく語り始めた。
「餃子パーティというのは、つまり、みんなで餃子を作って焼いて美味しいね、というものです。一人で肉を焼くバーベキューがありますか。一人で用意する芋煮はないでしょう。それはパーティではありません。一人で作っちゃったら和気藹々してないでしょう!」
数井さんが大変なファンタジーを抱いていることはわかった。ただ、別に今日は餃子パーティではない。うちに人が集まるから餃子でも作るか、というだけなのだ。
「出来栄えの問題じゃないんですよ」
数井さんがまだ語っていた。
「全員参加ということに意味があるんです」
「俺も作ったほうがいいの?」
ヨウが面倒くさそうな顔でこちらを見やる。
「もちろんです! ですが、強制参加ではありませんので」
「よかったー」
ヨウは手先が器用だ。が、自分がやらなくていいことはやらない、という合理的な判断をするのだ。
「で、僕は餃子が作りたいんです。せり子さん。わかりますか」
「わかるけど、わかりません。私は全員にそれなりに美味しい餃子を食べてほしいです。私が餃子を作るのが上手なわけじゃないけど、数井さんのは明らかに美味しくなりません」
「味がすべてじゃないでしょう?」
「いーや、味がすべてだ。はい、この話終了」
いつまでもひき肉を放置しておくわけにはいかない。ぬるくなってしまうではないか。私は数井さんをにらんで黙らせると、餃子作りの作業に戻った。
「えーと……その」
泳いでいる数井さんの手に、ヨウが缶ビールを持たせた。
「ま、飲んで待ちましょうか!」
その後、一人で作った餃子は大変に美味しくできた。
「というわけでねえ、数井さんが最高に面倒くさかったんだよ」
「だっはっはっはは!」
遅れて来たヤンちゃんが、焼き立ての餃子をほおばっている。我ながら良い出来だ。満足。ヤンちゃんは高校時代の同級生だ。一時は音信不通だったが、最近また交流が復活した。
「数井さん、料理できないんじゃん? 別に邪魔しなくてもよくね?」
数井さんをなじる時のヨウは最高に楽しそうだ。
「まあでも、意外に根深い問題じゃないの、それ」
「というと?」
ヤンちゃんのお土産、仙台限定の缶ビールを手に取る。
「私なー、仮設住宅とか老人ホームとかで、みんなで懐メロ歌う会やってるんよ。懐メロっていってもなあ、古過ぎて私は懐かしくないんだけど」
「ああ、フェイスブックで活動報告されてますよねえ」
「数井さんもいつもいいね、アリガトね」
ヤンちゃんと数井さんはフェイスブック友達だ。
「で、『一人で歌いたい』って人と『みんなでアキワイワイ歌いたい』って人に別れんの」
「和気藹々な」
「で、一人派とワイワイ派で揉めるわけ」
ヤンちゃんはメンマともやしの和え物をつまむ。
「一人で歌う派は、どうしてみんなと一緒ではいやなんでしょう?」
キュウリにみそマヨネーズディップを載せながら数井さんが問う。
「ざっくり言って二つあるかな。一つは「俺の歌を聞けえ!」っていう願望。とにかくみんなに聞いてほしいのね。なんでかは知らんけど」
「もう一つは?」
「そーなー。しばし待て」
ヤンちゃんが大きなリュックを開けると、真っ赤なアコーディオンが出てきた。肩バンドを手早くよいしょ、とかける。
「せり子、校歌、覚えてる?」
私がうなずくと、アコーディオンから前奏が流れはじめた。存外に上手いもんである。
「『蔵王の峰のきらめきは~ 我らが拓く明日の火よ~』」
我らが母校の校歌。ヤンちゃんがメロディを弾く。途中から伴奏が増える。
「『ああ、いにしえの緑樹の野、我ら誓わん……』 あれ?」
なんだかおかしい。メロディは合ってるのに伴奏がズレてて暗い感じで気持ち悪い。なんだこれ。
「変だなーって、思った?」
「思ったよ!」
「歌はBフラットメジャーのキーなのに、伴奏をAマイナーのキーでつけたでしょ」
冷静にヨウが言う。こいつ、モテるという理由でギターを弾いていたことがある。しかし弾かなくてもモテるとわかり辞めてしまったのだ。まあヨウならしかたがない。
「まさにそれよ。明るいメロディに暗い感じの伴奏をつけてみた。でもさ、これを変だって思わない人もいるんだわ」
「音痴ってことですか?」
「雑に言えばそうなるなー。そういう変なのがわかる人と、わからない人が一緒に歌うとズレちゃうわけ。で、変なのがわかる人はそれが嫌だから、一人で歌わせてくれ、っていうのよ」
「同じ歌のつもりが、和音になっちゃうんですねえ」
「不協和音、だけどね。まあ和は和だわ」
ヤンちゃんがアコーディオンの蛇腹をしゅーっとたたみ、パチンとバンドで止める。
「和って、必ずしもいいものじゃないんですかね」
「和を以て貴しと為す、って聖徳太子は言ってたけどね」
「和の認識が違う、ってとこは聖徳太子も考えなかったんだろうかねー」
ふむ、と全員が考えこんだ顔になる。
「ところで、ヤンちゃんさんはなんで東京に来たんですか?」
あ、それ、私も聞いてなかった。
「まあ、用事だよ。ヨウくんは?」
「俺は知り合いのイベントヘルプで来てて」
ヨウは年に何回か、手伝いとやらで東京に来る。
「で、数井さんは? なんでせり子んちいるの? っていうか付き合ってんの?」
「えっ……いや、その……なんとなく?」
「なんとなくで人の姉を下の名前で呼ぶわけ?」
ヨウとヤンちゃんが共闘態勢に入った。助け船を出そう。
「今日は数井さんにゲームを手伝ってもらったんだよ」
今はやりの位置情報ゲームの名前を上げると二人ともふぅん、と疑わしそうな目をする。スマートフォンを見ながらうろうろするゲームなので、二人くらいでやったほうがいいのだ。
「なー、皆のもの、聞きたまえよ」
ヤンちゃんが新しいビールのプルタブを押す。小気味良い音がする。
「好きな人はさー、……いつまでもいると思うなよ。どんなに大切な約束をしていても、ある日突然、いなくなっちゃうぞ」
「ヤンちゃん?」
全員がヤンちゃんの顔を見つめている。
「好きな人には、好きだって言わなきゃだめだ。すぐ言え。たくさん言え。いくら言っても、多いってことはない」
「なんか、あったの?」
「まあな。あ、家庭の問題ではないぞ! ほんと、私の、個人的なことだ。個人的に、大切な人が、いなくなっちゃったんだ。それだけ」
「それだけ、じゃないでしょう」
「なーんかさあ、知ってたはずなんだ。地震も津波もいつ来るかわからないぞって。あの時だって二万件の、不意のお別れがあったんだ」
東北出身者の私たちの心を未だ硬くさせる、二〇一一年三月という記憶。あれから何度も大きな災害があった。想像もつかない痛ましい事故や事件があった。
「なのにさあ、いざ失って気づくんだ。大切な人はいついなくなるかわからないってことを、忘れてた自分に」
馬鹿だっちゃね、とヤンちゃんは吐きすてた。ヤンちゃんには珍しい仙台の訛り。
「だから! 数井さんはその気があるならせり子にアタックすること! ヨウくんはひっかけた女大事にしろ! せり子は、えーと、なんかしろ!」
うわあ、と三人三様のうめき声。なんだこれ、とんだとばっちりだ。
「餃子の作り方でもめてる場合じゃねえぞ! あれだ、その……和、和だ! わかったか!」
ヤンちゃんはやけくそのように缶ビールを飲み干し、握りつぶした。べこりと派手な音が鳴る。
「よしわかった……今日は、とりあえず餃子パーティだ!」
「やっぱり餃子パーティじゃないですかー!」
「いえーい!」
ヤンちゃんに何があったかは知らない。ただ今は飲んだり笑ったり、パリッパリの餃子を食べたりしよう。決めた、今日は餃子パーティだ。
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