第8話五叉路の標(前)

 今日は福島南部のいわきから仙台目指して海沿いを北上してきた。いわき駅から竜田駅まで常磐線で約三十分。竜田駅から代行バスに乗り換え、帰宅困難地域を通り抜ける。これが約一時間半。原ノ町駅から相馬駅まで電車に乗って約二十分。相馬駅で再び代行バスに乗って宮城県に突入し亘理駅。朝からずっと移動し続けだ。亘理駅からもう一度電車に乗れば、仙台は間もなく……なのだが。

「なぁんで名取で降りちゃったかなー?」

 私と数井さんは名取駅に降り立っていた。名取は仙台の手前だ。

「このまま仙台に着いたら時間が余るかと思いまして」

 時刻は十四時を過ぎたところだ。

「名取で降りて何すんの」

「閖上に寄りませんか」

 宮城県名取市閖上地区。朝市で有名な浜の街。東日本大震災で大きな被害を受けたところでもある。

「朝市はこの時間やってないよ?」

「今やってたら、ただの市ですね」

 インターネット名人の数井さんはスマートフォンを駆使し、あっという間に必要なことを調べ上げた。駅で借りた自転車に乗り、我々は縦に連なって走っている。

 東北本線の踏切を超え、国道四号線のバイパスを渡る。住宅街と畑が入り混じる中を走る。名取駅から閖上まで約七キロ。平らな土地が続く。三十代にも優しいサイクリングだ。数井さんの背中を見つめながらペダルを踏む。背の高い数井さんは借りた自転車が窮屈そうだ。

 一昨日、私たちは福島県楢葉町にいた。規制解除前日の楢葉町はとても静かで、プレハブの商店街だけがにぎやかだった。

 昨日、私たちは津波でさらわれた浜を見た。打ち上げられたまま取り残された船を見た。電車の通わぬ駅を訪ねた。ひしゃげ、ねじれ、一階の抜けた家を見た。

 今日、私たちはいわきから電車と代行バスを乗り継いできた。福島第一原発の近くを通る代行バスは、ほんのわずかながらも被爆する可能性があると注意書きがあった。

 このまま漕ぎ行けば必ず傷が現れる。変わり果てた風景が来る。臓腑を掴まれるほどの光景が現れる。怖い。だけど、臓腑を掴まれるほどの光景が現れることを予想している自分もいる。自分の浅ましい性根が、一番怖い。

 高架の自動車道路をくぐる。仙台東部道路というらしい。畑、田んぼ、ビニールハウス、草だらけの土地、家。歩道のアスファルトは粗く、脇を走る車は多い。数井さんはわき目もふらず走っていく。私はただついていく。更地、フェンス、工事現場。遠目に煤けたベージュの校舎。「閖上小学校」の文字。記憶にある。ここは確か屋上にたくさん人が避難していたところのはず……。足が止まった。息がうまく吸えない。この道はかつて私の頭の先まで海水が来ていたところだ。周囲を見回す。家がある、ビニールハウス、草だらけの土地、田んぼ、畑。海の気配は遠い。

 気がつくと数井さんの姿がなかった。

「置いていかれたよわ」

 再びペダルを踏み込む。何せ数井さんがどこに行きたいか私はよくわかってないのだ。とりあえず直進とする。

 ギアを最大にして踏み込み続けて、大きな歩道橋が見えてきた。十字路に斜めの道が一本。五叉路だ。その手前に数井さんがいた。

「お待たせ。ここからどっち行くの?」

 数井さんは自転車にまたがったまま歩道橋の柱を見ていた。青い標識、白いラインに波のマーク。あれは津波到達の高さを示すものだ。その位置ははるか頭上、歩道橋の真下。

「数井さん?」

「小野さんは、閖上、来たことありますか?」

「昔、何回か」

 来たことはあるはずだが、正直なところあまり覚えていない。

「僕は、免許取り立ての頃、毎日のようにこの辺で練習してました。この道の形を見て思い出しました……ここは、もっと、いろいろあったような……」

 数井さんの声が途切れる。彼の頭の中には、いろいろに覆われたかつての閖上が見えているんだろう。

「数井さん、名取駅さ戻る?」

「いえ、行きます。目的地がありますし。それに」

「ん」

「楢葉やいわきや富岡や相馬……自分が昔を知らない街の被災した様子はさんざん物見遊山しておきながら、自分の知ってるところは見ないなんて、ずるくないですか」

「ずるくてもいいと思うけど」

 数井さんは返事をせず、自転車を漕ぎ出す。さっきよりゆっくりした速度。だんだん更地が増えてくる。フェンス、土の山、建物の基礎らしきもの、重機、真新しい自販機、まばらに揺れるコスモス。

 何度か来ているはずだが風景がちっとも思い出せない。本当に私は閖上に来たことがあったんだろうか。数井さんは時折足を止めては写真を撮っている。私は写真を撮る気はしなかった。どう撮っても昨日見たいわきの久ノ浜そっくりになりそうだ。

 今、東北中の浜で土を盛っている。防潮の堤を造っている。土の山には几帳面な斜めの角度がついている。ピラミッドを作ってるみたいだ。

 丘が二つ見えた。一つは古びた緑の丘、もう一つは新しい緑の丘から白く細長い物が飛び出している。なんだあれ。

「そこに自転車を止めましょう」

 数井さんが指した先にはプレハブが建っていた。「閖上の記憶」と黄色い看板にある。自転車を止めているとガラス戸越しに中のおじさんと目が合った。なんとなく頭を下げる。

「数井さん、中、見てく?」

「はい」

 中に入ってスリッパに履きかえる。六畳間二つ分ほどの小さな空間だ。壁に一面、展示がある。かつての閖上を写した航空写真、震災後の閖上の写真。津波の様子や証言を流すテレビ。子供たちが作った紙ねんど細工。よく見ればそれは、被災した瞬間を題材にしたものだ。黒い波、飲み込まれる建物、渦、流される船。

「どうしてこんな物、作るんでしょうね?」

 数井さんがひっそりと言う。

「確か体験を表現することで、心の負担を軽くする手法があるんですよ。漠然と辛かったって思うよりは、具体的に何が辛かった、ってわかる方が楽になる、らしいよ。心のケアの一環っていうのか」

「小野さん、たまに不思議なこと知ってますね」

「発達心理学とか少し本読んだから」

 小学生向けの仕事をやる時、何かに役立つかと思ったのだ。あれもちょうど二〇一一年のことだった。

「それに、辛いものだけじゃない」

 そこには「震災前の閖上」「あの日覚えていること」そして「未来の閖上」と題された三つのジオラマがあった。どれも、あちこちに紙ねんど細工が乗せられている。未来の閖上が一番色彩豊かだった。黄色い潜水艦は潜って逃げられる。閖上タワーは五百メートルでどんな津波も平気。未来の小学校は高くて無敵でお城みたいにセレブ。

「よろしければ、映像もご覧になっていかれますか」

 年配の女性が声をかけてくれた。

「じゃあ……お願いします」

 数井さんと目配せしつつ、頷く。

 建物の奥にカーテンで区切られた小さな上映室があった。小さなプロジェクターとスクリーン。

 平野をアメーバのように蝕んでいく水。白煙を立てて流れていく瓦礫。人の声。水が去った後の街。茶の大地にぎっしりと暮らしの残骸が積みあがっている。何度も見た光景だ。テレビで、ネットで、写真で。けれど、これは今、私たちが座っているここでまさに起きたことだ。プールでターンに失敗した時のように息苦しい。

 記録映像の最後に「これを見終わったら、ここにいる人にあのときあなたはどうしていましたか、と聞いてください。話すことで私たちは心が軽くなります」と文字が映る。

 カーテンをくぐり抜けると展示室の様子がまぶしい。スタッフらしき人たちが世間話をしている。この人たちの心が軽くなるなら声をかけてみたい。でも、なんて言おう。

「あのう……」

「はい」

 エプロン姿のおばさんが振り向いた。

「えっと、この辺は、水……どれくらい、来たんですか」

「外の塔の、あれ、あれのてっぺんまできたんです」

 おばさんが窓の外を指していう。細長い白い柱。先端は二つに分かれて、植物の芽みたいだ。

「八.四メートル。そこの日和山もなんも飲みこまれてしまったんですわ。閖上は沖地震の時、無事だったから、今度も大丈夫かと思ったんですけどね」

 宮城県沖地震の発生は昭和五十三年。仙台で育った私はこの地震の教訓をずっと聞いてきた。

 おばさんはいくつもの話をしてくれた。彼女自身は東部自動車道路にかけ上がって難を逃れたこと。五叉路では信号が消えて逃げる車同士の渋滞が起きたところに津波がつっこんできたこと。小学校、中学校、公民館。いろんなところで人が亡くなったこと。

「あのね、そこ出た右に碑があります。閖上中学で亡くなった生徒さんの碑です。よかったら、いっぱい触ってあげてください。たくさんの人に触ってもらって、名前の角が丸くなるようにって思ってるんです」

「わかりました」

 数井さんと頭を下げる。

 プレハブを出たところに石碑があった。生徒の名前。閖上中学の名前。学校の机にはメッセージがたくさん書き込まれている。たくさんの花束。ペットボトルの風車。表面に触れてみる。ひやりとしている。なめらかな石を何往復かさする。刻まれた名前はまだまだ角ばっている。数井さんも黙って触っている。

 隣接している慰霊碑へ行く。真新しい緑の丘から発芽した白い塔。見上げれば先端ははるかに遠い。その前にまるで種みたいな丸い慰霊碑。種と芽なんだ。

「向かいが日和山ですね」

 道路をはさんで、もう一つこんもりと茂る丘がある。裾には大きく「閖上」と石の文字が埋め込まれている。古い碑がいくつか斜面に沿って寝かされている。

「昭和……八年?」

「そう読めますね」

 それはかつて昭和八年にここまで津波が来た、ということを示す碑だった。

「昭和五十三年の宮城県沖地震のときは大丈夫でも、昭和八年のときはここまで津波来たって、昔の人が残してたのにね」

 さっき聞いた話によれば、津波に関してあまり警戒されていなかったらしい。記録を残す、語り継ぐ。この古い碑はそうした試みの無力さを示しているようだ。

「申し送りでトラブルが回避できるなら炎上するプロジェクトなんてないわけで」

「仕事の話かよ」

 急な階段を登る。新しいステンレスの手すりがある。頂上にはフェンスで覆われた小さな社、木に墨で記された慰霊碑、千羽鶴、小さな苗木、鳥居……。人の思いつく祈りの形が寄せ集められている。

「あれは、震災前の建物ですね。看板に見覚えがあります」

 数井さんの目線の先に、二階建ての蒲鉾屋があった。

「数井さん、写真、撮らないの」

 来る途中までは数井さんはいつも通り写真を撮っていた。碑とか丘の景色とか、いかにも撮りたくなる題材じゃないのかな。

「……僕、今までで一番、ここが辛く感じます」

「閖上が?」

「はい。前に行った気仙沼も、一昨日の楢葉、昨日のいわきや富岡。どこも大変な被害だし、復興も進んでいない。だけど、それはやっぱりどこか他人事だったって、ここでわかりました。閖上は……自分に近い土地の被災は、特別な感じがします」

「うん」

 うん、としか言えなかった。わかる、けれど共感ではない。私にかつての閖上の記憶がない。

「そう気づいたら、急に撮れなくなっちゃって」

「コンテンツ化、しなくていいの?」

 数井さんはなんでもフェイスブックに投稿してしまう。以前、自分の体験をコンテンツ化して人の目に見えるところに出すと、自分の体験なのに他人事として消費されてさっぱりする、と言っていた。

「……今すぐは、いいです。もう少しあとで」

「しない、っていう手もあるんじゃない」

 辛ければ、人に見せなくてもいいんじゃないのか。

「それは、ダメな気がします」

 数井さんが慰霊の塔を見る。

「五叉路の標識やあの塔や、昭和八年の碑。みんな、あったほうがいい。起きたことは共有したほうがいいんです。……きっと、僕がネットに書いたら、一人くらいへえ、って思う。そういう積み重ねはきっと大事なんです。でも、僕はまだ、さっぱりさせたくない」

 人に伝えるのは何かに役立つかもしれない、だけど数井さんは自分の気持ちにまだ整理をつけたくない。

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