第6話ぬばたまの夜の更けるまで(後)

「さて、行きますかねえ」

「はいはい」

 スーパーをたっぷり時間をかけて覗いたあと、国道六号を渡った。山へ入っていく道。今日の目的地はこの上だ。急激な登り坂。車も通らない。右側の山肌は草でぼうぼうだ。時折、フェンスや遊具が草の中からひょっこり頭を出している。太陽光パネルだけが妙に新しい。一応、道に街灯はある。しかし点灯するのだろうか。懐中電灯は用意してきたが。数井さんが前を歩いていく。それにしても坂がキツい。高尾山を思い出す。足元がアスファルトな分、今日のほうがまだマシだ。

 十分も登っただろうか、やっと「楢葉町総合グラウンド」の看板が出てきた。右手に折れて、駐車場の中に入る。砂利を踏む感触、懐かしい。

 割れ目からすすきや何かがたくさん飛び出したテニスコート。故障中の張り紙がある電話ボックス。私と数井さんの足音だけがする。

 コンクリートスタンド脇の階段を上りきれば、そこは陸上グラウンドである。

「今日、ほんとにここでイベントやるんですかねえ?」

「ちょっと時間、早かったですかねえ」

 たしかイベントも十八時開始と聞いている。今は十四時。そろそろ支度しはじめてもいいのではないか。

「どうしましょう、小野さん?」

「うーん……時間をつぶす場所もなさそうだしなあ……」

 ここなら商店街の食べ物屋さんは、どちらもお昼でおしまいだ。車があればどうとでもなるのだろうが、歩きではほんとに行くところを思いつかない。

「……ここで待ってるって言ったら、数井さんどうします?」

「じゃあ、そうしましょう」

 グラウンドを見下ろすスタンドに二人、一つ席を空けて座る。小さなグラウンド、一周四百メートルぐらいだろうか。記憶にある校庭よりは広い。空は晴れに限りなく近い曇り。

 シュッ、と聞き慣れた音がしたので、横を見たら数井さんが蚊取り線香に火をつけていた。缶の皿に渦巻く緑。

「用意、いいですね」

「これも」

 数井さんの手が私に伸びてくる。なんか貼られた。見れば数井さんの肩に白いシールが貼ってある。しかもクマのプーさんが描いてあるぞ。

「なんですか、それ」

「虫除けシールです。スプレーもありますよ」

「どこまで虫を避ける気ですか」

「嫌じゃないですか、なんか」

 かゆみ止めもあります、と彼は言う。万全過ぎる。

 蚊取り線香の匂いの中、二人でちまちまとスマートフォンをいじる。

「そういや、小野さんちの作業テーブル、調子どうですか」

「や、特に変わりありません」

 先日、数井さんはうちに来て台所の作業用テーブルを組み立ててくれた。購入から完成までまる一日かかったが、数井さんは終始浮かれていた。変な人だ。

「天板は月に一度くらいトリートメントオイルを塗り込んでくださいね」

「はいはい」

 その話、聞き飽きました。

「何か使いました?」

「そりゃあまあ、料理するときにはなにかと物置きとして使いますけど……」

 数井さんの表情がみるみる曇っていく。ああ、こういう返事じゃダメなのね。

「そうそう、こないだピザを生地から造りましたよ。台がしっかりしてるからやりやすいですね」

「いいですねえ、ピザ!」

 これが正解っぽいな。うん。

「次はうどんにも挑戦してみようかなあ。粉もの練るのって、すごく無我の境地になれていいですよ。達成感もあるし」

「ものづくりっていいですよねえ」

「仕事も一応、私ら物づくりなんですけどねえ」

「ええ、まあ」

 忘れがちだが、私ら、一応お客さまにウェブサービスとか作って提供した仲なんである。

 話をしてはいるが、別に互いの顔を見たりはしない。見ているのはずっとスマートフォン。ああ、レベル上げがはかどる。


 時間が経って、グラウンドの隅に車が見えた。ややして若者たちが二、三十人ほど入ってくる。

「お、準備ですかねえ」

「そうですねえ」

 数井さんが持ってきたポテトチップのり塩味を割り箸でつまむ。数井さん、スナック菓子はお箸派だそうだ。たしかにスマートフォンが汚れなくていいや。

 若者たちが下からチラ、とこちらを見上げる。

「私ら、どういう人間に見えてるでしょうね」

「箸でポテトチップを食べてる人間じゃないですかね」

 のり塩味は美味いけど喉が渇くな。

「ビール買って来ればよかったですねえ」

「それもなんか違うでしょ」

 お酒は嫌いではない。けど、この町にいるうちはふさわしくない気がした。

「小野さんはー、なんで楢葉に来ようと思ったんですか?」

 眼下で若者たちが説明を受けている。

「たまたま仕事のキリがよくて夏休みが今取れたっていうのとー、あとは……なんていうんですかねえ、そろそろちゃんと知らなきゃいけないかな、って」

「知るって、何を?」

「……震災?」

「はあ」

「あれから四年半経って。帰省するたび通る仙台駅前は何事もなかったかのような調子だし。うちの実家はもともと被害らしい被害がなかったし。身内死んでないし。友達元気だし。親戚の隣の家の人が津波にさらわれたけど、帰って来たし。なんだか、そのことが、後ろめたい」

 割り箸の先ののり塩を舐める。磯の味。

「いいじゃないですか、それで」

「でも、大変なとこも、大変な人も、いるわけでしょう」

 たとえばこの町。

「たぶん、これが、九州の話だったら私、こんな気持ちにならないんですよ」

「東北の、ことだから」

 そう。東北のことだから。

「不思議なもんですよねえ、仙台から見ると青森と茨城って、たしか青森のほうが遠いんですよ。なのに青森にはなんとなく親しみがあって、茨城は納豆のとこ? くらいの感じで。東北六県って誰がどういう理由で決めたのかなあ。なんで私はそんな曖昧なことで、気持ちが振り回されてるんですかねえ」

「なるほど……興味深い観点ですね。フェイスブックで聞いてみましょうか」

「聞くなよ!」

 割り箸ののり塩ついてないほうで数井さんの腕をつつく。

「冗談ですよ」

 わかっているが、やや疑ったのも確かだ。

「イイネがいっぱいつくと思うんだけどなあ」

 冗談だよな?

「書きませんってば。僕は、自分の体験や考えしかコンテンツ化しませんから」

「コンテンツ化?」

「なんていうんですかねえ、こういうところ行ったーとか、焼肉美味しかったーとか、そういうのって、自分だけのものじゃないですか」

 そりゃあそうだ、体験なんだから。

「でも、それを写真や言葉で人の目に見えるところに出すと、それはコンテンツになる。誰かがそれを見て何か思う。何も思わないかもしれない。まあどっちでもいいです。そうしてコンテンツになると、僕の出来事なのに僕から離れていって、なんだか気分がさっぱりするんです」

「でも、全部が全部ネットに書けるわけじゃあないですよねえ」

 たとえば仕事とかな。

「まあね。人をマイナスな気分にさせそうなことは表に出しませんよ」

「ふーん、じゃあ、そういうのはどうやってさっぱりさせるんですか?」

「物を捨てます。僕、捨てるフェチなんです」

「断捨離……とか?」

 なんか流行ったよねえ。

「まあ、そういう。僕の理想は全部の持ち物がトランク一個で収まることなんで」

 ダメだ、だんだん数井ワールドについていけなくなってきた。

「掃除、楽そうでいいですね」

「楽ですよ。ルンバを放っておけばだいたい済みますから」

 ルンバってトランクに入るのかなあ。

 グラウンドの上では、作業をする人たちが集合写真を撮っていた。その後、白い大きな文字が配置されている。それに沿って白い円筒形のキャンドルホルダーを並べていくようだ。バケツに円筒形を浸して置く。その作業の繰り返し。

 

 益体もない話をしたり、座ってるのに飽きて周囲を歩いたり、またレベル上げをしたり。そうこうしているうちに陽がだいぶ落ちてきた。いつのまにかガイドの白い文字は外されていた。作業をする人、うろうろと様子を見る人、グラウンドやスタンドにだいぶ人が増えてきた。ざわざわとした人の気配が懐かしい。テレビカメラが何台もある。その前でしゃべる人がいる。脚立に乗って写真を撮る人がいる。

「間もなく夜、ですね」

「帰り道はぬばたまの夜でしょうねえ」

「ぬばたま?」

 数井さんがきょとんと私を見返す。まだ表情がわかる程度には明るい。

「ぬばたまの夜の更けゆけば久木生ふる清き川原に千鳥しば鳴く、とか。ぬばたまは枕詞ですよ。だから意味はないんですが」

「夜に掛かる言葉なんですか?」

「そう。ぬばたまって言葉からは、べったりと重い夜、っていう雰囲気があるなあと勝手に思ってて」

 街灯が点くのかどうかわからない帰り道、ぬばたまの夜って感じなんだろうなあ。一応男性が一緒にいるとはいえ、少し怖い。

「なるほどねえ。ぬばたまーって感じ、何か出そうですね」

「妖怪ぬばたま、とか」

 六時を過ぎて、点火がはじまった。長いライターを持った人たちが散って手作業で明かりをつける。やがて、グラウンド手前側の四分の一くらいのスペースに言葉が光る。『こころ つなぐ ならは』そう、書かれている。

「僕らも降りていってみましょうか」

「そうしましょうか」

 お祭りと呼ぶにはどこかさびしくて、儀式と呼ぶには雑多な空気。ひとつ、ひとつ、夕闇に揺れる炎が増えていく。キャンドルホルダーに書かれたさまざまの言葉。色とりどり。大好き。楢葉。みんな。復興。福島。東北。びっしりと書かれた何か。大きな文字。絵。飾り。夜に近づいていくほどに燈明は強さを増す。

「……私、ここにいて、良かったのかなあ」

「いいと思いますよ」

「ここの人じゃないのに」

「参加自由、って書いてあったじゃないですか」

「ここのこと、なんにも知らないのに」

「今日、少し知ったじゃないですか」

 二人で言葉の縁にしゃがむ。

「僕、去年はじめて気仙沼に行ったんですよ」

「言ってましたねえ」

「でね、その後東京に帰ってきて、ネットで気仙沼の記事とか偶然見かけると、なんか嬉しいんです。港の写真とかあると、あー知ってるわー、っていう、不思議な気分になる」

「はあ」

「小野さんも、そうなりますよ。これから楢葉のことを何かで見かけるたびに、今日のことを思い出すんです。そして、あー知ってるわーって思うんです。きっと、それでいいんじゃないかなあ」

「それ、なんの役にも立たないのでは」

「役に立たないなーと思ったら、それをインターネットに投げてさっぱりさせましょう。誰かが気分を引き取ってくれるかもしれない」

「そういう、もんですかねえ……」

 入れ替わり立ち代わり、いろんな人たちがグラウンドに現れては去っていく。写真を撮る人。

『……六時から点火がはじまり、三千本ほどのろうそくが灯されて……』

 この様子を中継している声が聞こえる。人の顔が明かりに浮かび上がる。横を見れば数井さんの顔も下から照らされている。ぬばたまの夜は訪れた。

「さて、行きましょうか」

「ほい来た」

 懐中電灯をつけて、私たちは夜の道を降りていく。

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