第5話ぬばたまの夜の更けるまで(前)

 二〇一五年九月四日金曜日。私たちを乗せてきた列車は五分ほどで折り返していった。

 ここは竜田駅。東日本大震災の影響で切れ切れになってしまった常磐線。そのはしっこの駅のひとつだ。

 常磐線は、仙台から上野まで関東と東北の海側を伝うようにして結ぶ電車だ。だけど今は上野から北上して、この竜田駅で一度途切れてしまう。竜田駅より北は福島第一原子力発電所の近くを通る。ここだってまだ許可なく宿泊できない地域だ。

 福島県双葉郡楢葉町、かつて帰宅困難地域と呼ばれ、今は帰宅準備地域とよばれる町。福島第一原発の二十km圏内だ。


 同じ列車に乗ってきた人たちは、みな思い思いにホームや駅舎を撮影している。線路をまたぐ跨線橋は閉鎖。その代わり小さな橋が二本ある。

 ホームから無人の改札を抜け、小さな駅舎に入る。

『0.017μSv』

 否が応でも目につく電光パネル。今、ここの空間放射線量を示している、らしい。

 それをばしばしと撮る人がいる。やや背の高い淡いブルーのシャツ。数井さん、私の連れだ。こうして旅行には来ているが、断じて彼氏ではない。

「それが新しいカメラですか」

「撮った写真が自動転送されて便利ですよ。レンズも明るいですしねえ」

「はあ」

 数井さんはすかさずスマートフォンを取り出し、素早く指を動かす。この間合いはあれだ。

「フェイスブックへの投稿も楽ちん、と」

「そうなんですよー」

 我が意を得たり、とばかりに数井さんはいい顔で笑う。

 彼は撮った写真をすぐにインターネットに出してしまう。それも身の回りの人の目につくところ、ソーシャルネットワークだ。

 数井さんと知り合ったのはずいぶんと昔のこと。数井さんは私の勤める会社の協力会社勤務で、ネットワークエンジニア? ITなんでも屋さん? みたいな人だ。私は社内ではデジタル系の制作に携わることが多く、自然と数井さんと組むことが多かった。

 仕事上でつかず離れずを繰り返し、プライベートのあれこれも重なった結果ついに数井さんと旅行に来てしまった。が、断じて男女の仲ではない。

「お、遊佐さんから早速イイネが」

 数井さんはおもしろいこと、素敵なこと、ちょっとしたこと、みんなインターネットに流してしまう。だれかの視線が頭の片隅にいつもある。目の前にいる私のことはネットの次。そんな人を好きになるのは、私には難しい。でも私のことを第一に考えない男の人は、友達としては悪くない。そんなもんでいいんだよ、友達なんだから。

 駅前に出るとバスが止まっている。張り紙によれば駅やいくつかの待ち合わせ場所を経て、最終的に2F事務本館、というところにいくらしい。

「2Fって、どこの2階なんですかね?」

「福島第二原発、の略じゃないですか」

「ほえぇ」

 来る前に『いちえふ』という漫画をを読んだ。1Fは福島第一原発の略。ならば2Fも福島第二原発の略だと考えるのが自然だろう。

 『未来へのキックオフ! 光と風のまち・ならは』と書かれた看板。四月二十二日から使用できるようになったポスト。錆びたタクシー乗り場の案内。シャッターの降りた商店。足場の組まれた家。静かな田舎の町の風景に見える。だけど、どこか違う気もする。ここが特別な地域だと知っている自分がそう感じさせているようでもある。

「じゃあ、行きましょうか」

 ここから二十分ほど歩いたところに、いわゆる「復興商店街」がある。そこでお昼ご飯を食べよう、とあらかじめ決めてあった。

 駅から歩き出せばすぐに住宅街。二〇一一年以降、人がいなくなった町だからといって、アスファルトがひび割れたままだとか、つぶれた家だらけ、とかそういうことはない。そうした家はたぶん、もう解体されているのだろう。塀の上や隙間から勢いよく草木が飛び出している。家、家、空き地、家、空き地。空き地には資材や巨大な黒いビニールバッグがたくさん置かれていた。

「あれ、放射性廃棄物が詰まってるんですかねえ」

 シャッターを切りながら数井さんが言う。

「全部が全部じゃないのでは?」

「そういや、遊佐さんが……」

 遊佐、というのは私の高校時代の同級生だ。いつの間にやら数井さんとフェイスブックで「お友達」になっていたらしい。

「ヤンちゃんな」

 遊佐幸恵、というやつの本名は未だに馴染めない。私にとっては、いつまでもヤンちゃんのままだ。

「阪神大震災で被害を受けた町はブルーシートの青、今回の震災で津波の被害を受けた町は茶色、そして福島はフレコンバッグの黒、の印象がある、と書いてましたね」

 フレコンバッグって? と聞いたら数井さんがたくさん積まれた黒の袋を指す。高さ、幅ともに1メートル以上はあるだろう。

 しゃべりながらどんどん歩く。食堂、魚屋、薬局。家と家の間に挟まるように小さな商店がある。日本全国、どこにでもある町だと思う。ただ、目に見えない何かが降り積もっている。放射線とかなんとか、たぶんもう身体の害になるようなものは薄らいでいるんだろう。ただ、もっとあいまいな何か。

「なんだか、高尾山を思い出しますね」

 二〇一一年三月に私と数井さんは高尾山に登ったのだ。がらんとした、人のいない山頂。

「あ、猫」

 水たまりを猫が舐めている。わりと太っている。誰かがご飯をくれているのかな。数井さんがレンズを向けたら、ぴょんと走っていった。

「撮れなかった……」

「当たり前ですよ、撮らせてくださーい、って声かけなきゃ」

「猫にですか」

「猫だからです」

 猫はカメラを見ても、なんだかわからないからな。

「猫写真って、みんな好きなんですよ。僕も好きです。だから撮りたいんですけどねー」

「あぁぁーそういうのダメ、いちばんダメ、猫に嫌われますよ。猫をダシにしようっていう心がけがよくない」

「なるほど、そういうものですか」

 数井さんは存外に素直な男だ。だから友達づきあいできるんだけどさ。

 さらに歩く。今日は歩くしかない。

 綺麗な壁の美容室。止まったままの時計が不釣り合いだ。針は二時四十九分を示している。

「揺れたあと、三分は動いてたんですねえ」

「時計って、揺れで針とかずれないのかな」

 ボロボロの壁のバイク屋。雨どいが落ちて垂れ下がっている。脇に回ってみたらガラスが割れたままだった。一度はかけたブルーシートが力なく落ちている。ほこりまみれのバイクやスクーター、自転車が寄せられている。色あせたポスター、整理されたままの工具類。

 重機と何かを崩す音がする。向かいの家の奥でショベルカーが動いている。まったく人のいない町ではない。たまに車も通る。

「明日で規制解除、なんでしたっけ」

「そうそう。ふつうに住んでいいんですよ」

「ふつうに」

 ふつう、ってなんだっけなあ。


 住宅街はゆるやかな坂道から、急な坂道に変わっていた。うひー、といいながら登る。その途中に中学校がある。ここの生徒はみんなこの坂を登るのか。二階建てのコンクリート造り。

「小野さんとこの中学って、どんなんでした?」

「鉄筋の四階建てでしたねー。すごいふつうの」

「うちは木造でしたよ」

「まじで」

 いずれにせよ、目の前にある、大きなガラス窓をふんだんに使ったかっこいい建物とは雲泥の違いということだ。

 中学校のぐるりを回る。「ハイタウン赤粉宅地分譲中」という看板があちこちに立っている。後者の裏はむき出しの土にいくつもの重機。竹林から鳥の声がする。中学を離れて坂道を下る。町民体育館、そして国道六号。車が頻繁に往来している。

「おお、横断歩道だ」

「この町で初信号ですね」

 横断歩道を渡ると、「食べるも!買うも!ここなら商店街」という青い看板が飛び込んでくる。プレハブの連なった細長い平屋だ。側面にしだれ桜の絵が描いてある。駐車場はほぼ満車に近い。

「ああ、ちょうどお昼どきにぶつかっちゃいましたねえ」

 十二時二十分。現場で働いている人たちが、いっせいにお昼に押し寄せてきたのだろう。作業服の人たちだらけだ。青、緑、茶色……いろんな上着の色。サラリーマンの昼食とはだいぶちがう色合い。

「どうします? ここでお昼を食べようとは思ってましたが……」

 三件のお店を順番に覗く。そばとうどんの店。定食屋さん。そしてスーパー。どこもごった返している。私たちは物見遊山だが、働いている人は時間が限られているだろう。

「ちょっと時間ずらしましょうか」

「そうですねえ」

 とは言っても、ほかに店はない。ベンチもないし、公園もない。仕方がないから、プレハブの壁面に二人してよりかかる。桜の絵の余白には、なぜかマジックで落書きが散りばめられている。

「こういうのって……絵、そのものの上には描かないんですねえ」

「隙間が空いててさみしいって思うんでしょうか」

 流行りの妖怪、うさぎ、アンパンマン。どれも子供の絵だ。

「高尾山には、なんか不良っぽいサインが多かったですね」

「スプレーで描いたやつね」

 数井さんはスマートフォンをいじっている。私もいじっている。することがない。コンビニでたむろしている子供の気持ちがよくわかる。買い物袋を提げた人たちが、胡乱な目で私たちを見る。ここに来る人はみな、仕事なのだ。スーツか作業服なのだ。シャツだのパーカーだのを着た私たちは浮いている。この場所には、まだ私たちの居場所がない。

「観光にきて……よかったんですかねえ」

 数井さんの顔を見ないようにしてつぶやく。この町に彼を誘ったのは私だ。来たかったのだ。どこか、まだ東日本震災の傷の残る土地を知りたかった。でも、一人で来る度胸は持てなかったのだ。

「物見遊山でも構わない、遊びにきてください、って遊佐さんは書いてましたけどねえ」

 またヤンちゃんの受け売りか。すっかり仲良しさんだな、君ら。

「でもヤンちゃん別に楢葉の人じゃないじゃん」

 やつは仙台の生まれ育ちだ。

「……でも、僕らよりは、東北の人なんじゃないですか」

 数井さんは秋田出身。私は仙台出身。二人とも大学進学で地元を離れた。震災をきっかけに仙台に帰ったヤンちゃんにくらべれば、東北濃度は薄い。

「でも、私たちだって、自分を東京の人間だとも思ってないでしょう」

「そりゃあまあ」

 そろそろ東京にいた時間と仙台にいた時間が半々になる。このまま働き続けるなら、私の成分はどんどん東京の比重が高まっていく。どれだけ住めば自分のことを東京の人間だと思うようになるのだろう。

 隣の人の横顔をちら、と見る。何か考えている。スマートフォンの上で指が動いている。ネットかな、と思って画面をのぞき込んだらゲームをしていた。はは。

 駐車場の片隅に青いトラックが見える。ガードマンが二人も立っている。後ろのドアが開いて、階段がついている。荷台の中に乗り込めるみたいだ。

「あれ、なんですかねー」

 指さしてみる。

「どれどれ」

 数井さん、手元のカメラを構える。レンズがたけのこみたいに長く伸びている。

「とう、ほう、って書いてありますねえ……東邦銀行移動店舗車」

「移動店舗車?」

 窓口が中にあるんだろうか。

「ATMが入ってるみたいですねー」

 インターネットを見た数井さんが言う。五十歩くらい行けば現物があるのに、カメラで覗いて、ネットで調べて。私たちはなんでもそうやって知った気になっている。朝、天気が気になるとき、窓の外は覗かず天気予報サイトを見るように。

 インターネットでわからないことが知りたくて、ここに来たはずなのに。それにしても手持無沙汰だ。ネットの中にしか居場所がないような気がする。いつまでしゃがみこんでればいいんだろう。私は何を知りたくて、ここに来たんだろう。

「車、減りましたね」

 数井さんの声に顔を上げると、駐車場がいくらか空いていた。

「そろそろお昼にしましょうか」

「ほい来た」

 協議の結果、おそば屋さんを選んだ。中に入ると壁に一面にメッセージ。

「復興に来ました」「高知から来ました」「がんばろう楢葉!」「美味しかったです」「ソフトクリームまた食べに来ます!」

いろんな人の文字が模造紙にぎっしり詰まっている。

 入り口で買った食券をおじさんに渡す。

「取材できたの?」

「いえ……ちがいますけど」

「こっちの人?」

「ええ、まあ……」

 東日本、っていう意味でこっち、くらいのつもりで相槌を打つ。何か用事があって来たわけでもないし、地元の人でもない、縁があるわけでもない。

 明日、九月六日の零時とともにこの町は再び住むことができるようになる。規制解除まであと十一時間くらいかな。それで、夕方から「キャンドルナイト」というイベントをやるのだそうだ。亡くなった人を悼み、これからを願う。

 ただ、わけもなくこの町に来てみたかった。というのは、不謹慎だろうか。今日見たものを思い返す。フレコンバッグ、止まった時計、草ぼうぼうの公園、除染作業の看板、崩れそうなお店。傷ばかり見ている気がする。プレハブの復興商店街は真新しいかさぶた。でも、傷ばかりではないんだ。震災よりも前からの光景だって残っている。そのほうが、多い。なのに、傷ばかり意識して、見ているようだ。私、なんだか浅ましいよなあ。

 数井さんはまた写真を撮り、ネットに上げている。数井さんが何を撮り、何を書いているかは見ていない。私は数井さんのネット上の「友達」じゃないからね。

 冷やし蕎麦が来る。添えられたプチトマトが青臭くて、妙に美味しい。食後には名物のソフトクリーム。

「おー黄色い」

「みかん系の味ですねえ」

 柑橘ベースだが、さっぱり味というよりは甘味が強い。

「幸せの黄色いソフトクリームだって」

「なるほど、幸せですか」

 そういや数井さん、いつまで経っても敬語のまんまだな。向こうのほうが年上なのに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援した人

応援すると応援コメントも書けます

ビューワー設定

文字サイズ

背景色

フォント

一部のAndroid端末では
フォント設定が反映されません。

応援の気持ちを届けよう

カクヨムに登録すると作者に思いを届けられます。ぜひ応援してください。

アカウントをお持ちの方はログイン

フォロー機能を活用しよう

カクヨムに登録して、気になる小説の更新を逃さずチェック!

アカウントをお持ちの方はログイン

フォロー機能を活用しよう

カクヨムに登録して、お気に入り作者の活動を追いかけよう!