ひとを殺してはいけないわけ

貴船 美海子

第1話

 モフィンちゃんはもうれつに怒っていました。大切なおにんぎょうのパフェンを、パパに取り上げられてしまったからです。パパはモフィンちゃんから取り上げたパフェンを、乱暴に金庫の中に放り込んで鍵をかけてしまいました。

 取り上げられたのは、パフェンと遊ぶのに夢中になりすぎて学校のしゅくだいを忘れてしまったから、そのばつとしてでした。けれど、わざとしゅくだいをしなかったわけではなくてうっかり忘れてしまっただけなのです。あとから気づいたときに先生にもきちんとごめんなさい、と言ったのです。けれどもパパは、とうぶんパフェンをモフィンちゃんから引き離したままにするつもりのようです。

 「 あんなに暗くて冷たいところに放り込まれて、きっとあのこは一人で泣いているわ 」

 パフェンのことを思うと、なみだがあとからあとからあふれてきました。モフィンちゃんは一人っ子です。だからパフェンのことを妹のように大切にしていました。何をするのもいっしょです。学校に上がったばかりのときは、パフェンを学校に連れていけないのが悲しくてわんわん泣いたぐらいです。

あんまり辛くて、モフィンちゃんは「 こんなにひどいことをするパパなんか、死んじゃえばいい 」とさえ考えてしまいました。けれど、モフィンちゃんのパパはとっても強くてかしこいのです。そうそう死んじゃったり、しないのです。

 そこで、パパよりもっと強い何かにパパをやっつけてもらおうと考えました。

「 パパより強いものといえば …… 」

 うーん、と考えたけっか。

「 やっぱり、ライオンさんかしら 」

 そこでモフィンは動物園に行くことにしました。土曜日になってママに

「 動物園に行ってくるわ 」

と声をかけると、一人で行くつもりらしい娘にママは一瞬心配そうな顔を見せましたが、動物園はお家のすぐ近くにあります。今はまだ朝ですから、ゆっくりしてきても門限の五時には帰ってこられるでしょう。モフィンちゃんはもうすぐ九歳にもなりますし、動物園でいきものとふれあうのはいいことだわ、とママは考え、結局お許しがでました。その上、水筒にレモネードを詰めて持たせてくれて、それから 「 チケット代に 」とおこづかいもくれました。

 動物園につくと、モフィンちゃんは案内板を見ながらまっさきにライオンのところへ向かいました。ちょうど、さくのすぐ近くに一匹のオスのライオンが寝そべっていたので、そのライオンの近くまで行ってこっそり声をかけました。

「 こんにちは、ライオンさん。私ね、ライオンさんにお願いがあるの。お願いを叶えてくれたら、とっておきのぺろぺろキャンディーをあげるわ 」

 そう言って、かばんからみごとなぺろぺろキャンディを取り出して見せました。そのぺろぺろキャンディは、クリスマスのときにゴーリンおじさんがくれたものです。モフィンちゃんの顔をまるごと隠せるくらい大きくて、お空の虹をひねって固めたように色とりどりのすてきなキャンデイでした。とっておきのときに自分で食べようと大切に取っておいたもので、モフィンちゃんは自分で食べたくてよだれが出そうになりましたが

 「 世の中はギブアンドテイクだって、おばあちゃんが言っていたわ。こんなお願い、きっとただじゃあ聞いてもらえないもの 」

 そう呟いてぐっと我慢します。

 「 あのね、私のパパをやっつけてほしいの 」

 そう打ち明けると、ライオンはけだるげに顔を上げて

 「 おじょうちゃんは、パパさんを食べたいのかい? 」

 ときいてきました。

 「 ちがうわよ。私、同じ人間を食べたいなんて思わないわ 」

 「 ふうん。どうして自分でやらないんだい? 」

 「 できないわ。だって私には、ライオンさんみたいに鋭い牙や爪なんかないもの。お父さんに勝てっこないわ 」

 そう言うと、ライオンはモフィンの頭を一飲みにできそうなほど大きく口を開いて、あくびをしました。

 「 食べもしないんだったら、殺そうなんていけないよ 」

 ライオンにそう言われて、モフィンちゃんはむっとしました。だって、パパは大切なパフェンにひどいことをしたのです。それなのに、こらしめちゃいけないと言われるなんて。

 「 いじわる。いいわ、ほかのだれかにたのむから! 」

 やれやれ困ったお子様だ。そんなふうにのそのそ向こうに歩いていくライオンの背中にそう言って、モフィンちゃんは今度はとなりのゾウのさくの前にやってきました。ゾウなら、その大きな足でお父さんを踏んづけてしまえます。ゾウは、柵の近くで長いまつ毛をしばたかせながらじっと立っていました。モフィンちゃんは柵の近くに行って

 「 ゾウさんこんにちは。じつはわたしね、ゾウさんにおねがいがあるの。わたしのお父さんをやっつけてほしいのよ。やっつけてくれたら、とっておきのとくだいぺろぺろキャンディーをあげる 」

と声をかけました。ところがゾウはじっと立ったまま、何も返事をしません。長いまつ毛の奥の瞳もあさっての方向を見ていて、モフィンちゃんがそこにいることすら気がついていないようです。

「 ねえ、ねえってば! 」

モフィンちゃんがいっしょうけんめいよびかけても、ゾウは何も返事をしません。最初と変わらず、長いまつげをしばたかせているだけでした。

すると、さっき小屋の奥に逃げ込んでいったはずのライオンが、顔だけ小屋から出してこう言いました。

「 おい、ゾウさんのめい想の邪魔をするんじゃない。普段はとってもおだやかだが、めい想の邪魔をして怒らせでもしたら、おじょうちゃんなんかあっというまに踏みつぶされるぞ 」

「 めいそうってなに? 」

かんぱついれずにモフィンちゃんがそうたずねると

「 なんかとほうもないことに思いをはせることだよ 」

と答えました。

「 とほうもないことって何? 」

「 おれにもよくわからんよ。こないだは土星のわっかとかみさまが頭の上につけているわっかとのキョウツウセイについてとか言ってたぜ 」

そう言ってライオンはまた顔を引っ込めてしまいました。

ゾウに一言も話を聞いてもらえなかったモフィンちゃんは、しょんぼりと歩いてやがて「水辺のいきもの」の建物にたどり着きました。中には小さな池がいくつか作られていて、カメやカエルなど小さないきものが思い思いの場所でのんびりとしていました。

ここにはきっと、お父さんよりつよい生きものなんかいないよなあ。

そう思いながら建物の中を歩いていると、やがて大きくて真っ白なの睡蓮の花が咲いているのを見つけました。その花の上には、モフィンのにぎりこぶしぐらいもある玉虫色の宝石が ――― よく見ると、それは一匹のかえるでした。けれどまるでほんものの宝石のようにきれいなカエルでした。

「 こんなきれいなカエル初めて見たわ。いったいなんていうカエルかしら? 」

じっさい、そのカエルはモフィンちゃんが持っていたビー玉の一番大きくて綺麗なものよりもっと綺麗でした。そこでモフィンちゃんは柵にとりつけられたカードを見ました。そこには、こう書いてありました。

「 ホウセキガエル。東南アジアのジャングルの奥にせいそく。とってもきれいだけど、もうどくがあるので注意!このカエル一ぴき分の毒でゾウが十頭たおせるぐらい、こわーいどくです。ぜったいにさわらないでね! 」

モフィンちゃんはびっくりして、思わず口をポカンと開けてしまいました。こんなにきれいで小さなカエルが、一匹であの大きなゾウを十頭も殺せるなんて。

「 それなら、お父さんを殺すにはほんのひとしずく、どくをわけてもらえればじゅうぶんなんじゃないかしら 」

さいわい、モフィンちゃんはすいとうを持ってきていました。中身はもう飲み干してしまったので、このすいとうの中にどくを入れて持ち帰れそうです。さっそくカエルに声をかけました。

「 カエルさん、カエルさん 」

「 わたくしに、何かごよう? 」

そう答えたカエルの声は気品があって、まるでおひめさまのようでした。

「 きれいなカエルさん。わたしに、あなたのどくをほんのひとしずくわけてもらいたいの 」

「 まあ、どうして? 」

そこでモフィンは、パフェンのことを話し、パパをやっつけたいのだけど自分だけではパパにかなわないのよ、と打ち明けました。カエルはそれを聞くとけろろ、と笑って

「 ひとりじゃ何にもできないくせに仲間をころそうなんて、ばぁかな人間 」

歌うようにそう言うと、ぽちゃんと池に飛び込んでしまって二度と出てきてくれませんでした。

ライオンには逃げられ、ゾウには話さえ聞いてもらえず、カエルにはばぁか、と言われモフィンちゃんはもうがっかりしてしまいました。落ち込みすぎて、きれいな南の国の鳥がたくさん飛んでいる大きな檻の前を通ったのも気がつきません。そのうち、なにかにどしんとぶつかりました。モフィンがぶつかったのは、真っ黒な服を着たそれはそれは背の高いおじいさんでした。お父さんよりも背が高いのです。あんまり背が高いおじいさんなのでモフィンは思わずその顔を見上げてぽかんとしてしまいましたが、お母さんに 「 人にぶつかったらすみませんと言うのよ 」 と教わっていたことを思い出してすぐにすみません、と頭を下げました。するとおじいさんはにっこりと笑って

「 きちんとあやまることができて、いいお嬢さんだね。けれど、なんだか悲しそうなかおをして歩いていた。どうかしたのかな。わたしでよかったら、相談にのろう 」

そう言われてモフィンちゃんは少し迷いました。初めて会った人だし、悩んでいることだって 「 お父さんを殺してしまいたい 」 という内容なんですからおとなにそんなことを話したらしかられると思ったのです。けれど、おじいさんはとてもいい人そうで、気がつくとモフィンちゃんはおじいさんと並んでベンチに腰かけて、話しはじめていました。パパにお人形を取り上げられたこと。そんなパパが許せないこと。けれどライオンもゾウもカエルもてんで相手にしてくれなかったこと。おじいさんはモフィンちゃんのお話を、うんうんと頷きながら叱りもせずに聞いてくれました。

 「 たとえばね、ここでは強い動物はみんな柵の向こうにいて、わしらは安全にライオンやゾウの姿をみていられる。でも、たとえばお嬢ちゃんがたった一人でサバンナに立っていたとしたらどうだい? 」

 「 …… とっても、危ないわ 」

 「 でも実際には、普通に街中で暮らしていればわしらは獣に食べられてしまうことはないだろう。こんな暮らしを人間が作ってこられたのは、どうしてだと思う? 」

 「 それは、人間は賢いからでしょう?賢いから、獣から身を守る武器を作ったり、けものに壊されないおうちを作ったりできたからでしょう? 」

 「 うん、その通りだね。だけどそれだけじゃあない。たとえば、獣から身を守れるようなおうちを一人で作ろうと思ったら、とっても時間がかかるだろう?おうちができるまでの間に、獣に何回も襲われてしまう 」

「 そんなこと。みんなで協力して、できるだけ早くおうちを建てればいいんだわ 」

モフィンがそう言うと、おじいさんはにっこりと笑ってモフィンの顔を見ました。

「 うん、やっぱり君は賢いお嬢さんだ。そう、人間には、ライオンみたいなするどい牙もない。ゾウみたいな大きな体や、ホウセキガエルみたいな毒もない。他の生き物より知恵はあるが、でもそれだけじゃあ身は守れない。だから、同じ人間と 『 助け合う 』ということを覚えた。だからここまで進化できたんだ 」

モフィンはそれまでおじいさんの話を感心しながら聞いていましたが、ふと首をかしげました。とっても納得できるお話だとは思いましたが、それがモフィンちゃんのいまの状況となんのかんけいがあるのかわからなかったのです。するとおじいさんはモフィンちゃんの思っていることがわかっているみたいに頷いて、またお話を始めました。

「 さて。おうちをたてるにはのこぎり、トンカチ、じょうぶな木材なんかが必要だ。けれどそのどれもが、使い方を変えれば人を殺してしまえるものだね。ついさっきまでとなりで釘を打っていた人が、次の瞬間には同じトンカチで自分の頭をかちわってくるかもしれない。おじょうちゃんは、そんな状況で誰かと助け合えるかい? 」

 そんな状況を想像してしまうととっても恐ろしくって、モフィンちゃんはぶるぶるっと首を横に振りました。

 「 そうだろうね。きっと、誰もがそんな状況では助け合えない。けれど、牙も丈夫な体も毒も持っていない人間は、助け合わないとほかの獣に立ち向かえない。だから、大昔の人間は固く固く約束を結んだ。破ったら、厳しい罰が下るぐらい固く約束したんだ。 『 我々は他の獣のように自分の身を守るものを何も持っていない。だからこそ助け合わなくてはいけない。そのためには同じ仲間である人間を、殺してはいけない 』 とね 」

 おじいさんがおだやかにお話を終えます。モフィンちゃんはしばらく黙って、おじいさんのお話をモフィンちゃんなりに受けとめました。そうして全部受けとめきると、おじいさんからふいっと顔を背けました。お話を聞くまで自分が考えていたことが、とっても恐ろしくて、恥ずかしくって。そんなふうになっているのをおじいさんに悟られたくなかったのでした。

ふと気づくと、空はもうピンク色になりかけていました。おうちに帰らなくてはいけない時間が迫っています。モフィンちゃんはおじいさんと並んで座っていたベンチからぴょん、と降りました。そして、カバンからあの素敵なぺろぺろキャンディを取り出すと、おじいさんにこう言いました。

「 おじいさん、私のお話を聞いてくれて、あと、とっても面白いお話を聞かせてくれてありがとう。これ、ほんのお礼のきもちよ 」

おじいさんはびっくりした顔で

「 おや、ずいぶんと立派なぺろぺろキャンディじゃないか。わしがもらってしまってもいいのかい? 」

モフィンちゃんがうなずくと、おじいさんはしわしわの笑顔で 「 ありがとう 」と微笑み、ぺろぺろキャンディを受け取りました。

「 そろそろかえらなくっちゃ。ママが心配するわ 」

「 そうかい。おじょうちゃんとお話ができて楽しかったよ、ありがとう。気をつけてお帰り 」

「 私も、とってもためになったわ。おじいさんも気をつけてね 」

そう言うと、モフィンちゃんはおうちの方へと歩き始めました。

「 …… やれやれ。とんでもないことを考えてる子どもを見つけたから最初は取引を持ち掛けてやろうと思っておったのに、ついお喋りなんぞしてしまったのう。まああの子ども、根は真面目そうじゃったから取引をしようとしても失敗じゃったろうて。まあ、他にもいくらでもお客は見つかるじゃろう。大昔に自分たちでした約束を、その意味を、忘れてしまっている人間なんか沢山おるからのう。今日の収穫は、コイツだけで満足しておくこととしよう 」

そう呟くと、おじいさんはモフィンちゃんからもらったぺろぺろキャンディに、ぱくっとかぶりつきます。夕陽に長く伸びるおじいさんの影には、満足そうに揺れる尻尾とこうもりのようなつばさが生えていました。


その夜、モフィンちゃんのベッドの枕元にはいつもと同じように、パフェンが横たわっていました。晩ごはんのとき、パパが金庫から出して連れてきてくれたのです。パパは、モフィンちゃんが動物園から帰ってすぐに自分から月曜日に出す宿題に取りかかったのをママから聞いたのです。その上、お仕事から帰ってきたパパにお茶を淹れて持ってくると

「 パパ、お仕事お疲れさまです。それと、宿題を忘れた私が悪いのに 、パパなんか大きらいなんて言ってごめんなさい。これからは、パフェンと遊ぶのはかならず宿題をすませてからにするわ 」

と、きちんと言ってきたのです。パパの方も、お仕事をしながら娘にとっては妹みたいな存在を金庫に放り込んだのはよくなかった、叱るにしてももっと別の叱り方をすべきだったかなと思っていたのでした。大人だって、失敗はするのです。でもそれが子どもに伝わってしまっては困ると思っていますから、パパは何も言わずに金庫からパフェンを連れてくると 「 これからは気をつけるんだぞ 」と言って娘の手に渡したのでした。

ベッドに入ってから、モフィンちゃんはパフェンちゃんをぎゅっと抱き締めて

「 私が悪い子だったせいで、辛い思いをさせてごめんね 」

と言いました。それから

「 今日はね、とってもすごいお話を聞いたの …… 」

そう言って、おじいさんから聞いたお話を語り始めました。パフェンは、なんだかちょっぴり大人になったようなモフィンちゃんの顔を見つめてお話を聞いたのでした。



《 おしまい 》

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ひとを殺してはいけないわけ 貴船 美海子 @Mimiko-Kifune

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