第5話

 数日後、寝起きの俺の元に、今回の件で巻き込まれる形となった、タツヤとシンゴが現れる。


「アキは不快に思うかもしれないが、一度別の人に相談とかしたらどうだ?」

 俺は、自宅に上がるのを嫌がるシンゴを案じ、近くの喫茶店に二人を連れていくことにした。

 シンゴとタツヤが並んで座る。

 対面して俺が一人座ると、一呼吸置いてタツヤが切り出す。

 耳に入る声を受け止めながら、視線を窓の外に流す。残暑が残るアスファルトは、陽炎に境界線が朧げで、ここまで来るまでの間、額に汗が滲んでいた事を思い出す。

 外はまだ暑さが残ってるせいか、店内は寒いくらいに冷房が効いてる。だけど、シンゴの放つ冷たい眼差しが、余計に俺の体を冷やしていった。

「別にアキが霊感があるのを否定している訳じゃないんだ。でも、自分の身に起こった事の原因って、自分では気づかない事も多いだろ? だから、さ……」

「分かった。知り合いの霊能者に相談してみるよ」

 諭すタツヤの言葉尻を遮り、俺は淡々と告げる。

 その言葉に、表情には出さなかったものの、タツヤも、シンゴも安心するのを感じ取った。

 そりゃそうだ。対岸の火事だと思ってたら、自分の身に火の粉が降りかかりそうになったんだ。誰だって他人の火事で怪我はしたくないし、なるべくなら避けたいだろう。

 俺だって同じ状況に置かれたら、普通に逃げ出したい気持ちになる。まぁ……性格上、頼られたらノーって言えないけど。

 二人の本音は聞かなくても理解できた。ほんの少し寂寥感が胸に湧いたが。

「それじゃあ、今夜にでも行ってくる」

 俺はそう言い、まだ半分以上残る珈琲を一瞥して、店から出て行った。


 日暮れと共に、急速に賑わう繁華街を一人歩く。この道を歩くのはどのくらいぶりだろう。

 人ごみが多少苦手なのもあって、普段は寄り付かない土地。それも仕事をわざわざ休んでまで。

 だけど、今日会いにいく人物の店が、ここにあるのだから仕方がない。

 ピエロが現れて以来、日毎沈んでいく重い気分で、俺以外の霊能を持つ人物──サナダの店へと歩いて行った。

 賑わうメインストーリから脇に逸れ、小さな路地の一角、在り来りな雑居ビルの半地下に、サナダの店があった。

 コンクリートの階段を降りると、漆黒の木製の扉が目の前にある。目線の先に筆記体の流麗な文字が整然と並んでいた。

「……はぁ……」

 思わず小さなため息が零れる。

 正直、サナダに会うのは気が引けた。

 確かに、俺以外で霊関係に対応できそうな人物は、サナダくらいなものだろう。だけど……。

「仕方ない。二人と約束した手前、話だけでもするか……」

 眉間に皺を刻み、渋面した俺は、諦めるように呟くと、黒く重厚な扉を開いた。

「いらっしゃいませ……って、アキか。久しぶりだな」

「サナダさん、しばらくぶりです」

 扉の隙間から姿を現したのが俺だと気づくと、途端に砕けた言葉でサナダさんは出迎えてくれる。俺も苦笑を浮かべたまま小さく頭を下げ、店内に体を滑り込ませた。

 仄かなオレンジ色の照明に包まれた中を歩き、カウンターの一つに腰を下ろす。黒に塗装されたテーブルに、そっと紙コースターが置かれ、「何飲む?」とサナダさんが俺に問いかけてきた。気分的に強い酒を飲んで紛らわしたかったが、話をするために来た理由を思い出し、ビールを、と返す。

「しかし、お前が前に来たのはいつだったか」

 きっと久しぶりに顔を見せた俺に対する皮肉を言っているのだろう。

 さあ、と、とぼけ、目だけを店内に移す。

 平日と早い時間を見越して来たが、まさか俺しか客がいないとは思わなかった。

 ほどなくして、紙コースターの上にビールグラスが置かれた。照明に照らされ、いつもよりも深い琥珀色をした液体は、下から上へ小さな泡が昇り、こんもりと肌理の細やかな泡へと消えていく。

「ま、とりあえず、それを飲んでから話しようか」

「……っ」

 どうやら、この人は今日の訪問の意図に最初から気づいていたようだ。

 いただきます、と呟くと、グラスに手を伸ばした。

 グラスの端に口を付ける。すると柔らかな泡の奥から、刺激的なビールが流れてくる。口の中を喉を弾け、胃の腑に落ちるとアルコール独特の熱が燃え出す。次から次へと苦い炭酸を喉に流し、知らないうちにグラスの半分程が消えてしまっていた。

「さて、本題を聞かせてもらおうか」

 サナダさんはここに来るまで、一度だけカウンターから離れた以外は、じっと俺が話す機会を覗っていたようだ。

 きっと一度離席していたのは、他の客が入ってこない配慮をしていたのだろう。現に、ここに来て一時間近く経つのに、誰一人として入店した記憶がなかったから。

 こういうのも大人の配慮というのか。二人だけという安心感から、俺は今回自分の身に降りかかった出来事を、ぽつりぽつりと話していた。


 話し終え、しばらくの沈黙が店全体を覆う。

 気まずさから、途中で切り替わった水割りを口に含むと、サナダさんは深いため息を漏らし、苦しげに告げた。

「俺には、お前の背負っているものは対処できない」

 一瞬、我が耳を疑う言葉を聞いた気がした。

 サナダさんは、俺が知ってるだけでもかなり高い霊能力を持つ人物だと認識していたのだ。

 その彼が対処できない。ピエロはそれだけ俺の想像以上の魔物だったのか。

 本当の意味で霊能力を持ったカエデが姿を見せない状況、最後の砦とも言えるサナダさんさえ匙を投げたのだ。俺はピエロに取り込まれ、そう遠くない未来に殺されてしまうのか……。

 ブルリと悪寒する体をごまかすように、一気に水割りを煽る。急速に内蔵を灼き、血流に乗ってアルコールが全身を巡るものの、頭は逆に冷め、現実が重くのしかかる。

 深刻にグラスを見つめる俺を見て、サナダさんが口を開く。

「俺が見えてる範囲でしか言えないが、そのピエロの正体は霊というか、元は霊だったものが長い時間を経て、残留思念となったものだ。正直、霊を紙に例えると、残留思念は長年蓄積して凝縮されたダイヤモンドみたいなものだ。悪いが俺には対処どころか触れもできない」

 そう言って、サナダさんはロックを、ぐいと煽った。

 ダイヤモンド……。この世で一番硬い鉱石。ダイヤモンドはダイヤモンドでしか磨けないと言うことは誰もが知っている。

 ピエロはそれに値する、と。

「多分、何かしら波長が合って、お前に憑いたんだろう。そのピエロは最終的には、お前を取り込んでしまいたいんだろうな、多分」

 妙に憶測じみた話しに、この人でも駄目だったのか、と意気消沈する。それと同時に、なぜカエデがピエロに気づかず眠ったままだったのか把握できた。

 きっと、俺は俺と同じでありながら、不気味しかないピエロに取り殺されてしまうのだろう。

 今日、明日の出来事ではないにしても、そう遠くない未来、確実に忍び寄り、俺は死んでしまうのかもしれない。

「……!」

 ゾワリと全身の産毛が一斉に逆立つ。

 いやだ、まだ死にたくない。まだ生きていたい!

 あんな……あんなピエロに……っ。

 悔しくて、周りも自分もピエロに対抗できない歯がゆさに、唇を噛み締める。寝不足でかさついた薄い皮膚は、わずかな刺激で割れてしまい、口の中に鉄の味が広がってアルコールと混じる。

 自分を落ち着かせようと、水割りを飲む。生傷が晒された唇にぴりっと痛みが走る。

 だが、そのささやかな痛みが、俺の中に小さな疑問を波立たせる。

 それはピエロの容姿だ。なぜヤツは俺と同じ顔で現れた。残留思念といえども、俺の姿を真似る必要はないはず。

 俺はその事をサナダさんに尋ねた。

 彼は唸りながらグラスをクルクルと回していたが、何か思いついたのかこちらへ顔を向ける。

「憶測というか、こうだとはっきり断言できない話しになるが……。お前の中に別のお前がいたとして、そのピエロは別のお前と同調する事で完璧にお前を支配したかったんじゃないのか」

 じっと俺の目を見て、話すサナダさんは、まるで俺にじゃなくカエデに向かって言っているような気がした。

 サナダさんは、俺の中の別人格であるカエデの存在は知らないはずだ。というか、こんな事を方々に吹聴していたら、俺が頭がおかしい奴だと思われる。だから、サナダさんにも話した事のないカエデに向けて告げている事に、驚きを隠せない。

「ま、残念ながら、俺には無理だけど、ここまでヒントを出してやったんだ。あとは自分で何とかするんだな」

 サナダさんは肩を竦め、おどけてみせるとカウンターから出て、出入り口へと歩を進める。

 確信はないと言いながら、サナダさんはカエデにメッセージを与えた。霊能のない俺ではなく、本当の意味で強い霊能を持つ別人格であるカエデへ。

 改めて、サナダさんの高い能力を感じ、畏怖と共に、人に話した事で得た安堵感に包まれていた。

(アキ)

 サナダさんの背中が遠ざかっていく中、不意に、脳へと直接語りかける声が響く。

 それは自分の声と同じなのに、声音は俺が出さないほど優しく、そして残酷だった。

(安心して、アキ。もう大丈夫。僕が君の憂いを……ピエロを完全に抹殺してあげる……)


 濡れた髪をタオルで乱暴に拭きながら、浴室からリビングへと入る。ヒヤリと冷風が頬を撫で、水分の残る肌を冷やす。

 そのまま冷蔵庫から缶ビールを取り出し、ソファベッドに勢いよく体を預けた。

 はぁ、と吐息が漏れたのは、疲労もあったが、耳に残るカエデの言葉のせいもあった。

「カエデ……。本当にピエロを殺す事ができるのか……?」

 ふと零れた疑問は、カエデに投げかけているようであり、独り言のようにもみえる。

 あれだけ危険な目にな遭っても、カエデは表に出てこなかった。

 ……いや、曖昧な記憶だが、俺がシンゴとピエロの間に割って入った時、ピエロが取り込もうとしたのを阻んだような気がする。

 だとしたら、カエデはピエロの正体に初めから気づいていたのだろうか。

「俺にはカエデの思惑は分からないな……」

 もう何度目か分からないため息を落とし、持ったままのビールを開けて、ぐっと飲んだ。

 今日はかなり酒を飲んだからか、たかがビール一本で酔いが体を包む。

 まだなにも解決はしていないのに、急激に疲労の波が押し寄せた。

 まだ半分も減っていない缶をテーブルに置き、ソファベッドにゴロリと横になる。

 体は睡眠を欲しがっている。でも、このまま眠ってしても良いのだろうか。また現実か夢から、ベランダを通してピエロが入って来やしないだろうか。

 もし、ピエロが現れたとして、サナダさんと言った通り、カエデが助けてくれるのだろうか。

 不安は覚醒を促すも、瞼は重く閉じていき、いつの間にか深い眠りに落ちていった。


 遠くから何かの音が聞こえ、ふ、と意識が浮上する。

(あれ?)

 リビングで寝ていた俺の視界いっぱいに、灰色の壁が目に飛び込む。いつもなら、右手に備え付けのクローゼット、反対側には煙草の脂で薄黄色になった壁があるはずだ。

 不思議に思いながら起き上がると、俺がいたのは寝室のベッドの上。だけど、全ての配置が反転し、モノクロに彩られていた。

(あぁ、これは夢か)

 いつものピエロの夢ではなくて安心を憶えるものの、それと同じくらい不安がよぎる。

 もしかして、白と黒と灰色の部屋がそんな気持ちにさせるのだろうか。

 とはいえ、このままベッドの上にいても、どうしようもないと思い、先ほど微かに聞こえた音の元を辿ろうと立ち上がる。すると、俺の行動を促すような、ひぃー、と掠れ、細くたなびく声が、リビングと思われる方角から聞こえた。

(……悲鳴?)

 聞いたことのある声に導かれ、リビングの扉を開くと、俺は凄惨な光景を目にしてしまい、閉口してしまった。

 先ほどまでいたモノクロの世界とは違って、全てが赤に染まっていた。まるでピエロの着ていた血染めの衣装のように──。

「一体何が……」

「やあ、アキ」

 声に引っ張られ、そちらに顔を向けると、真っ白な着衣を鮮血に染め、子供のように笑みを綻ばせる自分の姿があった。

 俺は彼を知っている。彼はもう一人の俺──カエデ──だ。

 血溜りの中心で、カエデは今にも鼻歌を歌いそうな上機嫌で何かをちぎっては捨てている。

 白い何かが小さな屑となり、床に捨てられ血を吸い消えていく。

 パンをちぎるように、ちぎっては捨て、ちぎっては捨て、ちぎっては……。

「カエデ、お前何をちぎっているんだ……?」

 一歩、二歩とカエデに近づくたび、血の生臭いにおいが強くなっていく。肺までまとわりつくにおいを塞ぐように、手で口と鼻を覆いながらも、何とかカエデの傍まで寄った俺は、カエデがちぎっていた物が”誰か”と知り、一気に嘔吐感が込み上がっていた。

 胃液が喉を灼き、押し出す汚物を必死にせき止め、苦しくて涙が浮かぶ。

「アキ大丈夫? 今、コイツを処理しているから、もう少しだけ我慢して」

 カエデは俺を案じながらも、かつてはピエロだった残留思念を、指でいとも簡単にちぎっていく。その姿は子供の持つ残虐性が滲んでいた。

 化粧の剥げかけたピエロが「タスケテ」「モウヤメテ」「ヒイィィィィ」と、悲鳴混じりに懇願を繰り返す。その度に血臭がさらに強くなる。俺は自立する力が抜け、血溜りの中に膝から崩れていった。

 ぬちゃり、と粘着く血の音が耳に届く。

 とうとう耐え切れずに、真紅の池の中に吐瀉物をぶちまけていた。

(これは拷問だ……。俺を恐怖に陥れたピエロに、あえて痛覚を与え、その状況で体をちぎっている)

「気持ち悪いなら、アキは現実に戻って眠ってしまってもいいよ。コレは、僕がちゃんと処分・・しておくから安心して」

 カエデは一瞬だけ手を止め、無邪気な笑顔をこちらに向けて告げる。その言葉に、俺は否定に首を振るしかできなかった。

 指で摘み、ひねって、引きちぎって。刃物の一瞬の痛みではなく、じりじりと皮膚の痛みを与え、筋肉の繊維を無残に断裂させる。

 余りにも子供じみた、猟奇的な拷問を前に顔を背けたかったし、カエデの言うように逃げてしまいたかった。だが、視線はカエデとピエロに釘付けとなり、気が狂いそうになりながらも、指先ひとつ動かす事もできないまま、二人を見続けるしかできなかった。

 俺の体を俺がちぎって捨て、それを俺が眺める狂気的な世界。

 サナダさんがダイヤモンドのように硬いと言ったピエロの体は、カエデの指で簡単に小さくなっていく。

 ふと、俺の存在に気付いたのか、ピエロと目が合う。ヤツは至るところが欠けた腕を必死に伸ばし「タスケテ、オネガ……イ」と助けを求めてくる。

 俺は座り込んだままの場所から動けず、ピエロが伸ばしてきた腕が、次第に小さく刻まれてく様子を、見ているだけしかできなかった。

「もう大丈夫。これからも僕がアキを守ってあげる」

 くるっとこちらに首を捻って告げたカエデは、満面の笑みを浮かべ、無邪気にピエロを引きちぎり続ける。


 俺は改めて、カエデという存在に慄きながらも、ピエロが人の形を完全に失うまで、瞬きもせずに、ただただ眺めていた──。



 あの妄執の塊だったピエロが、カエデによって消滅してから一週間。

 俺はピエロが現れる前の生活リズムを取り戻そうとしていた。

 まぁ、一度こじれてしまったシンゴとの関係は、いまだに距離を感じるものの、周囲の説得という名のイジリにより、ゆっくりと元の位置へと近づいているようだ。

 そして、俺自身も一部を覗いて、バイトにバンドの練習にと、日々の穏やかな生活が戻っていると実感している。

(アキ、まだ怒ってる?)

 脳内に直接響く声を無視して、帰宅路を急ぐ。

 気づけば、夜になると肌に感じる風は爽やかとなり、季節は秋へと静かに流れているようだ。

 俺は心地よい風を頬に受け、ひたすら謝り続けるカエデの声に耳を塞いでいた。

 カエデがピエロを無残にちぎっていた間、ずっとカエデに畏怖を感じていた。

 元々副産物として、以降俺と共に生きてきたカエデを、この時ばかりは恐れおののいていたのだ。

 いつか、俺の心を乗っ取って、自分がアキとして生きていくのではないか──と。

 正直な話、何度もカエデの霊能力に救われたのは否定しない。実際、霊感のない俺をカエデは幾度となく助けてくれたのだから。

 でも、それが共生している肉体を失う恐れで助けたのではないとしたら?

 無邪気な子供の思想で、俺の意識を破壊し、自分が主人格になるつもりで、狙ってないと言えるのか?

 疑心暗鬼になった俺は、カエデの呼びかけにも返さないと決めたのだった。


 いつものように、カーテンの隙間から漏れる陽で目が覚める前に、なぜか脛から鈍い痛みを感じ、眠りから目覚める。今日はバイトもバンドの練習も休みで、まだまだ惰眠を貪っていたいと思っていたのに……。

 眩しさに手を目の前に持ってくると、手にしていた黒い物体がぼやけて見えた。

 起き上がって冷静に見てみれば、それはゲームで使用するコントローラーであった。

「んー? なんでコントローラーなんて持ってるんだ?」

 しかも起き上がってから気付いたが、つけっぱなしのテレビには、見知らぬゲーム画面が映っている。確か、買おうかどうかで迷っていたアクションゲームだった筈だ。

「こんなの買った記憶ないのに……」

 疑問に頭の中が支配されていると、思い出したかのように脛の痛みが振り返る。もしかして寝ている間にどこかでぶつけたのだろうか。

 痛みの出処はすぐに見つかった。パジャマ代わりのハーフパンツから伸びる細い脛に、ぽっこり腫れ、内出血した痣が見える。

「うわ、結構腫れてんな。いつやったんだ? コレ」

 湿布したほうがいいかもしれない。

 ひとまず、ゲームの件は置いといて、コントローラーをソファに放り、キッチンにある冷蔵庫の扉前に立つ。

 湿布でとりあえず冷やして、もし痛みが引かないなら、病院に行くしかないのか。あんまり医療費とかに金使いたくないんだけど……。

 内心でブツブツ呟き、扉を開いた俺の目に、白い箱が飛び込んでくる。記憶にない物体におそるおそる手を触れ開けてみると、チョコレートケーキと、モンブランが並んで鎮座していた。

 やっとそこで、足の怪我もゲームもケーキも誰の仕業か把握する。

(カエデ、か)

 俺は深く長いため息を落とし、冷蔵庫の扉を閉め、リビングへと踵を返す。

 ふと、テーブルの上に白い紙があるのが目に入り、首を傾げながらも手にとった。そこには「ごめんね、アキ。僕のこと嫌いにならないで」と文字たどたどしいで綴られていた。

 ああ、とそこで納得の声が漏れる。

 きっと、ゲームもケーキも、カエデなりの謝罪なのだろう。

「もういいよ、カエデ。俺も冷たくして悪かった」

 声にして告げると、ずっとモヤモヤしていた物が霧散していくのを感じていた。

(でも、ゲームもケーキも俺の財布から出て行ってことには変わりないんだけどな)

 ゲームは良いとして、ケーキは俺自身甘いのが苦手なのだ。逆にカエデは大好物なんだけど。

 結局、足の脛の怪我の理由は解けないまま、渋い顔でケーキを食べ、カエデと彼が勝手に買って来たゲームで一日を過ごしていたのだった。



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パントマイム 藍沢真啓 @bloody-cage

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