仙台市街篇

炭火の芳香とともに……

牛タンの定理

 土曜日の昼下がり、西口の駅前デッキから見る仙台のビル群に、軽い立ちくらみを覚える。


「でかい」


 元から少ない語彙がさらに削られて、口にできたのはたった三文字だった。仙台でこれなんだから、東京に戻ったら絶句しちゃうに違いない。


 一週間近く高層ビルを見ていなかった。この人ごみも。みんな歩幅が広くて、せかせか前をゆく。スピードに追っつけなくて酔いそうになった。


 駅前デッキを降り、チカチカする目をしばたきながらアーケード街を歩く。駅よりもたくさんの人で溢れていた。



 今日の宿泊地はビジネスホテルで、広瀬通と国分町通が交差する一角にある。仙台市街には格子状に通りが整備されている。

 三ツ葉の話によると、広瀬通とは駅の北側から西へ伸びるイチョウ並木の大通りなのだそうだ。


 ちなみにホテルの最寄は仙台駅じゃなくて地下鉄の広瀬通駅なんだけど、当然のように乗らなかった。

 仙台駅から目的地まで徒歩一五分だから、三ツ葉の足じゃ余裕余裕、ちょこっと散策圏内なのだ。


 かくいうわたしも一五分程度じゃつらいと思わなくなっていた。

 慣れって怖い。



 ホテルに荷物を置いてまちへ繰り出す。

 家族へのお土産はここで買うと決めていたのだ。決めていたといってもそれはスケジュール的にここ以外で買う場所がないって意味であって、なにを買うかまでは決めてない。

 お母さんが萩の月を買ってきてって言ってたのを思い出す。


 萩の月。

 そのポスターは仙台のいたるところで散見する。萩の月小町ちゃん、という名前かは知らないけど、萩の花を手にした着物の女の子の絵は仙台に来る前からなんとなく知っていた。

 そういえばこの子、ロッテのキャンディ〈小梅ちゃん〉とよく似てる気がする。



 仙台は今まで旅してきたとこと比べるまでもなく活気にあふれていた。

 紛れもない東北地方の中心地だ。歩いてるとどんどん東京を歩いてたころの感覚を取り戻していくんだけど、不意に入ってくる雑談は東北なまりで、ここが旅先なんだと突き放される。


「依利江、お土産は決まった?」

「あーっと、も少し待って」

 土産の配送手続きを終えた三ツ葉が戻ってきた。


「これ、なんてゆるキャラだっけ?」

 三ツ葉の視線の先には鎧を身にまとったおむすび顔のキャラクター缶バッヂが数多く並んでいる。

 伊達正宗風の三日月をあしらった兜と、海苔の部分が口になってるのがチャームポイントだ。


「むすび丸だよ。三ツ葉、知らないの?」

「いや、最近見てなかったからさ。これ、兜脱いでも三日月は頭に付いてるんだね」

「そういうキャラなんだよ」


 バッヂのなかには入浴するむすび丸やおむすびを食べるむすび丸がいる。その姿がまた愛くるしいのだ。


 最終的に萩の月を家に送り、ホテルで食べる用のも買った。

 牛タンスモークに手を出そうとしたけど、それは今日の夕食まで我慢しよう。



 ハピナ名掛丁商店街に着くころには五時半をまわっていた。

 なんだかとてもおいしそうないい香りがする。というより、いろんな匂いが混じりあってると言ったほうがいいだろう。

 炭火焼のいぶした香りとか、メロンソーダの甘い香りとか。


「ちょっと早いけど、ご飯にしよっか」

 三ツ葉のお腹もぐぐうと鳴ったのだろう。彼女の誘いに大いに賛同する。


「うんうん、牛タン牛タン!」

 目についたお店に入った。

 店名は達筆すぎてよくわからなかった。

 ロゴの近くに筆書きで〈RIKKYU〉とあるから、〈りきゅう〉と読むんだろう。



 半自動扉を開けると大勢の店員が出迎えてくれた。大勢、というのは本当に多くて、七、八人のフロアスタッフが、そう広くもない通路にひしめくくらいだった。

 明らかにお客さんより多い感じがする。


「六時を過ぎれば賑わうんじゃない?」

 着席し、飲みもののメニューを開いた三ツ葉はそう踏んでいた。

 ここは駅から近いし、たぶんその予想は当たると思う。新しいお客さんが三人入ってきた。


「牛タン定食といったら、まずはビールだね」

「そうなの?」

「決まりはないだろうけど、うまそうでしょ。一発目は牛タンとビールって感じでさ」

 牛タンからしたたる肉汁とビールの口当たりを想像して、思わず深く頷いた。



「生中ふたつ。あと牛タン定食三枚、ふたつで」

 なんかすごい常連感のある注文方法だけど、当然初見のお店だ。

 三〇秒後にお通しとジョッキがやってきて、さらに六〇秒後、定食が運ばれてきた。

 この迅速感はフロアスタッフの多さと呼応するようだった。


 牛タン定食には麦飯とスープがついている。青菜漬けが牛タンのお皿に添えられていた。



「乾杯しよっか」

 一通り写真を撮ったあとで、黄金色のジョッキを片手に三ツ葉が言った。


「うん。それじゃあ……」

「今日もお疲れさまでした」


 かちり、とジョッキを触れ合わせる。

 飲む。


「……うゃ~」

 声にならない声と共に白髭を生やし、プレミアムモルツののどごしと残香を満喫した。



 ジョッキを置いた三ツ葉は厚切りの牛タンをはふっと頬張り、目を閉じて味わっていた。わたしも前のお皿に目を落とす。


 牛タン。六切れが乗っている。

 実は牛の部位で一番好きなとこだったりする。

 焼肉食べ放題だと真ッ先に頼んで、薄切りの肉に直接レモン汁をかけて食べちゃう。あの独特の弾力は、何度だって食の喜びを再確認させてくれる。


 ただ、仙台の牛タンはその厚みが違った。

 焼肉でいえばハラミなみのヴォリューム。その厚みだからこそ許される包丁の切り込み目。表面の焦げ目から炭火のかぐわしさを漂わせている。

 その一方で切れ目から覗かせる断面は赤い色が残っていた。牛タンの旨味がこのなかにぎゅぎゅっと詰まってる証拠だ。


 こんな観察をしてる間に湯気が減ってしまう。

 牛タンは熱いうちに食えってことわざがあるように、ぱちっと割箸を割って、一切れ口にした。


 この歯ごたえは、牛タン定食以外知らない。

 焼肉で食べる薄切り牛タンでも感じ取れる歯ごたえはそのまま、卑怯なくらいやわらかいのだ。今まで弾力とやわらかさは相容れないものだと思ってたけど、彼らは一品に内包できる概念らしかった。


 ああ、噛むごとに牛タンの汁と唾液が絡み合う。なんて濃厚なディープ・キスなんだろう!


 炭の香りも相まって、これは、もう、


「たまんなく、おいしい」


 と口にする他なかった。



「その通りだ。たまらないね」

 三ツ葉は麦飯をかきこんだ。


「そうそう、牛タン定食は完成された組み合わせによって成り立っているんだよ」

「完成された組み合わせ?」

「そう」

 彼女はビールを二口飲んだ。


「これは写真仲間の情報なんだが、牛タンめぐりをすると、どの店も同じ構成をしていることに気づくらしい。牛タン、麦飯、テールスープ、青菜漬けあるいは白菜漬け。このラインナップはほぼ必ず出てくる」

 三ツ葉はテールスープをすすった。


「テールって、なんのこと?」

「牛の尻尾だよ」

 レンゲで掬って見せた。骨にくっついた白いお肉だ。


「尻尾って食べられたんだね。牛の頭から尻尾まで味わえちゃう気分だなあ」

「そういう意図があるのかはわからないけど、しゃれっ気があるよね」

 と言って三ツ葉はテールを前歯で剥いだ。


「それにしても、どこでも同じ組み合わせって、なんか決まりでもあるのかな? 三ツ葉知ってるの?」


 ラーメンの激戦区だと、それぞれの店がそれぞれの趣向を凝らして、オンリーワンでナンバーワンなラーメンを競い合ってるイメージがある。仙台は牛タン屋の激戦区といえるだろうけど、どうもそういうわけじゃないらしい。


「私もそんな詳しく聞いたわけじゃないからわからないよ。けど、どうも牛タン定食発祥の店と同じ構成らしい。一つの家から分かれた結果、今に至る。

 こうして食べてて思ったのは、どの店もアレンジをしなかったのではなく、できなかったんじゃないかってことだ」


 三ツ葉はビールで口を湿らせ、さらに続けた。


「牛タンの旨味を麦飯が受け止める。麦飯は白飯よりいい意味で味を主張しないから、牛タンの味が活きるんだよ。

 テールスープや青菜漬けはあっさりしていて、口のなかをリフレッシュしてくれる。脇役が複数あることでメリハリが生まれ、牛タン麦飯のコンビを飽きさせることなく二口目、三口目でも楽しめる。なかだるみしない。ビールもすすむすすむ」


 三ツ葉のジョッキは、縁に留まった泡を残して空っぽだった。


 話を聞きながらテールスープを飲んだ。塩コショウベースのスープに長ネギが入っている。シンプルで牛タンが映えそうな味だった。



「さあて、二杯目といきたいところだけど、せっかくだから地酒でも頼もうかな。東北の日本酒はおいしいんだ。依利江も頼む?」

「あ、うん」


 半分ほど残ってたビールを一気に飲み干すと、三ツ葉と一緒にメニューを眺めた。

 浦霞、日高見、男山……。純米吟醸とか特別本醸造とか、未知の文言が羅列されている。


「よくわかんないや。三ツ葉、オススメはある?」

「私は浜千鳥って決めてるけど。そうだなあ、牛タン残ってるんなら、一ノ蔵なんてどう? 特別純米酒超辛口」

「辛口……ってことは、辛いんだよね」

 うん、当たり前のこと尋ねちゃった。


「どういう辛さなのかは銘柄によるからなんとも言えないけど、食中酒として飲むならキレのある辛口がいいんじゃないかな」

「えっと……三ツ葉って、いくつだっけ?」

「二〇歳だよ。依利江と一緒なはずだけど」


 三ツ葉は六月生まれでわたしはそれより二週間早くに生まれた。

 それにしてはずいぶん飲み慣れた発言じゃない?



 店員を呼んだ三ツ葉は、日本酒をそれぞれ一合ずつ頼んだ。注文しなれてるというかなんというか。


「なんか、すごく詳しいね」

「詳しくもなるさ。年配の方と話すと自ずと詳しくなるんだよ」

 まあ、深く詮索するのはよそう。



 間もなく徳利に入ったお酒がやってきた。お互いの杯に注ぎ合い、もっかい乾杯した。


「最近は大吟醸至上主義というか、フルーティな香りで甘い味の日本酒こそ素晴らしいって風潮がある気がするんだけどさ」

 三ツ葉は牛タンを口にし、味わいながらもの申す。

「本醸造とか純米は食べものの味を引き立たせる。確かに主役は張れないだろうが、それでいいんだ。主役は二人もいらない。ここでの主役は牛タンなんだ……」


 彼女の言う通り、牛タンと麦飯を食べたあとに一ノ蔵を飲むと、口のなかがスッキリとしてお箸が止まんない。

 お酒単体だと味気ないけど、それはご飯をおいしく食べるためにゆとりを持たせてるんだと思った。


「浜千鳥はね、しっかりお米の味がするお酒なんだ。やや辛口だけど甘みもある。なめらかな口当たりで、飲んだあと酸味を感じる。口に残った肉汁と混じるとそれがまた美味いんだよ……」


 わたしに対して言ってるのか、独り言なのか、三ツ葉の語りはだんだんよくわからない方向へ転がりだした。


 三ツ葉、酔ってる?



 何度かお酒を酌み交わしたことはある。

 南三陸町や気仙沼市でも飲んだし、それ以前にだって飲んだ。

 大抵わたしはへべれけになって三ツ葉にデレデレしてしまうのだけど、そのとき三ツ葉はいつもしゃっきりしてる。

 頬だけ赤くしてるのがすごく可愛らしいんだけど、眼差しは少しも酔っぱらわないんだ。


 その三ツ葉が、今、とろんとした目をして徳利を見つめていた。


 やがて三ツ葉はだんまりして、深く息をついた。

 青菜を肴にお酒を注ぎたした。



 悔しい。

 釜石市で三ツ葉はその感情を抱いた。

 そしてそれは、今もなお彼女の心のなかでうずいてるんだと思う。


 仙台観光を楽しんでいるあいだ、忘れてたわけじゃない。

 わたしも三ツ葉も、お互い気にしてない素振りを見せながら、奥底では釜石の光景を、あるいはその話を見つめていたのだ。

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