そして……

三ツ葉のメモ・ノートブック

   φ



 部屋の錠は開いていた。

 ドアの先からリビングを照らす光が洩れている。


「ごめんね三ツ葉。話が盛り上がっちゃって」

 返事はなかった。


 シャワーでも浴びてるのだろう。

 そう思って中に入ると、彼女はソファーでころんと横になっていた。



 テーブルにはカメラやスマホをはじめ、ペンやらマグカップやらが散乱している。

 寝落ちしちゃったみたいだ。時間が時間だからしょうがないだろう。むしろ、待たせちゃってごめんと言いたい。


 三ツ葉は赤ちゃんみたいに背中を丸めていた。

 軽く口を開け、すうすうと寝息を立てている。呼吸とともにお腹が上下に動いた。

 いつもクールな子でも、寝てるときは無防備で子供っぽく見えた。



「そのままじゃ風邪ひいちゃうよ」

 この美貌を崩すのはもったいないけど、わたしの力じゃ三ツ葉を背負って移動なんてできないから、肩をとんとん叩く。


「ん……」

 三ツ葉が身じろぎした。

「しゃわー、あさする」

 なんか寝ぼけてる。


「そしたら、ベッドいこ? 風邪ひいちゃう」

 知らず知らず子供を諭す口調になる。眠そうに目をこするのとかまんまそれだし。


 もぞもぞ身体を起こし、頭をふらふら揺すりながら歩きだした。

 テーブルの角に足をぶつけないか心配になるけど、障害物はちゃんとよけてるところがすごい。


「あ」

 立ち止まる。

「おようふく」

 ぽつんと言ってブラウスのボタンに手をかけた。

 眠そうなのにそこらへん律儀なのは感心する。

 もうこれ寝ぼけてるのか寝ぼけを演じてるのかわかんない。

 ただ一点、こっから計り知れるのは、三ツ葉が真面目な子だということだ。

 ベッドに置かれたMサイズの浴衣を広げてあげてるわたしも、似たようなもんだと思うけど。


「や」

 深紅色のショーツ姿になった三ツ葉は言った。


 一瞬なんのことか理解できなかったけど、三ツ葉は構わずその姿のままベッドに潜りこんでしまった。

 広げた浴衣を手に持ったまんま、しばし布団のふくらみを眺める。

 枕元から跳ねた茶毛だけを覗かせ、そのままくうくう言うのであった。

 わたしの浴衣は解しませんでしたか。そうですか。

 季節の割に掛布団はもっさり厚いから、半裸でも風邪を催すことはないだろう。



 わたしもシャワーを浴びて寝よう。

 でもその前に荷物の整理をしようと思った。どうせ朝は慌ただしくなる。

 テーブルには夕飯に出る前に置いてったわたしの荷物と三ツ葉の私物がごっちゃになっていた。

 朝慌ただしく仕分けるより今仕分けちゃったほうがいい。

 明日は遠野から一気に仙台まで下るのだ。


 本当に夢のような一日だった。

 被災地旅で、無意識のうちに心が削れてたのかもしれない。

 当たり前だ。夢だと切望したくなる光景がどこまでも続いてたんだから。

 そして、そこに暮らしてる人も少なからぬ傷を負っている。

 旅して、人と接して、疲弊しないほうがおかしい。



 だからこそ、わたしは思うんだ。全部が全部同じであるはずないけれど。


 あの震災以前の被災地の空気が、きっとこのまちにはそのまま残ってるんだって。



 小物を分けてると、膝でなにかを踏んでしまった。

 机の下にものが落ちてたらしい。


「三ツ葉の、メモ帳だ」


 決して、わざとじゃない。

 拾い上げたときノートは開いてて、そのページが偶然目に入ってしまったのだ。


 それは、ながながと書き記された釜石探訪メモの末尾だった。

 二重下線で強調されていた。



『誰も素顔の私を見てくれない。釜石市も私に似ている』



 勢いよく閉じたところで、網膜に焼きついた走り書きの字体は消去できない。


 わたしの知らないまちで、三ツ葉は一体、なにを。

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