カッパの創造主

「嬢ちゃんはどこから来たんですか?」

 標準口調の質問が続く。ちょび髭さんはちらとわたしを見た。


「東京か? 大阪か?」

「東京の大学に通ってます。実家は平塚で、そこから電車で。平塚……って、知ってますか? 七夕まつり、が有名なんですけど」


「おお、知っとるよ。仙台みてえなでっけえやつだな。いろんな飾りがあってよ」

 すごい。よく知ってる。

 平塚ってもしかして知名度高いまちなのかな?

 特産品がなにかなんてみんな絶対知らないと思うけど。



 七夕まつり以外で有名なものといえば横浜ゴムとか日産の工場があることかな。

 ああでも日産工場はなくなっちゃったんだっけ。


 食べものだったらみやこまんじゅうだけど、三ツ葉に紹介したら「ただの今川焼きでしょ」って言われたの、地味に気にしている。


 あとは湘南平って山があることくらいか。

 ここから湘南って名称が生まれたのか、あるいはその逆かはしらない。

 頂上にはテレビの電波塔があって、見た目がまんま東京タワーなんだけど、なかの展望室にはおびただしい数の南京錠が掛かっている。

 カップルが南京錠を掛けると恋が結ばれるとかなんとかってウワサがあるのだ。


 まあそんなことはどうでもいいのだ。わたし、平塚のことそんな詳しくないし。

 ちなみに特産品はバラだ。小学時代、生活の授業で習った知識だけど。



「東北を旅行しとると言ってましたが、どちらを行く予定なんです?」

 ちょび髭さんの問いに、脳内平塚小話を取りやめた。


「仙台とか名取とか行く予定です。今まで石巻から海沿いを北にめぐってて。被災地を中心に、ちょこっとおさんぽ、みたいな」


「被災地ねえ」

 ちょび髭さんは言葉を濁した。


「あっちは大変そうだもんなあ」

 そう言ったのは富澤さんだった。苦い顔をしてコップを手にした。


「そういえばこの間、宮古市の道の駅がオープンしたって話をお客さんがしてましたよ。まだ仮みたいですけどね」

 若旦那も述べる。



 この反応に覚えがあった。

 申し訳なさ、苦々しい表情、知識を漠然と考える、自身に対する無力感。


 わたしそのものだ。旅する前のわたしだ。



 彼らに対してどんな話をしようか、ちょっとだけ迷った。


 陸前高田市の広大なかさ上げ工事の現場を話したら真面目な顔して耳を傾けてくれるだろうと思う。

 みんな、知りたくても知れないんだ。

 仕事があって、生活がある。おうちじゃのんびりくつろぎたい。わざわざ〈過去〉のつらい体験を引き出す必要なんてないんだから。


 だから、そうだ。この話題を話そう。

「はい、それから――」

 どぶろくをごくんと飲んだ。



「今日は遠野を走ったんです」

「遠野か」


「はい。自転車で。すごく気持ちがよかったです」

「まあなあ。そろそろ稲刈りの時期だし、ここは海沿いより涼しいしなあ」


「はい。もう、最ッ高でした!」

 語彙力なんてちっともないから、あのときの心地を一言に込めた。ちょび髭さんはふっと頬をゆるませた。

 にわかに酒場の空気が弛緩した。



「どこまで走ったんです? カッパ淵か?」

 ちょび髭さんは上機嫌に尋ねた。


「そこにも行きました。あとはデンデラ野とかです」

「カッパ淵っつうと、お嬢さん、カッパ捕獲許可証は?」

「カッパ……許可証?」


「カッパ捕獲許可証。カッパを釣るにはこの許可証が必要になるんだ」

 ズボンのポケットから財布を取り出したちょび髭さんは、そこから免許証サイズのカードを見せた。

 カッパのイラストがチャーミングだ。


「こんなん持ってたの」

「おめえ、そら遠野人として当然だろがよお」

 ちょび髭さんが富澤さんに一喝する。



「鳥獣の狩猟や捕獲は法律で禁止されてるから、カッパだって許可証が必要になるってわけだ。伝承館や駅でもらえるよ。裏にはカッパ捕獲のルールがちゃんと書かれてる。お役所の出すもんだから、ちょいと細かいがね」


 許可証を受け取る。裏面にはびっしり文字が綴られていた。

 どういうわけか文字がぼやけて見える。

 目をこらして見ると、こんなことが記されてるのがわかった。



カッパ捕獲7ヶ条


1.カッパは生捕りにし、傷をつけないで捕まえること。

2.頭の皿を傷つけず、皿の中の水をこぼさないで捕まえること。

3.捕獲場所は、カッパ淵に限ること。

4.捕まえるカッパは、真っ赤な顔と大きな口であること。

5.金具を使った道具でカッパを捕まえないこと。

6.餌は新鮮な野菜を使って捕まえること。

7.捕まえたときには、観光協会の承認を得ること。



「なんか、結構厳しいですね」

「そら嬢ちゃん、こんくれえ守られねえどな。怒って水んなか引きこまれたらこっちが危ない」


「たしかに、溺れちゃったら危ないですもんね。わたし、人と妖怪は別々に暮らしてるもんだとばっかり思ってました。カッパさんって身近にいるんですねえ」

「ま、俺は会ったことねえですけどね」


 こんな立派な捕獲許可証があるんだ。カッパは遠野に暮らしてるんだと思う。

 ちょび髭さんの語り口から察するに、タンスの裏にでも潜んでいるんだろう。



「お客さん、お冷、いります?」

 どういうわけか若旦那が心配そうな顔をしている。

 心配されるようなことをした覚えはないんだけどなあ。

 だって、こんなに気持ちがいいのだ。

 見ず知らずの、つい今しがた会ったばかりの人と話をするのがこんなに楽しいとは。

 見知らぬ土地で出会った地元の人たち。新しい発見もそこから生まれる。

 誰かが言ってたその言葉に、今なら大いに頷ける。



「ああそうそう、遠野でカッパを見たことねえけど、東京でだったらよく見たぞ」

 ちょび髭さんがとても興味深いことを口にした。


「東京に、カッパですか」

「そうだとも。あれは俺が嬢ちゃんくらいの歳んころだ」

 ちょび髭さんが正対する。


「今じゃおいぼれだが、あのころは東京さ行っで修行してたんだ。本郷でな」

「こいつ、床屋なんだ」

 富澤さんが補足する。

 本郷って、たしか東京にある地名だったと思う。文京区だったっけ。


「そうだ。東大生の髪だって切ったんだぞ。教授の髪だって。まあいろいろと話をするわけだ。小難しい話もな。嬢ちゃんならわかるかもしれねえが、おれにゃサッパリな話だってたくさんあってよ」

 ほんと、いろんな髪を切った。ちょび髭さんがぽつりとつぶやいた。


「本郷を歩いたことはあるか?」

「いえ」

 正直本郷が東京のどこにあるのかすらよくわかってない。

 東京の大学に通ってるけど、その大学というのは山手線の外側で、二三区のはずれで、急行だと下り方面の隣駅は神奈川県内になる。


「本郷は学生も大勢いるんだが、住宅街でもあってな、学生以外の髪もすこだま切った。

 そんなかにはちいせぇ女子おなごもいてよ。ま、今みでぇにオシャレなんてねぇ時代だからな、女子の髪型なんて大体決まってんだ。

 そんなわけで、東京のカッパはおらが生み出したっつぅオカッパ頭の話でした。おしまい」


「オカッパ! オカッパぱっつんカッパッパですねっ!」

 なにがおかしいのかわからないけど、わたしは笑った。


「こいつの十八番ネタなんだ。笑ぇ笑ぇ」

 富澤さんは頬を引きつらせて囁いた。いっそう笑ってどぶろくを飲んだ。



「ほら、ミタガイさん、お迎えが来ましたよ」

 若旦那が入店口を指した。

 曇りガラスの引き戸から黄色いハザードランプの点滅が見える。


「なんだ、もうそんな時間か」

 ちょび髭さんはミタガイさんというらしい。イタガイさんかもしれない。

 うまく聞き取れなかったので、ちょび髭さんはちょび髭さんと呼ぶ。


「おお、えっちゃんのお出ましか!」

 富澤さんの目がカッと見開いた。


「せっかくだし、連れてくっかな」

 ちょび髭さんが立ち上がった。



「ああ……もう。ごめんなさいねえ、お客さん」

 店主がまあるい目をさらにまあるくして私に迫った。


「お客さん、迷惑ですよね? お時間とか」

「いえいえ、いいんですよ。わたしも話してみたいですし」

「そう、ですか。なら……いいんですが」

 わたしの受け答えを聞いた若旦那の声は、こころなしか沈んでいるように思えた。



 間もなく引き戸の先からちょび髭さんが現れた。

「いいがらいいがら、しらぐらど来いって」

「んもう、酔っぱらっちゃって。なに言ってんのよ。酒臭ぇけど、何本飲んだの」

 続けて不機嫌そうな女性が入店する。


 すっくと富澤さんが立ち上がった。思った以上の長身で、ぴんと背筋を張っている。

「えっちゃんお久しぶり」

「あぁら、ご無沙汰ねえ」

 えっちゃんは笑みをたたえてお辞儀した。


 その美しい笑顔に見覚えがあった。

 右の目に、泣きぼくろがふたっつ。

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