青草につつまれて
「この電車、キイキイ言うね」
ふと、昨夜車内でしゃべったどうでもいいことを思い出した。
日が暮れると外はトンネルみたいに真っ暗だった。さっきまで部活帰りの野球少年たちで騒がしかった車内も、途中の駅でほとんど降りてしまって静かだった。
隣のボックスシートにひとり掛ける部員はイヤホンを取り出し、音楽を聴いていた。一駅前まで坊主頭を触り合ってはしゃいでいたのに、その面影はどこにもない。
「ブレーキの機構が違うんだよ」
おしゃべりしてるのはわたしたちだけだった。
「キコー?」
「ああ……依利江には難しすぎたか。あとこれ、電車じゃないから」
「え、違うの?」
「違うよ」
さも当然、と言ったふうな口ぶりだった。
「だってこれ、電気で動いてるんじゃないし。パンタグラフ付いてなかったでしょ。乗るとき見てなかった?」
ぱんたぐらふ? それは乗るとき確認するものなのだろうか?
「これはね、ディーゼルカーって言うんだよ、依利江。汽車とも言う」
「汽車? 汽車ってあれでしょ? まっ黒で、ポッポーって」
「それも汽車だけど、ぽっぽーは蒸気機関車だよ。これはディーゼル機関車」
「見た目、全然違うじゃん」
それにさっきはディーゼルカーって言ってたじゃん。名前違うじゃん。
「見た目じゃなくて、動力がだね……」
三ツ葉は頭を抱え込んだ。頭痛がするのはこっちのほうだ。
この件に関して、前々から思ってたことだけど、ついに伝えるときが来たみたいだ。
「三ツ葉って、鉄オタ?」
「それは違う」
喰い気味に否定された。真顔で。
「私なんて足元にも及ばないし。そりゃあ、特急〈ゆけむり〉の展望席に乗ってみたいとか、LSEと乗り比べたいとか思うけどさ、そんなの当たり前の欲求でしょ?」
なにが当たり前なのか一ミリも理解不能だったので、苦笑いを浮かべるしかなかった。
ポゥ、という音がして、間もなく汽車はトンネルに突入した。左右に揺さぶられながら会話は途切れた。
ゴウゴウという通過音にゴトゴトゴトンという線路音、きしみ、それからギイギイというブレーキの擦れる音が耳に突き刺さった。
無言の高校生は、きっとこの音を遮断したいからイヤホンを耳にさしてたんだと思う。形からして遮音性が高そうだった。
それが今、外から見送る汽車の音はどうだろうか。
どうしてこうももの悲しくあるんだろう。
えのころ草が橋の隅でころころ揺れていた。
自転車のハンドルを握りしめ、地面を蹴った。
道の脇は木造の商店が立ち並んでいて、直線の先になだらかな山がちらと見える。
今日の旅はまだまだ始まったばかりなのだけど、ほんの数百メートル漕いだところでまた立ち止まってしまう。
川にさしかかったときだ。
なにかを見つけたからじゃない。
城下町から異世界に迷い込んでしまったような、そんな気配を感じて、思わずブレーキにかけていた指に力が入ってしまったのだ。
視界が広がった。
いつの間にか家屋のかげは潜んで、空と大地の境に平たい山が横帯状に伸びていた。
前方や、左右だけじゃなかった。後方も同様だった。城下町の屋根の向こうに山があって、空があった。
わたしは箱庭の真ん中に立っている。
目下清流が豊かに続き、水底の石が波紋になびいている。
見とれていると吸い込まれてしまいそうになった。
「おはようございます」
きっと、自転車通学の中学生らに挨拶されなかったら、落っこちてただろう。
「あ、おはよ」
えんじ色ジャージにヘルメット姿の背中に挨拶を返す。反応が遅れてしまったのは風景に惑わされてただけじゃない。
おはようって、見知らぬ人から言われるなんて普通思わないでしょ。それに通学ヘルメット。そんなの想像上のかぶりものだと思ってた。
なにが現実なのかわからない。深呼吸するとどこからともなく稲穂の香りが漂ってきた。
青い田んぼがちらほらと見える。
決して夢なんかじゃない。城下町の光景も、三六〇度の山も、ヘルメットも、みんな現実だ。
ただわたしの日常とすこし違うだけで。
なんだかこのまちはどこにもない不思議な魅力がある。先入観からなのかもっと別のなにかなのか。
この先に答えがあるかはわかんないけど、とにかく行ってみようと思った。
φ
自転車で遠野を旅するのは正解だった。
本当に遠野を満喫するならこれだ。
カッパ淵まではバスでも行けるけど、その倍は楽しめるんじゃないだろうか。提案してくれた三ツ葉にはあとでお礼を言っとこう。
その理由を考えて、最初空気がおいしいからだって思った。でもサイクリングして、あぜ道や川辺を走ってみて、それだけじゃない気がした。
もちろん、空気はおいしい。慣用句でもお世辞でもたとえ話でもなく、味覚に訴えかけてくるおいしさだ。
単に遠野が好きだからなのかもしれないけど。ただなんか、樹の風味というか、稲穂の香りというか、上質な軟水みたいな喉ごしというか。
とにかく本当においしいと思えたのはここが初めてだった。間違いない。
間違いないけど、それだったら全開の車窓から顔を突き出したほうがお腹いっぱい味わえて気持ちいいと思う。
自転車がいいとか空気がおいしいとかじゃなくて、自分の体内時計を遠野時間に合わせられるような気がするのだ。
自転車は中学時代と気仙沼以来だ。
大学はどっか行くときは電車を使ってた。だから自転車を漕いでると幼いころに戻ったような感覚に戻る。
それも遅刻ギリギリを大慌てでペダルを回すようなのじゃなくて、自分の好きな速さで走れる、そんな自由さを持ってたころだ。
特にここはサイクリングコースになっている。
猿ヶ石川の土手道で一番速い乗りものは自転車で、一番早い生きものは小鳥だ。
小学生のころ、クラスの男子と自転車のスピードを競ったこともあったっけか。あのころは車なんて眼中になくて、自分の速さに興奮してたような気がする。
低空を飛ぶツバメを追いかけて、結局抜けなかったのが悔しかった覚えもある。今思うとつまらなそうなことも、体力が続く限り遊んでたと思う。
一日が長かった。
知らぬ間にわたしは焦っていたのだった。
なにに焦ってたんだろう。たぶん、なにもかもだ。焦る分だけ時間が削れてったようだった。
ただ、今だけはのんびりとした時間が流れている。時計を確認する必要のない時間だ。トノサマバッタを観察できる時間だ。
のんびりに甘えて、河原の草むらに寝っころがって日向ぼっこなんてしてみた。お腹に帽子を載せて、おでこに手の甲を重ねた。
野草は昨晩の雷雨でつゆが残ってて、数秒で後悔したけども。
青地のブラウスの背中をパタパタしながら思う。洋服を汚したくないと思ったのはいつからだったろう。きっと中学か高校で、子供っぽい遊びが嫌いな子がグループにいたから、わたしも便乗したんだと思う。
ちくちくと背中にくっつく草の葉をおとすと、かすかに懐かしい匂いがした。
泥んこの匂いだ。もう何年も忘れていた。
デンデラ野への案内標識がなかったらどこまでもペダルを回してたと思う。
目的地までの距離を示す数値は少しずつゼロに近づいてって、ちょっとずつ授業で学んだデンデラ野の話が蘇ってきた。
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