汽笛の残響に
φ
昨日今日と泊まるのは、遠野市街地にある〈ホテル鍋城〉というビジネスホテルだ。
三ツ葉曰く個人経営のホテルらしいけど、個人でビジネスホテルをやってる、というのは珍しい気がする。
あんましイメージが湧かない。
赤絨毯の敷かれたロビーで、フロントの男性にカギを返却する。
「先ほどお連れ様がいらっしゃいましたが」
少々なまりの入った調子で尋ねられた。
「今日は別行動なんです。あっちは釜石へ」
「おやボランティアの方でしたか」
「ああいえ、どちらかといえば観光、ですかね?」
疑問形になってしまったのは、この旅が単なる観光とはわけが違うような気がしたからだ。
傍から見たらごく普通の観光旅行なんだろうけど。
しかし、まさか遠野でボランティアという言葉が出てくるとは思わなかった。
「もしかして、ボランティアの方もここに泊まりくるんですか?」
「ええ。二、三年前までは大勢来てましたよ。最近はさっぱりですが。あ、でも台風の復興ボランティアの方は来ますね」
台風。
そういえば観測史上初めて三陸に上陸した台風が来てたんだっけ。奇妙な進路を辿った台風一〇号だ。
「ここら辺は大丈夫だったんですか?」
「遠野は大丈夫でしたが、宮古や岩泉はずいぶん大変みたいですよ。あんな雨と風、初めてでした」
フロントの男性は目を輝かして言った。
なんだか降り積もった雪を見た子供が嬉々としてはしゃぐ様によく似ている。遠野のひとは雪なんかじゃ喜ばないだろうけど。
「
「わたしは、遠野をサイクリングしようかなと。デンデラ野とか」
「自転車ですか」
「駅前にレンタサイクルがあると聞いたので」
「そしたらどうです、うちの自転車空いてるので、ぜひ使ってってください」
「え、本当ですか?」
「ちょっと待ってくださいね。カギがここにあったはず……」
フロントの棚からカギを取り出した男性は、キーホルダーをくるくる回しながら外に出た。
わたしも付いていく。
自動扉の外に出ると、涼しげな空気が肌に触れて、びっくりした。
この時期に涼しさを感じるのは初めてかもしれない。秋が近い。肺が感じとった。
フロントマンは何食わぬ顔でホテルと隣家の間に停まる自転車を引っ張り出した。
真っ黒いカゴ、真っ黒いボディ、真っ黒い泥除け。
そこに黒いサインペンで書かれた〈鍋城〉の文字が光に照らされて見えた。
「空気は……若干抜けてますが、まあ大丈夫でしょう。電動アシストも変速もありませんが、もしよかったら使ってください」
「ありがとうございます」
気仙沼の金港館といい、ここといい、自転車を貸してくれるとこは結構あるらしい。
せっかくの好意なんだし、ムダにするいわれはどこにもない。
男性から自転車のカギと、それから〈遠野郷サイクリングMAP〉を受け取る。大抵の名所は網羅されている。
「そんじゃあ、お気をつけて」
黒塗りのママチャリ。
勝手に
男性が見送るなか、ペダルに体重をかける。
わたしの〈遠野物語〉を綴りに行こう。
φ
遠野と聞くと田園で、田舎で、妖怪をイメージする。
でもそれは遠野の一側面でしかないらしい。
というのも、遠野市街は二百数十年の歴史を持つ城下町だからだ。自転車を走らせてるとなんとなく小田原城下のような雰囲気を感じる。
まっすぐマス目状に張り巡らされた道は当時の名残なんだろう。
また、内陸の都市と沿岸の都市を結ぶ宿場町として市場が栄えたのだった。
だからなのか街道に連なる商店はみんな年季を感じる。
そんな話を先生がしてたような気がする。
〈民俗から見る文学の探究〉の先生は言葉の節々を修飾することで有名だったから、若干の勘違いはあるかもしれない。
教授としてどうかと思うけど、先生は教授であると共に詩人でもあったので実際そういうふうに見えてたんだと思う。
「重なりのある民俗文化が育まれていたから〈遠野物語〉が生まれたのです」
先生の抑揚の利いた声を思い出す。
――よろしいですか。〈遠野物語〉は縦の糸と横の糸で紡がれた布地なのです。
遠野は、内陸・沿岸を結んでいました。これが横の糸です。
すると、縦の糸はなんでしょう。縦の糸は城下の町、農村、山林で異なる暮らしが営まれたことでしょう。町で溢れたモノやウワサは農村部に淀むのです。
伝承はそう、農村という名の手織り機によって、じっくり織られたのです。こうして物語の布地が生まれたのです。
先生のこってりした講義は、わざとらしいくらいの語り口で、自由詩の朗読みたいだった。受講者の何割かは眠りに落ちていた。
机に突っ伏したくなる気持ちもわかるけど、こうも熱をこめて伝えられるのはどうしてなんだろうって思った。
単なる誇張表現なのかな。それとも、たとえないと伝えられない魅力がそこに詰まっているのだろうか。
和菓子屋のある十字路を左に曲がる。
当面の目標はこの道を四、五キロ進んだとこにあるデンデラ野だ。
マップを見ると、その近くに遠野物語の語り部、佐々木喜善の家もあるらしい。
一台の車が通りすぎ、陸橋にさしかかった辺りで、ポゥ、という汽笛が耳に入った。
欄干に掴まって音のほうを見下ろした。橋の下は線路になっていた。
単線だ。
白地にずんだ色のライン塗装がされた列車が陸橋をくぐった。
ことん、ことんことん。
子守唄みたいな音色を残し、三両編成は左に弧を描いて消えていった。
あれは、釜石へ行くのだろうか。
三ツ葉、ちゃんと乗れたかな。切符、買えたのかな。
あのどこかの車両に三ツ葉は座ってるのかしら。
なんか、不思議だ。
今、お互い見えないまますれ違ってたんだ。
胸のなかで線路の音が刻まれる。哀愁の気持ちが込み上がった。
なんでだろう。昨夜はわたしだってあの汽車に乗ってたのに。
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