デンデラ野、それとカッパの地
民俗から見る文学の探究
「う」
前の席から回ってきた講義資料に目を通して、思わず声を洩らしてしまった。古い文学作品特有の、あの漢字の多さに読む意欲が半減した。
こういう感覚にひたるたび、なんで文学部に入ったんだろうって思う。
「君たちのなかで棄老伝説を知っている者はいるかい?」
チョークを置いた先生は振り返り、語りかけてきた。
黒板には〈棄老〉と書かれている。先生の細い生糸みたいな字じゃ不似合いな言葉に映った。
棄老伝説なんて初めて聞く。
手を挙げる人はいなかった。知ってて挙げない人もいたろう。
なにせ先生の授業は退屈だし、もし表立った反応をしてしまえば、先生の〈お気に入り〉にされてしまう。
「いやあ、一人くらい知っててもおかしくないでしょう。ねえ、岳ノ台さん」
隣の席に座る三ツ葉が小さく舌打ちをし、起立した。
諏訪大社の回以降〈お気に入り〉になってしまった三ツ葉は、たびたび質問――ときに無茶ぶり――を受けるのだった。
「いわゆるうばすてやまの話でよろしいでしょうか?」
よろしいでしょうか?
……三ツ葉の役目は、学生的模範解答を述べることだ。
「素晴らしい。そうです、うばすて山の物語でございます。岳ノ台さん、どんな内容かは……」
「いえ」
そっけなく答えると役目を終えましたと言わんばかりに着席する。
「そうですか。岳ノ台さんなら知ってると思ったんですが」
きっと三ツ葉は知ってる。でもそこまでするサービス精神はないらしい。
「棄老伝説にはいくつかの類型があります。類型の研究に関しては他の講義に譲るとして、ここで注目したいのは、かつて老人を山に棄てる伝説があった点でございます。伝説、つまり皆さん大好きなフィクションです。
しかしながら、うばすて山は実在したのです。その証拠品がこちらでございます。皆さん資料は回りましたでしょうか。一ページ目をご覧になってください。なんと書いてありますか? そうです、日本民俗学と妖怪のバイブル、〈遠野物語〉です。
そのなかに実在するうばすて山、デンデラ野が登場するのでございます」
先生はさっとターンを決めて教卓に戻った。えんじ色のモーニングが強烈だった。
先生は遠野の概要をひと通り語ったあと、〈遠野物語〉に収録されているデンデラ野の節を引用、朗読した。
『遠野物語一一一』
山口、飯豊、附馬牛の字荒川東禅寺及
「デンデラ野は蓮台野が訛ったものであると言われております」
先生の口調が元に戻り、解説に移った。
「蓮台、つまり仏が座るハスの葉ですね。転じて蓮台野とは墓地や火葬場がある土地の名称にもなっております。京都の船岡山西麓にある蓮台野が有名ですね。冷泉帝の火葬塚もここにございます。
訪れたときの感銘を話したい衝動が込み上げてまいりましたが、皆さん早く本題へ移れと顔が申し上げてございますね。次の引用へ移りましょう」
先生はまたここで抑揚の利いた旋律を奏でる。わたしは目下の資料を見た。
『遠野物語一一二(抜粋)』
ダンノハナは昔
「非常にわかりやすい描写ですね」
地名が多すぎてわかりにくい記述だと思った。
講義を聴いてる数少ない学生からのどよめきを感知した先生は小さく咳払いをした。
「もちろん、あなた方からすれば暗号同様でしょう」
彼の軽はずみな言動は今に始まったことじゃない。
無意識的に学生を小バカにするから一部の学生には不人気だったりする。
三ツ葉も常々「自分の偏見を押しつける人」の代名詞として彼の名を使う。
「しかし、しかしですよ。実際に訪れてみると驚きがございます。ええ、宝の地図片手に迷路を辿るように、するすると地理がつかめるのです。
おそらく柳田國男も同じ場所を訪れたでしょう。國男に語り聞かせた佐々木喜善もまた、同じ地を踏みしめているに違いございません。
さて引用は次で最後にいたしましょう。こちらは〈遠野物語〉が完成して二五年後、昭和一〇年……昭和とはたまげますねえ。一九三五年に拾遺二九九話が加わった増補版が出ます。
次の引用はその〈遠野物語拾遺〉からなのですが、ここでようやく蓮台野は〈デンデラ野〉と表記されます」
『遠野物語拾遺二六八』
昔は老人が六十になると、デンデラ野に棄てられたものだと謂ふ。青笹村のデンデラ野は、上郷村、青笹村の全体と、土淵村の似田貝、足洗川、石田、土淵等の部落の老人達が追ひ放たれた処と伝へられ、方々の村のデンデラ野にも皆それぞれの範囲が決まつて居たやうである。土淵村字高室にもデンデラ野と呼ばれて居る処があるが、此処は栃内、山崎、火石、和野、久手、角城、林崎、柏崎、水内、山口、田尻、大洞、丸古立などの諸部落から老人を棄てたところだと語り伝へて居る。
文字を追えば、受講者の三割が眠りに落ちる。
クーラーの冷風が気になって、タオルケットを持ってくればよかったと後悔する。
「地名がいくつも出てきますが、どれも実在の地名です。歩いて巡れる距離ですよ。実在の地だからこそ、老人を棄てた場所があるという非現実的なものが浮き彫りになるというものでしょう。
行きたくなりませんか? 行きたくなりますよね? もちろん、私は訪れました」
先生は全国各地をよく歩き、その話を講義の箸休めとして話してくれた。
大抵は各地で会った美女の話だった。美女なんて言葉を容易く口にするのはこの先生くらいだと思うけど、大体しょうもない話だから覚えていない。
ただ、今回の話はどうも様子が違った。
「皆さん、うばすて山の地と聞いてどんな地を想像しますでしょうか? 私は人里離れた山奥を想像しておりました。
山はあの世のモティーフであることは、以前この講義で触れましたでしょう。私もそのようなイメージがありました。なにせ、
しかしその期待は外れました。信じられないことに、デンデラ野は民家のすぐ裏にあったのです。
愕然としましたよ、私は。デンデラ野と呼ばれたそれは、小高い台地にある、ちいさな野原だったのですから」
それから先生は飢饉の話を絡ませながら、かつての遠野の人々にとって、あの世とこの世が背中合わせであったことを説いた。
「今だって同じでしょ。墓なんてうちから歩いて一分んとこにあるし」
三ツ葉はペンを走らせながら小声で呟いた。
小田急向ヶ丘遊園駅から歩いて一〇分くらいのとこに彼女の住むアパートはある。
裏にはお寺があって、塀に囲まれた敷地にみっしりお墓が立っている。
最寄りのファミマまでの道中、風向きによってはお線香の香りがすることだってある。
けど、そのときのわたしはそこまで冷静でいられなかった。
この先生の受けた衝撃を想像することでいっぱいいっぱいだったのだ。
たとえデンデラ野が墓場の意味を持ってたって、その地に暮らす人を死者とみなしたって、生きてるものは生きている。
飢饉だ口減らしだと理由をつけたとしても、そこにいるのは自身の親であり、数年後のわたしなのだ。
そのデンデラ野が世の中と隔離された地であればまだ存在を忘れて日常を過ごすことができるだろう。
それなのに、寝ても覚めても非日常の世界は裏手の野原にはびこっている。そんな日常世界で、わたしは暮らしていくことができるだろうか。
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