遺構のあれやこれや。ふたりのズレ。いざや楽しき夢を見ん。

「きょうとくまる……って、漁船かなにかの名前?」

「依利江、知らないの? 全長六〇メートルの巻き網漁船で、港から七五〇メートル離れた市街地に瓦礫と一緒に流されたってやつ」

 ガレキ、という言葉に引っ掛かりと衝撃を覚えた。


鹿折ししおりのでしょ?」

 厨房から出てきた店主が話に入ってきた。


「はい、テレビで観ました」

「結構取り上げられたし、船目当てで来る人もたくさんいたからねえ」


 ガレキのこと、被災物って言うんだよ。リアスアーク美術館で知ったことを伝えようと思ったけど、タイミングを逃してしまった。


 鹿折地区。たしか気仙沼湾の一番奥に位置する地区だ。重油タンクが倒れてオイルが漏れだし、十日間鎮火することなく燃やし尽くした。

 重油が直接燃えたわけじゃない。重油を含んだ木材が蝋をまとった芯のように、長時間燃え続けたらしい。


「遺構として遺してほしいって意見もあったんだけど、二年か三年前に撤去されたんだよね」

「やっぱり、震災を思い出させるから、でしょうか?」


 三ツ葉の問いかけに、店主は微笑んだ。

「それもあるけど、莫大な保全費がかかるから、なんだろうね。船目当ての観光客はいなくなっちゃったけど、遺構にお金をかけるなら、困ってる人にお金を使ってほしいしね。実は私、大昔あの近くで暮らしてたのよ」

「そう、だったんですか」


「昔の話よ。そっから長いあいだ、福島の郡山こおりやまってところで居酒屋やってて、数年前に戻ってきたわけよ」


 郡山。聞いたことのある地名だった。たしか旅の移動日で、黒磯駅と福島駅のあいだにあった駅だ。

 仙台市と宇都宮市、新潟市といわき市を結ぶ交通の要所で、東北第二の経済規模を誇る都市だって、三ツ葉が熱く語ってたっけ。

 初めて聞く都市だな、程度に留めていたけど、まさか再び巡りあうとは思わなかった。


「鹿折、今はなんもないけど、これから災害公営住宅もできるっていうし。気仙沼で一番大きいって」

「日中まわった南気仙沼駅の周辺も、瓦礫が全部なくなってて、更地同然でした」


「南気仙沼はずいぶん行ってないねえ」

「海岸沿いは加工工場がたくさん建ってます。陸側は、これからかさ上げ工事をして住宅地になるようです」

「あら詳しい」


 再びガレキという言葉が出てきたけど、会話はどんどん先へ行く。その表現は日常会話のなかに溶け込んでいて、違和感なく使われていた。


 当たり前か。わたしだってリアスアークで知るまで、普通に使ってたもん。無自覚なまんま。


 悶々としながら、丼をかきこんだ。

 脂が溶けて米粒に味が染みている。何百回と噛んでいたいとさえ思えた。



 食後、膨らんだお腹を休ませながら、店主と一緒にテレビを観た。夕方のワイドショーは、岩手県の岩泉町いわいずみちょうを訪れたボランティアを取り上げていた。


 会計を済ましてから、わたしたちは机の裏側にメッセージと日付を書き残した。


「ごちそうさまでした。また来ます」

 礼をしたわたしに対して、店主はそれがね、と小さな声で言った。


「たぶん、次来るとき、ここなくなってると思うわ」

「え、それって、辞めちゃうんですか?」

「いやいや、辞めない辞めない。辞めるわけないけどさ、ただ、この場所が使えなくなっちゃうの。市の計画でね」

「今度はどこで?」


「さあ」

 と返事が来た。

「これからどうなるのか、わからないけど、ここら辺のどっかで必ず続けてるからさ。うちの看板見つけたら、遊びに来てよ」


 南三陸町のさんさん商店街は、丸ごとかさ上げされた場所に移転すると言っていた。気仙沼の復興屋台村はそうではないみたいだった。

 とはいえ、返答に変化があるはずもない。


「はい、いつか、きっと……!」

 〈たすく〉を出ると、外は薄暗くなっていた。西の空はトワイライトで、天上はちらほらと星がまばたいている。


 屋台村の前は、多くの車が行き交っている。通れない道と通れる道が複雑に交差していた。


「おいしかったね」

「そうだね」


 余韻にひたりながら、アスファルトの車道脇の砂利を歩く。押してる自転車のチェーンが空転してちりちり音がする。アルコールで火照った首筋を夕風が撫でた。


「今、何時くらいだろ」


 三ツ葉の問いに、カゴのバッグからスマホを取りだそうとしたときだった。


 まちのかしこからその曲は奏でられた。


 どこかで聴いたことのある……そう、それは遠き山に日は落ちて……。



 メロディを終えた音は物悲しくふつと切れた。

 時を告げる防災無線。時刻は六時だった。


 まちのいたるところに立つスピーカーは、ただ定刻を知らせるだけなのだけど、地元でも五時半になると〈夕焼け小焼け〉が流れるけど、このまちで耳にする〈遠き山に日は落ちて〉は、また特別な感情が湧き起こるのだった。

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