とろけたトンコツスープの思考。コーティング・トーキング。初めての恋人。

「依利江、なんかさ、目が変わったね」

「そう?」

「戦場を生き残った兵士みたい。陳腐なたとえだけど」

「そんな気分だよ」

 そして口を開きかける。


 語ることがあまりにも多すぎて、わたしはあんぐり呆けた顔をしたまま時が止まった。


 一体何を話せばいいんだろう。

 頭のなかはとろけたトンコツスープのようだった。いろんなものがダシのベースになっていて、乳白色をしている。

 両手を突っ込んで、材料を引っ張りだせば簡単に説明できるんだけど、残念ながら煮込んだスープは素手じゃ触れられない。

 今話せるのは、その上澄みだけだった。


「ごはんがさ」

 今ありのまま話せるのはなにかかと言えば、その話題しかなかった。


「おいしかった、ごはん。今まで食べたなによりも」

「そっちもおいしかったんだ。でも、こっちのほうが絶対おいしいからね。カネト水産。シャークミュージアムの一階にあるんだけど、松花堂御膳ってやつ頼んじゃった」


 三ツ葉は眼光をギラリと尖らせ、カメラの履歴を見せてくれた。


「なんと、二段の重箱でやってきた」

「重箱」


 想像したのより小さかったけど、漆塗りで、紛れもなくそれは重箱だった。


「一段目はしゃぶしゃぶとカジキの煮つけ、煮物とあとウニ。このウニがね、日本のどこよりもおいしかった。もしかすると北海道のウニよりおいしいと思えたかもしれない。苦味が一切ないのは当然のこととして、舌に触れると溶けてだね。快感だけが残るんだよ。そのままご飯を掻き込む。

 うん、掻きこんじゃうよね。行儀とか気にしたら負けだよ。口の中で溶けたウニの脂が、白米一粒一粒がコーティングしてくんだ。ウニの甘味がどこまでも伸びるんだよね。いや、ほんと、世界が変わる音が聞こえたね。冗談に聞こえるかもしれないけど」


「ううん、想像できる。うちのもさ、リアスアークの、〈夢の〉……〈ゆめのや〉って読むんだって。あそこで、メヌキ? メヌケ? って魚の入った海鮮汁頂いたんだけど……」


 わたしも負けじと語る。歯ごたえとか、香りとか。巨大なホタテの話題を出すと、すかさず三ツ葉が遮った。


「ホタテ、うちんとこもあったよ。重箱の二段目。刺身でさ、マグロとタイなんかもあったけど、語るべきはエビフライだね」

「エビフライ」

 二枚目の写真には、身の長いエビが衣に包まれていた。


「塩だけで食べたんだけど、正解だったよ。衣がさくさく、いい音がしたよ。これはつゆやソースじゃ出せないね。エビも甘みがあって。でも甘エビのような甘ったるさはなくてさ、もっと柔軟な甘さなわけ。ぷりぷりな身を奥歯で感じる。最初は衣に感動したんだけど、噛みしめるとさ、エビの触感と味覚あっての衣だって気付かされたよね」


 三ツ葉のレポを聞かされて、お腹がぐるると鳴った。やっぱり三ツ葉の話しっぷりは上手だ。


「わたし、このまちが好きになっちゃった」

「胃袋掴まれた?」

「それもある、けど」

 青い空から注ぐ陽光が、青々茂る草の表面を焼く。


 ――こんな田舎、誰が好きになるんですか。


 三ツ葉に、どう言えばいいんだろう。

 この好きは、無邪気な好きという感じじゃない。淀みを含んでいた。

 あるいは、あまりに無邪気すぎる好きなのかもしれない。


「大切なまちだから」

 それが精一杯の表現だった。


 バスロータリーの片隅に、ススキの葉に覆われた石碑があった。

 黒い御影石に字が彫られている。覗き込むとわたしの顔が映った。



   砂の上に我が恋人の名をかけば

     波のよせきて かげもとどめず



 明治の時代、初めて「恋人」という言葉を用いた短歌であると、碑には書かれていた。


 恋の儚さと浜の情緒を詠んだものなのだそうだ。ただわたしにとっては、それとはまた別の悲しみと共感を与えてくれた歌に映った。

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