人生で二度起きる。物語が殴りかかってくる。伝えたがりのインターリュード。
「今、私たちは地図にないまちで暮らしています」
入口から声がする。聞き覚えのある声で振り向くと、水色のTシャツを着た団体が輪になっていた。中心には、ヴェネツィアの話をした学芸員がいた。
「〈南気仙沼〉という地名はありますが、それは地図帳に書かれた文字でしかありません。実際にはかさ上げされた盛土があるだけです。これでは、かつてのまちなみや、そこでの思い出は忘れ去られるだけです」
話を聞く団体さんはボランティアの方だろうか。留学生かもしれない。無言で頷いていた。
「この新常設展を開く意義は、もちろん震災による被害を記録するという点もありますが、それと同時に震災以前のまちの姿を、最後の姿として残すことも挙げられます。写真を見ることで、記憶を蘇らせることができるんです」
学芸員の話は続く。
「どうしてこうなってしまったのか、ぜひ一度考えてみてください。津波がやってきたから、という単純なものではありません。津波は何度も起きてるんですから。記録を辿っていくと、平均……平均というのはあまり使いたくないんですが、四十年に一度起きています。
常に津波という自然現象の影響を受ける地であり、来るのはわかりきっていた。だから津波の半分は人災なんです。私含め、ここを築き上げてきた人々に責任はあります。今求められているのは、責任を追及することではありません。次はどうするか、です」
団体さんは自由行動になる。思い思いに歩いていた。一つのパネルをじっと立って見つめる方、写真を撮りまくる方(許可されてるのかはわからない)、盲目の方に一つひとつ解説を入れながら説明書きを音読する方――。
わたしもちゃんと覚えなくちゃ。被災物の展示に目を落とした。
炊飯器、ヘドロの下にあった残飯。そのそばに葉書が置いてあった。その葉書は炊飯器に帯びた物語であった。
「炊飯器 二〇一二・二・二」
普段は二人分だけど、夜の分まで朝に六合、まとめて炊くの。
裏の竹やぶで炊飯器見つけて、フタ開けてみたら、真っ黒いヘドロが詰まってたの。それ捨てたらね、一緒に真っ白いご飯が出てきたのね・・・
夜の分、残してたの・・・
涙出たよ」
生々しい声だった。
炊飯器を見つけられなかったら、毎朝夜の分までご飯を炊いていたことを思い出せなかったと思う。ほんの些細な出来事なのかもしれない。けどそれが本人にとって、どれだけ大切な記憶の財産か。
「なにか気付いたことはありますか?」
先程まで団体さんに演説していた学芸員が声をかけてくれた。気に留めてくれたことが嬉しくて、わたしは頷いた。
「この葉書って、実際録音したものなんですか? ボイスレコーダーかなにかで……」
「それがですね」
学芸員は苦い顔を浮かべた。
「一見すると肉声を聞き書きしたように思えるかもしれませんが、そうではないんです。様々な被災者とお話をして得た物語をベースにした、創作です」
創作なんだ……。
ちょっと拍子抜けというか、意外というか。
創作を展示することは、博物館学にも、展示学的に考えてもタブーなのだそうだ。それを自覚しながら、あえて禁忌を犯した。そうする必要性があったと、そう話した。
学芸員は他の学芸員に声を掛けられ、この場をあとにした。改めて錆びとヘドロのこびりついた炊飯器を眺めてみる。
よく見ると二十年とか三十年くらい前の、シンプルな形の釜をしている。タイマーの部分なんてアナログ式だ。
正直わたしには扱えない代物だけど、それがここにあるということは、棄てられずにあの日まで使われ続けてきたということだ。ずいぶん大きい。八合とか十合とか、そのくらい炊けてしまえそうだ。
そんなたくさん炊く必要があるのだろうか。子供は自立して家を出てしまっているんじゃないかな。あるいは二世帯三世帯のうちなのかもしれないけど。
「いい加減新しくしましょうよ」
「ほでねえごと言って、炊げんしょ」
そんな嫁姑のバトルがあったのかもしれない。そんな姑がヘドロだらけのこの子を見つけ出せたとしたら、それはそれで涙が出たんじゃないかと思う。
あるいは、嫁が姑を捜索中に、これを見つけたとしたら。
創作という言葉が、肉薄してきた。
果たして、葉書抜きでここまで想像できただろうか。現実にあるものを非現実的で、それに圧倒されておしまいだったんじゃないだろうか……。
物語の力を甘く見ていた自分がいた。物語が現実をつなぎとめてくれていて、目を逸らさぬようにしてくれているように思えた。
当たり前が、崇高なんだ。
震災に遭ったから崇高なものに昇華したんじゃなくて。ただ普段気付けないだけで。
忘れない、風化させない、ではなく、まずは覚える、記憶する。なにが起こったのか、どうすればいいのか。
記憶したものを、伝える。文化を継ぐために。
生きた証がどこかの文化のひとしずくになる。大学かもしれないし、ネットの海の隅っこかもしれないし、この気仙沼の地かもしれない。あるくくりのなかの一人であることを放棄しない限り。
ああ、そっか。
本当のわたしは、伝えたがりなんだ。
それを封じてたのに慣れて、なにもしようとしなくなってただけだった。
心が痛む。伝えることで傷つく人がいる。そのことをわたしは知っている。あのとき言い放った言葉はあまりに無自覚で、自分自身が思ってる以上に鋭利な凶器となって、目の前の心を深くえぐりとる。
だから、相手に合わせて笑って生きてきたんだ。
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