あの日へ旅をする。巨人の芋焼き。もう二度と取り戻せないを再起する。
料理が出されたときは、食べきれるかどうか心配だったけど、案外あっさりと平らげてしまった。
少々の食休みを挟んで、リアスアーク美術館地下にある新常設展へと向かった。
鉄製のステップを降りていくと、スクリーンいっぱいに撮られた瓦礫……もとい被災物の山の写真があった。
足取りが重くなる。ここには、あの日が残っているように感じた。受付の女性からリーフレットを受け取る。順路は、ない。右周りでまわることにした。
展示室内はちらほら人の姿があった。夫婦並んで歩く姿が見える。
室内の通路には被災物が並んでいる。どれも非現実的で、言葉にすることができない。
H字の鉄骨や軽自動車、トタン板なんかが、どれもアルミホイルみたいにくしゃくしゃになってる。目に見えない巨人が焼き芋でも食べたのではないか。
そんなバカバカしい妄想が一瞬でもありえそうな予感がして、胸のなかに沈んだ。
壁には黒い額縁に入った写真がずらりと並んでいた。額縁の隣には必ず解説文がセットで付いていて、いつ撮ったものか、写るものがなにか、どんなものだったのか、どうして壊れなきゃいけなかったのか。原稿用紙半分くらいの文量で解説されていた。
わたしにとっては、どれも似たような光景だけど、このまちに暮らす人にとっては特別な思い入れのある場所もあるに違いない。
そのなかで、わたしも見覚えのある写真があった。魚町……金港館のすぐそばで撮られた写真だった。
丘の斜面がマス目状のコンクリートで覆われている。たしか今は駐車場になっていたけど、地面が見えなくなるくらいの木片とトタン屋根で溢れ返っている。
「二〇一一年三月二九日、気仙沼市魚町一丁目の状況。魚町から南町方面へ続く道沿いには、古くから各種商店をはじめ、様々な業種の店舗が軒を連ねていた。流出した多くの建物は古い木造家屋とみられ、周辺には木製の建材が散乱していた。また、木材とともに様々な色のトタン材が多く見受けられた。周辺の建屋の屋根や壁に、トタンが多用されていたということを改めて気付かされた」
解説にはそう記されている。今あの付近はほとんどが更地になっていて、残ってる建物はコンクリート製だったと思う。本来はそうじゃなくて、もっと蔵造りの家屋がたくさんあったんだと思う。
写真と写真の合間に、キーワードパネルが据え付けられていた。震災にまつわる言葉と、それに対する意味を問いかけている。
〈ガレキ〉に始まり、〈文化〉〈覚える・忘れる〉〈不謹慎〉〈新聞〉〈復興〉……言葉の津波に遭った気分になる。波は疑問を抱かずに使ってきた言葉の一つひとつを解体していく。
■記録
記録とは、「のちのちに伝える必要から事実を書き記すこと。また、その文書」という意味を持つ。記録写真や記録映像というものも同様の意味を持つ。
記録自体が伝えるのではなく、伝えるために記録をとる。つまり、記録をとるだけでは伝えたことにならない。
記録は伝わらないと意味がない。デッキのないビデオテープみたいに、伝えられない記録は記録とはいえない。
じゃあ、わたしはどうなんだろう。
ふとそんなことを考えた。わたしが見たこと、聞いたこと、感じたことを、自分自身のなかに閉じ込めたまんまだったら、それは意味があるんだろうか。
そりゃ、一生封印したいことはある。幼稚園の頃、トイレを我慢できずに先生の前でお漏らししちゃったこととか、中一の秋に友達のことをお母さんって呼んじゃったり。
でも、そうじゃない出来事だってある。
女神を見たとき抱いた諦め、かき氷おじさんの不快感、小さな防災庁舎と空、アワダチソウの不気味さ、露天風呂で見た日の出、ヴェネツィアの大運河……。
刹那刹那で抱いた思いは、どれもわたしだけの、特別で大切な記憶だ。でもそのままにしてたら消えてなくなってしまうんじゃないだろうか。
消えてしまったら、もう二度と取り戻せない。地元にあったダイエーのロゴマークみたいに。
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