目抜けと呼ばれた魚。依利江、甘味の真理を悟る。自分だけ、ケイタイ。

 まずはレンゲで汁をひと口すする。

 メヌケのダシが効いているのか、味噌の塩味と散りばめられた唐辛子のピリ辛の中に、まろやかな甘みが溶け込んでいる。


 この確信は、昨晩の弁当から察してはいたけど、本当来てよかった。

 胃袋に注がれた汁の湯気が鼻をかすめる。ああ、吐息までおいしい……。


 さて、次はメヌケだ。切り身の状態では「アレ」な全体像は想像つかない。赤い皮から、金目鯛みたいな姿を仮想する。

 骨はごっつり大きいので、しゃぶりつくように身をいただいた。噛みごたえがあって、カニみたいに細長く裂ける。

 淡泊な味をしてるけど、極上の風味が勝っていて、そんなに気にはならなかった。小骨とウロコが多いものの律儀に取る必要はないかなと思う。噛みごたえを楽しむ魚だからよく噛むし。焦んなきゃ喉に刺さることもないでしょう! というか、せっかくおいしいんだから、いちいち小骨を気にするのは違う。


「いい食べっぷりだね」

 給仕の女性がわざわざやって来た。


「はい、おいひいです!」

 口角がゆるみっぱなしだった。なんか、今までこの慣用句をバカにしてたけど、ほっぺたが落ちるって、これか。


「この、えっと、メヌケって魚、よく獲れるんですか?」

「うん、獲れるねえ。海鮮汁は、結婚式みたいな、祝いのときに食べたっけね。私が若かった頃は」

「今もお若いですよ」

「またまたあ」


 白いご飯のおかわりは自由だからね。そう言い残して厨房へ戻った。大きな器でやってきたのは、祝い事で出されてた名残なのだろうか。それとも、巨大ホタテガイのせいだろうか。


 この身、厚みもある。三センチはあるんじゃないだろうか。普段食べるホタテ二枚分相当といってもいい。食べるのがもったいないけど、このまま食べないほうがもっともったいないので、前歯でひとかけら分引き裂いて咀嚼した。

 とろける甘味が、口内に沁み渡る。それを抑えんとばかりに唾液が溢れ出てきた。唾液と絡ませながら、形がなくなってもなお噛みしめる。


 ドキュメンタリーかなにかで、食レポに精通したあるリポーターが言ってたっけ。

 本当においしいものは、どれも甘いんだ、そうでないもんもあるっちゃあるが、やっぱ甘味があるもんは別格だね。

 あれは真理だ。


 昨日と今日で、すっかり胃袋を掴まれてしまった。この旅を終えたあと、この味を思い出しちゃったらどうしよう。家から電車でどのくらいかかるんだろう。ここまでの行程を振り返りつつ、誘惑に敗北してふらっと訪れる自分がハッキリ見える。


 そのとき、わたしの隣に三ツ葉はいるのかな?


「写真、撮り忘れてた」

 三ツ葉のことを考えて、思い出した。食べかけのランチを前にお箸を止める。食べかけを撮っても絵にならない。けど、今の気持ちを切り取るって意味でいえば、今こそ撮るべきなんだと思う。



 ――ね、イリエは撮らないの、写メ?



 そんなふうに言われたことも、あったっけなあ。

 昔の話だ。中学二年のときのことだ。一年生だったっけ。



 地元の駅前にあるファーストキッチン。マクドナルド以外のファストフード店に来るのは初めてだった。それも、友達と二人っきりで。


 シャカシャカポテト、あれとの出会いは衝撃的だった。ポテトといえば真っ赤な厚紙に入った塩味ポテトだったわたしにとって、コンソメの香りが漂うだけで心が躍った。


 そのとき、彼女が言ったんだと思う。


「ね、写メ写メ」


 彼女の手には、メタルピンクのケータイが握られていた。慣れた手つきで自撮り用レンズを自身とポテトに向けた。


「寄って寄って」


 彼女に言われるがまま、ほっぺたを彼女とポテトで挟んだ。


 その頃、ケータイを初めて買ってもらった。もう中学生だしね。親と一緒にショップへ行って選んだ。

 手作り着メロを作れる機能がなかったのは残念だったし、フィルター制限もかかってて不満はあったけど、でも自分だけのケータイ。嬉しかった。


 スマホなんて知らなかった時代だ。


 わたしのケータイは画面を見ながら撮れなかったから、胸元しか写せなかった。


「ねえ、撮った写メ、誰に送るの?」

「え、ウソでしょ」


 無垢な問いかけに対して、彼女は苦笑した。

「誰にも送らないよ。私とイリエだけのもの」

「じゃあ写メじゃないじゃん」

 わたしは笑った、と思う。へらへらと。


「変じゃないよ。こないだ深夜アニメで言ってたから。感動したものを写真に収めなさいって。その積み重ねがお前の力になるって。ええと、なんてタイトルだっけ。夜グーゼン見かけたんだよ」

「なんかのファンタジー?」

「知らない。でも、わかる。イリエもたくさん撮ってみればわかるよ」

 ふーん。相槌を打って、駅前を歩く人たちの様子を収めた。


「力になることはなくてもさ」

 と彼女は続けた。


「イリエと一緒に遊んだことは、これで忘れないんじゃない?」

 ケータイをしまった彼女は、ポテトの袋を開けた。その香りは……なんだったっけ。


 わたしは小さく息をついた。海鮮汁の湯気がわずかに波打つ。あの子のことを思い出すと、顔が熱くなって、めまいがした。ふらつく頭でスマホのピントを合わせ。シャッターを切った。



 あの子のことは忘れても、あの子から教わったことは忘れない。きっと、いつまでも。

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