思い出の糸をたぐるための空。冷たい登山帽。かりぐらしのひとは手をさしのべる。
あれから五年以上たっている。仮設の建物、仮設の道路、ここにあるものすべてが仮設だ。始まってすらいない。
まちは変化する。この道もいつか土に埋まる。仰ぎ見る空の高さすら違うことを目の当たりにしたとき、なにを頼りに思い出を辿っていけばいいのだろうか。
……自分を探求する旅があるのなら、相方を知るための旅があってもいい?
なにを言ってたんだ、過去のわたしは。そんな旅は被災地でない場所ですればよかった。
軽い気持ちだったんだ。だって五年経ってる。完全にじゃないかもしれないけど、ある程度だったら戻ってるかなって、思ったんだ。そしたらそんなんじゃなくて、わたしだけが浮ついてて……。
こんなだったら、もっとボランティアとか、支援目的を持って来ればよかった。三ツ葉は自分自身の気持ちを表現するための旅をするって言ってた。それは強靭な精神を持ってるから言えるのであって、貧弱な人間が便乗するもんじゃなかった。
フィルターを介さなくちゃ現実を見らんない人だっている。わたしみたいな訪問者ですら。だからきっと、この地に住む人のなかにだって。
そんなふうに言い聞かせていると、三ツ葉に声を掛けられた。
「大丈夫か? 汗、すごいけど」
三ツ葉はわたしの額に手を当てた。そのあと甲で頬を撫でる。ひんやりして気持ちがいい。
「うん、平気。ちょっと荷物が重いだけ」
心配かけさせまいと虚勢を張る。目の前の信号は赤だった。右手側の道は鉄の仮設橋になっていて、トラックが通るとゴトゴト音を立てた。
「熱中症じゃないだろうけど、あやしいね……どこか日陰で休もうか」
「あっちいし、この距離歩きゃバテるわな。俺んちで休めと言いたいとこだが、まだちょっと距離あるからなあ……。橋を過ぎりゃ木ィあるから、そこで休みなさいよ」
「すみません……ちょっと休めば回復します。青信号になりましたよ」
なるべく迷惑をかけたくなくて、そんなことを言った。大丈夫か問われた時点で迷惑なんだろうけど。
三ツ葉はやれやれといった様子で登山帽を取り、それをかぶせてくれた。
「ちょっと濡れてるけど、ないよりマシだろうから。あともうちょっと」
三ツ葉は横断歩道を渡った。
シトラスの制汗スプレーの香りが漂った。その香気を感じて、もうすこし頑張ってみようと思った。
橋の先のガードレールに〈林仮設住宅入口〉と書かれた看板が立てかけられている。
「仮設?」
問いを洩らす。二人に心配かけさせないために積極的になっていた。男性は豪快に笑ってみせた。
「おう、仮設だよ」
「失礼かもですが……仮設住宅って、まだあるんですか?」
「たくさんあるぞお。ま、観光客の目の届かないとこにあるから、気付きにくいかもしれんが。戸倉中学校……今はもう廃校になっちまったが、そこの校庭にもあるぞ。きれいに舗装されてて、普通に洗濯物が干されてて……行ったらびっくりすんだろうな」
現在、町内には五八の仮設住宅団地があり、計二一九五戸の暮らしがある。約四割の世帯が今なお仮設住宅での生活を送っている。
「三陸はうまいもんいっぱいあるから、満喫してくれや」
男性は三ツ葉に手を差し伸べた。
「はい。またご縁があれば、お会いしましょう」
二人は固く握手を交わした。
「お嬢さんも、達者でな」
それからわたしにも手を差し出してくれた。
「は、はい。お元気で!」
「水分補給しっかりとれよ」
その手を握ると、男性はぐっと強く握りしめた。固くてひんやりとしている。
「もしなにかあったら、この道ずうっと行ったところに俺いるから、遊びに来てくれ」
「はい、いつか……!」
男性が見えなくなるまで、わたしと三ツ葉は手を振って見送った。
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