栄村大震災。アンサイクロペディアの寄り添い。情報の井戸を泳ぐ。

「さかえむら? 大震災? いや……初めて」


「知らないのも無理はないか。私だって随分と忘れちゃってたんだから。東日本大震災の約十三時間後、長野県の北端……まさにそこが栄村なんだけど、そこを震源とする、最大震度六強の地震があったんだよ」

「六強……」


「最大震度でいったら新潟県中越沖地震と同じだね。さらに本震のあと立て続けに六弱の地震が二度も起こった。栄村の上下水道のほぼすべてが寸断、国道は陥没、県道は雪崩で通行止め、JR飯山線は崩落して線路が宙吊りに、地割れによって田んぼは壊滅。およそ八割の村民が避難したんだって。

 栄村は日本有数の豪雪地帯で、駅前にはJR駅での最高積雪量七メートル八五センチを記録したことを語る標柱が建ってるんだよ。その年は例年よりも雪解けが遅くて、一ヶ月以上経っても被害の全貌が掴めずじまい。それが栄村大震災。でもこの地震には正式な名称がないんだ」


「え、どういうこと?」

「天災の公的な名付けは気象庁がやることになってて、その基準が〈顕著な災害を起こした自然現象〉と見なされるかどうかなんだよ。栄村のは、見なされなかったんだろうね。実際、村外の被害はほとんどなかった」

「そんなこと、あるんだ」


「東北で地震が起こらなかったらここまで不憫な話にはならなかったと思う。幸か不幸か、死者ゼロ人というのもあったのかもしれない。国と大手メディアはほとんどこの地震を取りあげなかった。大したことないって思ったのかもしれないし、それどころじゃないって思ったのかもしれない。信州の人はよく知ってるけど」


「信州?」

 長野県のことらしい。三ツ葉の話は止まらない。


「それでもインターネットだけで情報を手にしてる人は知らなかったと思う。実際、私もその地震の第一報を聞いて『良かった』って安心しちゃったんだよね。松本から百キロ近く離れてるし、友達に実家が栄村って人がいたわけじゃなかったし。私たちでそのくらいの認識だったんだから、全国的な知名度の低さはお察しでしょ」

「知らなかった」


「詳しいことはアンサイクロペディアの記事を読むといいよ」

「アンサイクロペディア? ウィキペディアじゃないの?」


 〈嘘八百辞典アンサイクロペディア〉。ユーモアにまみれた記事は、もちろん頭を柔らかくして解さないといけない。


「ウィキは良くも悪くも数値だけだからね。アンサイクロの記事は、たとえるなら従軍手記だよ。栄村大震災について最も素早く取り上げ、最も緻密ちみつで、最も情熱が籠ってる。この前見たら、今だに更新が続けられているんだ。驚きだよね。誰もが忘れた震災を、誰とも知らぬネット上の人間が、寄り添い続けて発信し続けている。


 栄村から見倣える点は多いよ。村民の防災意識が高くて、震災後たったの二時間で全村民の安否確認を完了させた。地域の交流が深かったから、避難所でも仕切りを必要としなかった。二〇一二年末には震災復興住宅が完成し、仮設住宅は全撤去。


 模範的な減災・防災意識、迅速な震災対応、復興。駅前にあるプレハブは栄村震災復興祈念館。後世に伝える準備も万端ってところだろうね。誰も知らないけど、誰も知らないうちに新しい生活が始まっている……。忘却された震災。これが栄村大震災最大の特徴といえるし、あるいは東日本大震災最大の皮肉ともいえるかもね」


 三ツ葉のトークは切り上げるどころか、さらに盛り上がる。


「あの記事を読んで、ちょっと考えたんだ。私たちは情報の海を泳いでるように錯覚してるけど、実際はメディアの提供した話題のなかに閉じこもってるに過ぎないんじゃないかって。ネットニュースもSNSも含まれた意味での、本義的メディア。情報の発信、取得の幅が広がっただけでその大枠はなに一つ変化してない。

 海だと思っていたものは、実は井戸でしかなかった。情報として流れないものはなに一つ知り得ない。受信者ってスタイルを崩さない限りね」


「なんか、変な話だね」


 圧倒され、こんな反応になってしまった。三ツ葉は微笑した。すこしだけ笑みに陰があるように思えた。

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