一緒なのだけど。親しみの方法。欲望や習慣と異なる衝動。
「ここって、いつ頃オープンしたんですか?」
三ツ葉の質問に、店主ははきはき返答する。
「この夏でちょうど四年になりますね。カフェのデザインからメニューに至るまで、高校生のみんなが決めたんです。ゼロからのスタートだったので、カフェの名前も空白だったんです。オープンしてからしばらくの間、そのままやってたんですよ」
「それは〈かぎかっこ〉に重みがありますね。高校生の方と一緒にやって来たのは、やっぱり意味があるんですか?」
「ええ。五年前に……震災があったじゃないですか」
「はい」
「震災後の教育支援が小中学校に偏っていたというのが、理由の一つですね。自然の恐ろしさ、将来の不安。暗い気持ちになるのは、小中のお子さんも大人も、高校の皆さんも一緒です。高校の生徒さんたちを支えられるような、なにか変わるキッカケを作りたかったんです」
「それで、カフェを」
「ええ、そうですね。高校も違う、学年も違う、そんな皆さんがゼロからつくっていく。私たちはアドバイスと協力をするだけ。バイトというよりかは、起業に近い体験をさせられたと思います。あとは、このカフェを通して地元の人たちとも交流してもらいたかった、というのもありますね」
「この桃生茶もですか?」
「はい。生産者と直接お話して、仕入れたんです。石巻では、高校を卒業すると大半が市外へ出ていってしまいますから、こうして地元の方と触れ合うことで、石巻をより親しく感じてほしいなと。実はここの音楽も、ある高校の軽音部の生徒さんが提供してくれたんですよ」
このピアノ曲すら高校生プロデュースなのか。これは単なるままごとではない。
店主はゼロからつくっていく、と強調した。ゼロなのはこのカフェだけではなかったのかもしれない。高校生が、石巻が、あの日を境にゼロになった。
三ツ葉と店主の話は続く。どちらも活き活きと話を続けている。その後ろで高校店員が客寄せをしていた。通路を過ぎる人たち一人ひとりに、いらっしゃいませと声を掛ける。明るい声だ。
この子たちはあの日の記憶を克服したのだろうか。いや、そんなわけない。わたしですら、テレビ中継を思い出すと胸が痛む。心の傷を癒すなんて、そんなの魔法でもなきゃできっこない。今や、誰もが知っている。
懸命に声掛けをする子たち。活気があった。八百屋や魚屋の活気とは違う。妙な活気だ。たぶんそれはモノを売る、儲けるといった欲望や、盛り立てたり演じたりといった習慣と異なる衝動からなる活気なんだと思う。
地域振興、ふと前に三ツ葉が言っていたことが頭をよぎる。
いや、どうなんだろう。わたしの思う振興と、この子たちがしてることは違うような気がする。逆にわたしの考えるそれが間違っていて、あの子たちのしてることが本物なのかもしれない。
もっとわたしに語彙があれば、このムズムズした気持ちをあらわす言葉を見つけられたのかもしれない。
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