8-12 それ以上、高く登ることはできない
「……って言うとでも思った?」
暗闇の中、優佳のおもしろくなさそうな視線が僕に突き刺さる。
「え?」
「サトシ……謀ったでしょ」
「な、なんのことだろう」
「おかしいと思ったのよね。だって予約はしっかり取ってるし、タイミングよくこのレストランには誰もいないし」
優佳は拗ねた声で、頬杖をつきながら疑問点を列挙していく。
「言いなさい。こんなおおげさなことをして、スポンサーは誰なの?」
「な、なんのことかな……?」
僕は視線をあさってに逸らす。
「まず、さっきの電話がおかしい。アナログの電話回線は停電中でも使えるけど、いまの電話機って電気が無いと動かないはずよ」
「……そうとは限らないよ? 停電対応電話機っていうのもあるって、聞いたことがある」
「ううん、さっきサトシ子機で電話してた。停電対応している電話機でも子機は使えないはずよ」
「……」
「そ・れ・に! 自動ドアの先でも人の気配しないじゃない。百歩譲ってたまたまレストランに閉じ込められたのだとしても、同じ階層に誰もいないなんておかしいでしょ?」
「夜も遅いし、誰もいないなんてことがあっても……」
「しらばっくれるのねぇ」
暗闇の中、優佳はニヤリと笑ってみせる。
「サトシ、ちょ~っとわたしを甘く見過ぎたんじゃないかなぁ?」
甘くなんて見てない。
僕は最初からこうなるだろうと思っていた、だから反対だったんだ。
「サトシのスマホ見せてよ、ちゃんと圏外になってるか」
「さっきなってる言ったじゃ……」
「見・せ・て」
「はい……」
優佳は僕のスマホを受け取って、ちゃんと圏外になってることを確認する。
「サトシ、この圏外ってさ、どうして圏外なんだと思う?」
「……どうして、っていうと?」
「停電になって起きた通信障害だと思う? わたしとサトシのスマホだけ、圏外になったんだと思う?」
「……」
「通信障害だったらね、どうやっても電話をすることは出来ないの。でも通信障害じゃなくて”なんらかの理由で圏外にされた”回線だったら、緊急通報とかカスタマーセンターにはつながるんだよ?」
「そ、そうなんだ。ご高説ありがとうございます……」
「ね?」
優佳が勝ち誇った顔をして、僕の顔を覗き込む。
「電話、かけてみても、い~い?」
「……」
だから言っただろ……
優佳に僕たちがおつむで勝とうなんて百年早いって……
「すみませんでしたァッ」
僕は土下座をしていた。
「で、なんでこんなことしたの?」
「それは……僕がサプライズ演出をしたかったからで」
「うそでしょ? レストラン貸し切りならまだしも、入り口のドアの先も電気消えてるじゃない。それをサトシ一人の力でそこまで出来るとは思えない」
「……」
こんなのシラを切り通せるかっ!
僕は全てを白状した。
そもそも今回のはじまりは李さんと僕の入れ替わりからだ。
提案はレイカから行われたもので、早く僕たちを元の形にしたいというもの。
レイカが李さんに入れ知恵をして、優佳と入れ替わりを提案。そしてその後は流れで晴空塔に行くようにすること。
晴空塔はレイカも務める牛木興業の力で、三百五十メートル地点の展望デッキをまるまる貸し切りにしている。
社長の巌さんはここの経営者にも顔が利いていて、閉店間際のこの時間であれば空いているので特別に安く貸し切りにしてもらえる許可を取ったのだ。
僕と牛木兄弟は和解をしていて、貸し切り費用は牛木興業の接待費、一岳が過去のお詫びとして一部費用の肩代わりもしてもらった。
何故か知らないけれど僕は巌さんに気に入られていて、レイカの提案にも『あのボウズのためだったら協力してやる』と二つ返事で許可をもらってしまったのだ。
停電とは言ったけれど単純に全ての電源が落ちるように仕組んだだけで、実際に停電はしていない。
圏外になったのもレイカが優佳の代理で携帯会社に連絡し、無くしたということで通信を止めてもらった。僕のも友人ということで同様に処理をしてもらっている。
ちなみにレストランに入る前に僕に着信履歴が入っていたのは、時間に僕達が来ないことをおかしく思ったウェイターが、仕掛け人のレイカに連絡、レイカから僕に確認が入ったからだ。
そんな茶番で僕たちは閉じ込められた環境を創り出した。
「レイカが、ね……」
「黙ってて本当にごめんっ!」
「それはわかったけど、なんでわざわざこんな大掛かりなコト……」
「それは……」
優佳は不満げだ。
怒っているというよりは、仲間はずれにされたのが気に食わないのだろう。
僕はちらりと時間を確認する。説明が不要になるのも間もなく、だ。
「ね、どうしてこんなワケわかんないこと……」
――瞬間、外から轟音が響く。
優佳は体をビクッとさせ、音のした方に顔を向け……目を見張る。
僕らはなにも言わず、窓際のカウンター席に移動した。
窓の外、地上から打ち上げられた火の玉が中空で弾け、色鮮やかな軌跡を描いている。
「すごい……わたしたち、いま花火を見下ろしてる」
「まだ始まったばかりだよ。大きい花火は僕たちと同じ高さにまで、打ち上げられる」
優佳は僕の方を振り返る。
「まさか、これ……」
「うん。僕と優佳でこの風景を独り占めして来いって。それがレイカからの伝言」
「……そっか」
優佳は少し真面目な顔をして、カウンター席に腰かけた。
僕は言葉を交わさず、隣に座る。
窓の外、緩慢な動きで次々と立ち昇る色彩豊かな夏の花。
紅蓮に燃え、翠が照らし、闇を切り裂く白黄色。
色の広がりに遅れて届く、鼓膜を震わせる開花の残響。
光は刹那に梢を垂らし、煙となる。
その儚さをかき消すように、新しい光が立ち昇り、盛衰の変化を空に映し出す。
横目に映る優佳は、ひたすらに無表情だった。
喜怒哀楽ないまぜ、と言ってもいいかもしれない。
お互いに一言も交わすことなく、眼下の光景を瞳に映し続ける。
やがて打ちあがる光は僕らの目線と同じになり、フィナーレの錦冠菊を横に連なり、轟音の余韻と僅かな興奮を残し、月明かりに溶けていった。
後に残るのはいつもと変わらない、夏の夜空だけ。
未だ鼓膜を揺らされているような、無音という音を聞きながら、優佳と二人肩を並べていた。
先に沈黙を破ったのは、優佳。
「……すごかったね」
少しだけ笑みを作って、頷く。
僕と優佳は同じ境遇を共に生きてきたが、全てが同じではない。
いま目にした光景も、捉えた方は個々で異なるし、そこから感じ取るものだって違う。
同じ人間で、同じものを見ても、決まった答えに辿り着くとも限らない。
「わたし……サトシと歩んでいったほうが、いいのかな」
それは疑問形ではなく、独り言に近いもの。
「みんながみんな、わたしたちを応援してくれる。サトシと一緒にいることは、わたしだって望んでる。けど……」
僕は優佳じゃない、わかるような気もするし、まったく理解できないような気だってする。
「わたしにとっては、それだけじゃないんだよ? 誰にもわからない、わたしだけの悩みだってある」
人間誰だってそうだ、自分にしか理解できないものがある。
「それはずうっと抱えてきたものであって、誰にも理解されなくて、相談して解決するようなものでもなくて、そして誰が悪いわけでもない」
人に話して楽になることもあれば、話すことで悪化することだってある。だとしたらそれは一人で生涯抱えて生きていくほかない。
「だからわたし、どうしていいのかわからない。無視していいのか、無視しちゃいけないのかもわからない」
自分なりに割り切り、あえて白黒をつけないままにするという決断。
「きっと、どっちでも間違ってはいないと思うの。でも決めるのであればとても大事なことだから」
けど、それすらも難しいのなら――
「だから、サトシ……ごめん」
保留。
それが優佳の出した答えだった。
滲ませる表情は苦しさとか悲しさとかではない、答えを出せないことに対する申し訳なさだけがあった。
なぜ保留なのか。
それは”わからないから”というのが最も正しい答えなんだろう。
僕をまた信じてもいいのかどうか。
優佳はずっと怯えていた、レイカの存在に。
自分の妹でかわいがっている存在なのに恐ろしかった、レイカの持つ魔力に。
僕とレイカの間にある、引力に。
否定はしない。
したとしても優佳は信じないし、それで考え方を変えられるとも思わない。
だからそれを認めた上で、信じてもらえる僕を提示することしかできない。
優佳が抱えている悩みは、難しい。
どうしていいのかわからない、どうしようもない、それ自体が苦しくて仕方ない。
僕も似たような経験をしたことがある。
どっちに転んだ方がいいのか、わからない、そんな気持ち。
知恵の輪が複雑に絡まり合って、どこをどうしたら解決するのか見当もつかない。
頭のいい優佳でも、わからない。辿り着けない。
だってそこに必要とされるのは、知識ではないのだから。
だからこそ優佳は苦しむ。
感情と相談して、落としどころを見つける、それはきっと僕たちにとって一番難しい。
……そんな感情の袋小路だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます