8-11 ハプニングに次ぐ、ハプニング


 ポケットの振動で、目を覚ました。振動の元……スマホを取り出す。


 寝ぼけ眼で眺めると、そこには三件の着信履歴があった。


 ……目を覚ました? 寝ぼけ眼??


 時刻は二十時、どうやら二時間以上ここで座ったまま眠っていたようだ。左肩に痺れを感じて目を向けると、しな垂れかかった優佳がよだれを垂らして寝ていた。取りあえずカメラを起動し、間抜けな顔写真をゲットする。


「優佳、起きて」


 肩を揺さぶって、夢の世界から連れ戻す。


「はい……?」


「起きて、もう夜だ」


 半目開きで、未だに舟を漕いでいる。


「ほらしゃんと起きて、夜ごはん食べよ?」


「……うん」


 立ち上がった僕らは、同時に背筋を伸ばしてあくびをした。そうして優佳は下りエレベーターに向かい……


「優佳、違う」


 少し眠そうな顔で首を傾げる。


「……そこのレストラン、予約取ってるんだ」


 僕はエレベーター横にあるレストランを指差す。


 指さしたほうを優佳はボーっと眺めていたが、少しずつ見開いていき、両手を口元に当てて目を丸くした。




 レストランに入ると、蝶ネクタイにベストのウェイターが一礼をして口を開く。


「纏場様ですね? お待ちしていました」


「ハイ、ほんとすみません」


 いまのは社交辞令じゃない……本当に待たせてしまった。予約時間よりも二十分過ぎているのだから。


 ブラウンベースのシックな店内に、意匠を凝らした陶器や掛け軸の調度品が和を感じさせる。時間のせいか他の客はほとんどいなかった。それでも各席には暖色系のスポットが照らされていた。


 クリーム色のカーペット敷きになっている床を、僕らは土足で歩いていいんだろうか、なんてそわそわしながら歩いていく。けど優佳を誘った手前、不安がらせたくない。背中に掻いている汗を隠し、これがさも当たり前かのように取り繕う。


「お席はこちらになります」


「さ、優佳。いこ」


「う、うん」


 腰が引けているのか借りてきた猫みたいに大人しい。きょろきょろと辺りを見回している。驚かせてやりたかった手前もあって、その反応に思わずほくそ笑む。けれど席に腰かけた後も、優佳の不安そうな顔は変わらなかった。


「優佳、どうかした?」


「え……その、あの」


 なにか不安にさせることをしてしまっただろうか?

 ……それとも宙ぶらりんの関係で、このレストランは重かっただろうか?


 そう考えると、僕も不安になってきた。


 優佳は眉をハの字にして言おうか言うまいか悩んでいる。けど意を決したように、息を吸い込んで優佳は言った。


「……サトシ、お金あるの? ここ、とっても高そうだよ?」


 椅子からずり落ちそうになる。


「あのね……さすがにどうにもならなかったら、予約なんて取らないよ」


「そう、なの? それに、わたしお金持ってないから借りることになっちゃうよ?」


「そんなこと、気にしなくていいから」


「……ほんとうに?」


「うん、優佳はなにも気にしないで。少しでも楽しんでくれたほうが僕は嬉しいから」


 罪悪感を押し隠して、僕は言葉を絞り出す。


 僕の作った笑顔に安心してくれたのか、慮ってくれたのか。優佳は「それじゃ、お言葉に甘えて」と呟いた。


 それからウェイターにコースの説明を受け、同時にいまがラストオーダーになるから、個別注文があれば今のうちにとの申し出があった。


 お互い腹ペコというわけでもないので、丁重にお断りすると、四十五度の礼をして去っていくウェイター。


「なんか、すごいね。わたし場違いじゃないかな?」


「それこそ僕の方が場違いじゃないかな。優佳はお義父さんの誘いで、こういうとこ入ることあるんじゃないの?」


「昔はちょっとあった気がするけど、最近は出張ばかりだからあまりないかも。それに今日はサトシと二人きりだし……」


「ごめん、大人と来た方がきっと安心できたよね」


「そういうのじゃないの! ただ、なんて言うんだろう。わたしの方が大人なんだから、シャンとしなきゃいけないのにな、って」


「優佳の方こそ気にしないで。……そうだ、さっきの話じゃないけど、今日だけは優佳が年下っていう設定で」


「わたしがサトシの、年下?」


「うん、今日限定で優佳は僕の一個下。おねえちゃん宣言は禁止の日だ」


「ってことは、サトシは……おにいちゃん?」


「……」


「あれ、どうしたの」


「……もう一回、言ってみて」


「おにぃ、ちゃん?」


 なぜか上目遣いで、小首を傾げてくる優佳。非常にけしからん。


 くだらないやりとり――それから間もないうちに料理が運ばれてきた。時間がちょっと押したせいもあってか、次々と料理が運ばれ十五分ほどでコースのすべてが出揃った。


 僕の拙い人生経験でそれを表現するのであれば、結婚式に出るような上品な料理だ。メニューは横文字ばかりで、口にしなければ味だって想像だってできない。


 物怖じせずに入るため、事前にメニューとにらめっこしたし、知識を付けようとも思ったけど、すぐにあきらめた。だって高校生がメニューの解説をして、どこどこで取れた食材のうんぬんとか語り出したら、それはそれでサムい。


 優佳だって僕が背伸びしてるのを透けて見るだろうし、言ってる僕自身が耐えられないだろう。


「この鶏肉、美味しい。なんかミカンみたいな味がする」


「ホント! 鶏肉が甘いのに、美味しいなんておかしいの!」


「さっき優佳が食べてた魚はどうだった?」


「ん~?……おいしかった!」


 だからきっと等身大の感想でいい、小粋な食レポなんてしないほうがいい。僕らには僕らの感じ方で楽しければそれでいいんだ。



---



 二十一時前に僕らはすべての料理を食べ終えた。


「ふう、食べすぎちゃったかも」


 優佳が紅茶の残りを喉に通し、軽くお腹を押さえた。


「優佳、少食だもんね」


「そんなことないんだから。これでもわたしは良く食べるほうです」


「どうだか、優佳がそんなにガツガツ食べてる姿だって見たこと――」


 ――カンッ、と辺りに音が響き、優佳の顔が見えなくなった。


 声も出せず、ただ呆然とする。


 それに見えないのは……優佳の顔だけじゃない。


 手前の空になった皿も、自身の手も、なにも見えなくなった。


 都心の夜景から差し込む明かりだけが、唯一の光源として輝いている。


「えっ、やだ、なに?」


 電源が落ちるような音が、あちこちから聞こえる。


 店内のBGMもなくなって代わりに耳に入ってくるのは、遠い階下に走る車の排気音だけ。


「……停電?」


「うそ、ほんとに?」


 優佳が椅子を鳴らして立ち上がる。


「優佳は座ってて! ……僕が様子を見てくる」


「……わかった」


 少しずつ、目が慣れてきた。


 次第に優佳の輪郭や、椅子やテーブルの位置関係が分かってくる。


 僕は自分の足元がふらつかないことを確認し、厨房のほうに足を向けた。


 計器類の電源ランプも沈黙していて真っ暗だ。


 スマホの懐中電灯機能をオンにし、辺りを見回すがなぜか誰もいない。


「お~い、誰かいませんか? 大丈夫ですか~?」


 大声を上げてみるが返事はない。


 しばらくそこで反応を待つが、なんの物音もしなかった。


 仕方なしに優佳の元へ戻ると、優佳は自分のスマホ画面を見せてきた。


「サトシ……どうしよう、スマホもなぜか圏外になってる」


「え……?」


 僕は自分のスマホも確認する。


「ホントだ……」


「でも下の明かりはついてるし……もしかして、ここだけ停電なの?」


「わからない。なぜか厨房にウェイターもシェフもいない」


「なんで、まだ営業時間だよね!?」


「うん。来る前に確認したけど営業時間は二十三時までだった」


「なにそれぇ……」


 優佳はへなへなと上体を机に突っ伏させ、突然の事態に動揺する。


 その時、けたたましく激しい音で電話が鳴り出した。


 突然のことに優佳が椅子を鳴らして驚く。


「もう、なんなのよぉ……」


 真っ暗なレストランで突如、鳴り出す電話。


 停電なのに、なぜ……?


 僕は咄嗟に立ち上がって電話のコールが鳴り終わる前に受話器を取った。


 くそっ、お化け屋敷じゃないんだぞ!


「もしもし、はい……え? なんで――」


 いくつか事情を聴いて電話を終えた僕は、話の内容を優佳に説明した。



 連絡があったのは、なぜか地上に降りていたウェイターからだった。


 シェフが明日の食材を運ぶために、業務用エレベーターで地上に降りたが、業者とのトラブルがあり食材を渡せないと言われてしまったとのこと。


 それでは困ると伝えるも話に埒が明かないので、勤務年数が長く、経験豊富なウェイターも来て欲しいと連絡があったらしい。ウェイター自身は(一組とはいえ)フロアに客を残してるので、下りれないと伝えたがシェフもしつこく連絡をしてくるし、業者もだったら帰るの一点張り。


 仕方がないのでウェイターは下りることを決意、僕らには料理を提供したばかりだし、呼ばれることはないとタカを括って地上に降りる。


 業者トラブルは解決したものの、今度はエレベーターが動かなくなるトラブルが発生。


 原因を調査したところ、どうやらレストランのある三百五十メートル地帯でのみ、停電が発生しているらしく、非常電源も起動しない、下はいま大騒ぎになっているとのこと。


 電話が通じたのは非常時のためアナログ回線を緊急用に伸ばしているため、それで電話直通のホットラインだけは生きていた。


 現在、復旧の見込みはなし。

 けれど電力会社が緊急で動いているから、今日中にはなんとかなるとのこと。


「なにそれぇ、今日中って……」


「ホントに、ね……」


 自動ドアは手動で開けることができるが、外に出てもエレベーターは動いていない。非常階段で下りれるとしても現在三百五十メートル地点にいるのだ、真っ暗な中でそれを降りていくのは現実的ではない。


「つまり……」


「閉じ込められた、ってこと……?」


 三百五十メートル上空――真っ暗なレストランで僕たちは孤立した。

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