8-10 遠くの地の、高い空
この晴空塔は五階までがショッピングフロアになっている。
アパレル、キャラクターショップ、デパ地下のようなグルメコーナーと、もはや普通のデパートとなんら変わらないラインナップ。天井やタイルは搭のシンボルにもなっているデルタなデザインで統一されており、至る所に三角形のオブジェが目に映る。
その他、水族館やプラネタリウムといった大型施設も入っている。地元の方々はここに来れば、遠出をしなくても娯楽には困らないのではないだろうか。
僕と優佳はそれらのショップを、ああでもない、こうでもないと冷やかしながら上階に登っていく。
五階からは上は高速エレベーターに乗る必要がある。最初に辿り着くのは地上三百五十メートルの展望デッキ、そこからさらにエレベーターに乗ることで四百四十メートル地点にまで登ることが出来る。
馬鹿と煙はなんとやら、じゃないが、せっかくここまで来たからには一番上まで登るっきゃないと、僕らは最上階を目指すことにした。エレベーター前には少し行列が出来ていて、家族連れの子供が「まだ~?」とぶうたれていたり、動画でも撮影しているのか、自撮り棒でスマホに話しかけてる外人がいた。
「見て見てサトシ、前の子供がハンドスピナーで遊んでる」
腕にひっついたままの優佳が指を差す。
「ホントだ。なんか見てると落ち着くんだよね、あれ」
「わかるっ、ずっと見ていたくなる不思議な魔力がある」
「なんでだろ。回すだけで大して面白いわけでもないのに」
「あれと同じだと思う、海外のテレビ番組」
「海外のテレビ番組?」
「焚火が燃えてる画面とか、列車からの風景を八時間とか十時間かけて放送してるんだって。そんな番組が視聴率が二十パーセントを超える大人気番組らしいの」
「へえ、不思議だ」
「変化の少ない光景を見てると、その変化を見逃したくない心理が働くんだって」
優佳がない胸を反らしながら、ミニドヤを決める。
「なるほど、確かにハンドスピナーも途中で、逆回転していくように見えてくるしね」
ストロボ効果、とかそんな名前だったと思う。
「こっちでもやらないかなあ、そういう番組」
「いいね、そしたら一日中テレビ眺めてよっか」
「うん。クーラーの効いた部屋で、ポテチなんか食べながらのぐうたら生活」
「若者らしさはゼロだけどね」
「だが、それがいいっ」
優佳とそんなとりとめもない話をしてると、チケット売り場に辿り着く。エレベーター乗り場にも少し並びができていたが、順番が近づくにつれ優佳は言葉少なになった。
「ううっ、なんかこれからジェットコースター乗らされるみたい……」
「そんな怖いもんじゃないだろ」
「気持ちの問題っ! けど分速六百メートルってかなり早いよね!? もうフジ〇ューのアトラクションと変わらないよぉ……」
「エレベーターだから、どっちかっていうとシーのティー〇ーティーのほうが近いかもね?」
「その例え最悪っ! ここもタワーだし、真っ暗になった時にはサトシ……ちゃんとそこにいるよね?」
「偶像の呪いが本当だったら……わからない」
「そんな……もう、ダメ……」
優佳は額に手を当てて顔を青くする。……それにしてもこの優佳、ノリノリである。
「ハーイ、それじゃあ次のお客様乗ってくださーい」
エレベーターガールの元気な声が響き渡る。
「ほら優佳、順番が来たから乗るよ?」
「……」
ついには返事がない。腕にひっついたままだけど、もはやただのくっつき虫と化していた。
エレベーターが閉まると内装がライトアップされ、神経過敏になっている優佳は「ひっ!」と一瞬怯えた声を出し、周りの失笑を買った。移動中は大きな動きを感じることも無く、耳の詰まりだけ気になった。優佳は最初こそビビっていたが、すぐに慣れたようだった。
扉が開くと展望デッキのパノラマから、サイコロ大のビル群が目に飛び込んでくる。遠くの空には赤みがかった雲がたなびいており、その奥には隆々と立ち昇る入道雲が浮かんでいた。
「うわぁ~本当に一分でこんなとこまで登って来ちゃったの? 信じられない」
先ほどのローテンションを吹き飛ばすような声をあげる。
案内パネルにはここから眺望できる地名の案内があり、フロアを一周すると房総半島や都内の主要都市、港などが一望することができた。
窓に近づいて景色を見下ろしてみると、ビルの上にヘリポートマーキング、屋上にプールのある学校、道路標示の”T”やら”◇”やら”スクールゾーン”なんかもくっきり見える。
「ねえねえ、ここから夕霞は見えるかな?」
「ちょっと待って……ダメだ、ここからじゃ成馬区辺りまでしか見えない」
「え~ちょっと残念」
「でもすごいよね? 一時間ちょっと電車に乗ったら、もう僕たちの住んでるとこなんて見えないんだ」
「ね。電車の無い時代だったら、ここに来るまで歩いて何日もかかったはずだもん」
二人無言で、しばらく遠くを眺めていた。
それから追加のチケットを購入し、四百四十メートル地点にまでエレベーターで移動する。
「……ひえ~」
到着するや否や、素の声を漏らす優佳。
窓際に寄って足元を眺めると、柱が地面に向かって吸い込まれて行くように小さくなっている。柱の姿が絞られていく光景を眺めていると、足の血が冷えるような、眩暈のするような感覚に襲われる。
「サトシ、こっち!」
優佳が指さしているのは、搭の円周に沿って少しずつ登っていける回廊。ここから景色を眺め、足を運んで最高到達点を目指していくという按配である。
「エレベーターに乗る前はあんなに怖がってたのに」
「過去は振り返らない主義なのだよ、ワトソン君?」
登りながら気づいたけれど三百五十メートル地点とは違い、だいぶ人通りが少なかった。ここまで来なくても満足してしまうのか、それともたまたま今の時間が少ないのかは分からないけど。
通路の途中にトイレがあったので、僕はそこで所用を足しに出た。ズボンのジッパーを開けながらふと疑問に思う。
僕はいま四百五十メートルの高さで小便をしているが、これはどうやって一番下の階に辿り着くんだろうか。ものすごい長い排水管が繋がっていて、滝のような勢いで僕の小便は地面に叩きつけられているのだろうか。なんて危険な。
いや、もしくは毎回バキュームカーが来るたびに、四百五十メートル地点までホースを伸ばし……ってそんなことあるわけないだろ。気になった人はググって調べてくれ、あと時々下品でごめん。
手を洗って通路に戻ると、優佳が膝を折って女児に話しかけていた。
「お~転んでも泣かないんだ、偉いね~」
頭を撫でながら優佳がニコニコしている。
「……しゃんしゃいだもん」
「三歳か~もうおねえちゃんだね」
女児は表情なく、黙って首を縦に振る。
「あ~ら、ごめんなさい~」
お母さんらしき人が駆け寄ってくる。
「ママー!」
「すみません、このコが迷惑かけちゃって」
「いえ、強い子だったので大丈夫でした」
「ほんとかしら~? ほら、おねえちゃんにバイバイして」
母親が女児に促すと、少し笑みを覗かせながら手を振った。
「ばいば~い」
優佳はそれに両手を振っていっぱいの笑顔を返す。
「……やっぱ子供ってかわいいなぁ」
「優佳、子供好きだもんな」
「教師になりたい理由の、一つだし。早く大人になりたいな」
優佳は振り向き、また僕の腕を取った。
それから少しもしないうちに最高到達点に辿り着く。
近くにいた社会人カップルに二人で並んだ写真を撮ってもらい、僕らもその二人に写真を撮ってあげた。
彼らはだいぶ若かったけど九州から来た夫婦で、結婚一周年の記念に旅行をしているとのことだった。僕たちが高校生であると話すと二人は驚き、大学生だと思ったと話した。下に見られることが多い優佳は、そう言われただけでだいぶ気を良くしていた。
彼らとはそこで別れて僕らは少しずつ暮れる夕日を眺め、地上を走る車にライトが付き始めた頃、エレベーターで展望デッキまで下りた。
展望デッキから少し降りると、お土産コーナーやカフェの並ぶ区画に到着した。一通り風景を楽しんだ後、ここでゆっくりしてから地上に戻るというのが順路なのだろう。
けど僕らはそれらに目を向けることなく、黙って窓際にあるベンチに腰かけた。
「今日はこんなことになるなんて、思わなかったなあ……」
燃えるような赤い陽を横顔に浴びながら、優佳はしみじみと言った。金糸のような毛先がオレンジ色に輝き、その美しさにしばし目を奪われる。
「悪く、ない一日だったでしょ?」
「……人のことをだましといて、よくゆ~よね?」
優佳は人差し指を伸ばして僕の頬をつっつく。
突かれた片頬を膨らまして押し返すと、面白がってつっつきレベルを少し上げてくる。
「汗かいてるから、汚いよ」
「いまさら、そんなの……」
と言いかけて優佳はなにか思いついたように、ポシェットの中をいじり出す。
出てきたのはデオドラントシート。
それを一枚取り出し、僕の前髪をかき上げて額から鼻の頭、頬から首まで拭いてくれた。少し人目もあって気恥ずかしかったけど、抵抗せずになすがままにされた。
昔からそうしてくれた”おねえちゃんの世話”だ。
子供の頃は恥ずかしかったので『そんなことしなくていい』って逃げ回ったけど、『そんな子に育てた覚えはありませんっ』って怒ったり、度が過ぎると『嫌われたぁ』って泣き出したりするから始末に負えない。
少し気恥しい僕は、横目に逸らして優佳との視線を外す。無視なんかできるはずもないので、チラチラと顔色を窺ってしまう。優佳はそれに気付いているのかいないのか、真剣な顔で丁寧に汗を拭き取っている。
そうされている時、僕は否応なしに優佳の年下なんだなって思わされてしまう。
「……はい、おわり。これでちゃーんと整った顔に戻りました」
「まるでさっきまで歪んでたみたいな言い方だね」
「そうっ、いまわたしはサトシをイケメンに作り替えたのです。メイク代は……5000兆円です!」
「ここに5000兆円もあったら重さでこの搭は倒壊するよ……」
5000兆円は全部一万円札にしても五十万トンである。この晴空塔十二本分の重さに相当する。
「なによ~せっかくイイ仕事をしたっていうのに」
「じゃあ、お返しに僕が同じことしてあげよっか?」
「……いいのっ、わたしは汗なんて掻かないんだから」
そう言って優佳はぷいっと顔を背ける。
「まるで子供みたいな言い分だ」
「名実ともにわたしはおねえちゃんですっ」
「でもたまに思うよ、年下の妹みたいだって」
「あ、ひどい」
笑みを携えて言う。
「でも……もしサトシが年上だったとしても。逆にわたしがもっと先に生まれてたとしても、なんにも変わらなかった気がする」
僕が年上。もしくは優佳がもっと年上、か。
仮に優佳が十歳くらい年上だったとして想像してみる。すると二十九歳、数字だけ見るともうだいぶ離れてしまった。そんな相手にいまと同じような話題を振ることができるだろうか? 態度を変えずにいられるだろうか?
少し考えて、僕は沈黙を破る。
「……うん、変わらない気がする」
僕はそう応えた。
「どーして?」
優佳は覗き込むように、試すように僕の応えを聞きたがる。思うだけタダ――ではなくて、確信を持てた。
「さっき、さ」
「うん?」
「転んだ子供を介抱してあげてたよね?」
「そうだけど」
「僕がもし、さっきの子供くらいの歳で、ああやって助けてもらったらさ。そんな親切なお姉さんに笑顔を向けられたら、きっと……憧れたと思うから」
馬鹿みたいなことを、言ってみた。
「な、な、なに言ってんのよぅ……」
「……っ優佳が、聞いたんだろっ!?」
気障に決めることもできず、情けなく噛んでしまった。
「バ、バカバカバカ、なにカッコつけてんのよっ」
優佳は目を回しながら、掻かないはずの汗を額から垂らしていた。
「さ、僕は言ったぞ。優佳は……そんな僕を、どう思う?」
「そんなの、しらないっ!」
知らないと口にしながら……優佳は僕の肩に頭を乗せてきた。顔色は見えない、耳の色は見えるけど。
「……サトシ、肩の位置高ぃ」
「ごめん」
「サトシが、小さくなりなさい」
「無理、優佳が大きくなって」
「やだ」
「無理じゃなくて、いやなんだ」
「高い肩のほうが、好きだから」
「……やった」
「ふふ、バカ」
「バカで結構」
「……ね、サトシ」
「うん?」
「…………なんでもない」
もうすぐ陽が暮れる――地上にも明りが灯り出し、夜が来る。
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