8-9 十年目にしての、初デート……?


 今日は平日だが夏休みということもあり、法被を着た店員が盛大にキャンペーンを叫んでいる。


 エントランスには大きなガラポンが置かれていて、指定メーカーの商品を買うと抽選会ができるようだ。


 とりあえず目に入った携帯コーナーに立ち寄る。


「ね~見てサトシ。このスマホ喋ると答えてくれるんだって」


「どれどれ……世界で一番カッコいいのは誰?」


 スマホが無機質な声で答える。


『それはもちろんあなた様です! 確かにそれはそうなんですが……いえ、なんでもありません』


 優佳は手を叩いて笑う。


「サトシのカッコよさは、なんか含むところがあるみたいだね?」


「ぐぬぬ……スマホのくせに生意気な」


「次はわたしがやってみる、世界で一番カワイイのはだぁれ?」


『すみません、なにを言っているか理解できませんでした』


「はは! 優佳、意味不明な質問はやめろってさ!」


「む~違うもん! ちゃんと伝わらなかっただけだもん!」


「そうかな? ま、いいや次いこ」


「よくない! まだわたしカワイイって言ってもらってないんだから!」


 と、ぎゃあぎゃあ騒いでくると店員が笑顔で近づいてくる。


「いらっしゃいませ、最新のスマホは面白いですよね。今日はお買い換えですか?」


「いえ、先週に買い替えたばかりです」


「……そうですか、もし御用があればお声がけください」


 店員は少しテンションを下げて去っていく。


「あれ? サトシ、スマホ買い換えたばかりなの?」


「ああ、ちょっと電池の持ちが悪くてね……」


 さすがにアルコールに水没させたなんて優佳には説明できない。お約束の”おねえちゃんの説教”が始まるのは目に見えている。


 僕たちはエスカレーターで空調機のフロアまで上がる。シーズン真っ只中ということもあり、たくさんの人がそこには詰めかけていた。


「うわぁ、すごい混んでるね」


「一番暑い時期だからね。でも夏も終わっちゃうから、暖房として見る人も多いんじゃないかな」


 僕がそう言うと、優佳は少し寂しそうにつぶやいた。


「そっか、もう夏も終わりかぁ……今年はサトシとどこにも行けなかったね」


「……ごめん、いまからで良かったら、どこでも付き合うよ」


 優佳は曖昧な笑みを返して「ありがと」と言った。


 果たしてこの夏の間にまた優佳と外に出る機会があるのか。それは今日の結果次第だ。


 自然と肩に力が入る。


 それからエアコンコーナーで店員の説明を受けたけど、結局なにも買わなかった。というのも僕自身、元々買うつもりがあってきたわけじゃない。


 ただ優佳と歩きたくて理由を作っただけだった。電機店に入ってウインドウショッピングができればそれでいい。


 それから僕たちは扇風機に宇宙人であることを告白し、マッサージチェアに腰かけて婆さんに昼飯の催促をし、電子ドラムでデタラメタルを演奏してから店を後にした。


 なんだかんだと十四時を過ぎていたので、適当なハンバーガーショップに入る。


 兼ねてから一度行ってみたかったメイド喫茶を提案したが「行くなら一人で行ってください」と冷めた目で言われたのであきらめた。


「でも秋葉原って本当にアニメの看板ばっかりだね~ちょっとびっくりした」


「だよね、ちょっと非日常感」


「なんかね~ゴエンさんの旦那さんが結構そう言うの好きなんだって。だから結構買って欲しいものがいっぱいあったみたい」


「そっか……じゃあ今日来れなくなっちゃったし、ちょっと可哀想なことしちゃったな」


「それは大丈夫みたい。また後日、タイミングをみて来るみたいだから」


「そうなの? って、あの人いつまで日本に滞在するつもりなの?」


 僕はこっちに来れるようにお義父さんに話したり、日程の誘導はしたけど帰る日取りまでは聞いていない。


「なんか八月いっぱいは丸々いるみたい。旦那さんが気を利かせてくれて、その間は家にいてくれるみたい」


「そっか。いい旦那さんだね」


「ね~? そんないい旦那さんとゴエンさんを、悪い人だと思ってた人はよぉく反省しないとね?」


「……はい、面目ない」


 直接会って話すまで、悪い人たちだと思ってた僕としては肩身が狭い。


「反省してるなら良し! でも、よかったぁ。サトシとゴエンさんの話を笑ってできるようになって」


「うん。子供の頃の思い込みって怖いなって思った。少しでも順番を間違えていたら、いまも李さんを悪者扱いしてたかもしれないし」


「ワルモノって」


 優佳は言い方が面白かったのか、口元に手を当てて小さく笑う。


 その笑顔に相対して、僕は心を決めてから、そこに一石を投じる。


「だから優佳、ありがとう」


 笑顔から一転、驚いた顔になる。


 そこに込めた”ありがとう”の意味は一つじゃない。裏にある意味をわざわざ口にしたりもしない。


 だってそれはもう必要とされていないから。その中身を打ち明け合う作業は、先日終えたのだから。


 けれどいまどうしても、それを伝えておきたかった。僕は優佳の選んだ一連の行為に”ありがとう”と感謝で終わらせる、って。


 だから、あとに続くのは”これから”だけ。


 優佳がそれを正確に理解したのかはわからない。けれど一言だけ「うん」と、笑顔で頷いてくれた。


「……ごめん! なんかしみったれた空気になった!」


 僕は少し大げさに謝ってみせる。


「もう、ホントだよ。せっかく二人で出てきたのに……って、最初に揚げ足を取ったのはわたしでしたっ」


 優佳はウインクなんかしながら、自分の頭をこつんと叩く。そうふざけてくれる優佳の仕草に笑みを返す。


 ――それだけで、済ませてくれた。


 僕たちの関係はいまや、綱渡りのようなものだ。少しでも綱が揺らいでしまうと、ネガティブな方向に転がってしまいかねない。


 けど優佳も、そんな楽しくない話を避けてくれた。決してすべてが水に流れたわけではない。でも少なくとも一緒にいるこの時間を、壊さないようにしてくれている。


 それがただ、嬉しかった。


「……どうしたの?」


 優佳が不思議そうな顔で訊ねる。


「なにが?」


「なんか変わった笑い方してたから、気になって」


「特に、なにもないよ」


「そう?」


 そんな不毛なやり取りをした後、僕たちは口を閉ざしてハンバーガーを頬張り出す。


 なんとなくスマホを取り出し、あてどもなくネットサーフィンを始める。優佳もそれに倣うかのようにスマホを取り出し、なにかの画面を眺め……てると見せかけて、僕の顔をチラチラと盗み見ている。


 ……そして不意に訪れる、沈黙。


 なんだろう、無性にそわそわする。


 こんなこと前からあったっけ?


 前って言うのはもちろん、優佳が李さんのところに行く前。


 こんな沈黙があったような気もするし、なかったような気もする。だとしたら、それはあったとしても気にならなかったというのが正しいんだろう。


 だから変わったのは、意識。沈黙があっても気にしなかったけど、いまは意識してしまう間柄。それだけだ。


 僕と優佳は、お互いの間にある好意が当たり前だった。


 近くにいて当たり前、遠慮しないのが当たり前、連絡するのが当たり前で、そして同時に連絡しないのも当たり前。


 だから沈黙があっても気にしないのが当たり前だった、のだろう。


 でもいまはそんな当たり前が全部なくなった。


 だから沈黙が、気になる。

 沈黙が訪れることで、お互いの間にある行為が揺らぐのが、心配だった。


 ――お互いが、お互いのことを意識し直している。


 そんなこと、初めてだ。


 幼稚園の時も、小学生の時も、中学生の時も。

 優佳と一緒に出かけることは当たり前。付き合うようになって、それはデートと言う名目に変化した。


 言い方がデートに変わったとしても、出先でやることはそれまでと変わらない。だって僕たちは当たり前にお互いのことを好いていたんだから。


 好きの形は違えども、前提として相手に好意があるなら、よっぽど変えようとしない限りは変わらない。


 だからお互いの好意が揺らいでいるこの瞬間、沈黙が訪れることで好意が揺らがないか不安、という”はじめて”を経験している。


 ……そういう意味では、僕は優佳と初デートをしているのかもしれない。


 一般的に初デートって言ったら付き合う前にするものだ。二人で遊びに行き、お互いの相性だとか、一緒にいて楽しいだとか、共通の話題なんかを探り合う。そして、その結果としてカップルになるのかもしれないし、そこでうまく行かなければ……ということになるのだから。


 けど僕たちの場合はその前提をすっぽかしている。お互いに好意があることが前提で、一緒に生きてきた。だからこの沈黙は普通の初デートをする男女が感じるものより、大きい違和感を持って目の前に現れている。


 僕はまた優佳と以前の関係に戻りたい。

 後ろに下がってしまった、宙に浮いたままになっている関係を前に進めたい。


 優佳の気を惹きたいと思って、連れ出した今がある。


 もっと好かれたいし、相手のことを知りたい。一緒に楽しみたいし、楽しませたい。


 それが相手に好意を持つ人の当たり前。そっちのほうが好きな人への”当たり前”


 だから僕が優佳にしていた”当たり前”は、いわば相手の良心に胡坐をかく怠慢だった。


 この沈黙に不安を感じるのは、好きな人へ対する正しい感情。


 これまでが、間違い。


 だから僕がいま優佳に好かれたいと思うのは、マイナスになったものを取り返すための気持ちじゃない。


 だって握った優佳の手の小ささに戸惑い、向けてくれる笑顔に胸を打たれ、顔色を覗き見るいじらしさにモヤモヤしている。


 優佳に、こんなにもはっきりと、ドキドキしてる。


 僕は優佳を、こんなにも……


「ゆうか――」


 思わず、呟いてしまった。


 ストローを加えてドリンクで喉を潤していた優佳が「なに?」という顔で小首を傾げている。


 その仕草を見ているだけで、僕は優佳を抱きしめたくなる。


 思いの丈をぶちまけてしまいたい。


 けど、それは我慢。


 我慢して、然るべきときに伝える。


 それがデートという、駆け引き。


 受け入れられるかわからない好意を抱えた人の、正しい姿。


「……お昼が終わったらさ、ここに行こうよ」


 僕はスマホの画面を相手に向ける。


 そこに表示されているのは、国内一の高さを誇る観光施設。


 優佳は二つ返事で、それを了承してくれた。



---



「うほ~でっかいね~~!」


「優佳、うほ~って……」


「だってだって、すごいよ! こんなに高いと思わなかったんだもん!」


 という事でやってきました某晴空塔。

 もう一つの赤いタワーは子供の頃に行ったことがあったけど、こっちの方は初めてだ。


 優佳も初めて来たらしく、子供のようにはしゃいでいる。いや外見通りだけど。


「ちょっと、いま失礼なこと考えなかった!?」


「いえ、めっそうもない」


 なぜか伝わってしまうこの感覚も、懐かしかった。


 同時に昔の自分は優佳との間にテレパシーがあるのかも? と考えてた中二病時代を思い出し、頭を掻きむしりたくなった。


「上を見上げてると~首が痛くなりそう」


 体を仰け反らせて、そのてっぺんを目にしようとする優佳。


 つられて僕も見上げて驚く……頂点が視界に収まりきらない。あまりに建物が大きすぎて、遠近感がおかしくなりそうだ。


 僕らはひとしきり中空を眺めた後、敷地内に入った。


 下町をイメージした切妻屋根のショッピングフロアには、和装小物からペットショップ、フードコートまでなんでも揃っている。辺りは家族連れや外国人観光客、大学生くらいのカップルでごった返しだ。


 先ほどまで僕に手を引かれていただけの優佳は、いまは自分から握力を返し、並んで歩いていた。


 手を握られただけで顔を赤くしていた優佳も新鮮でよかったけれど、こうやって遠慮せずに笑いかけてくるほうが、僕にとって居心地が良かった。当たり前になり過ぎることはよくないけれど、長年こうして連れ添って来た安心感にはやっぱり適わない。


「見て見て! 外国の学生がいっぱいいる、修学旅行かな?」


「だろうね、って背高っ!」


 ナチュラルにブロンドの髪をした学生がいくつも通り過ぎていく。男子学生は百八十センチくらいは当たり前にあり、ガタイの良さも日本ではお目に掛かれないくらいだ、外人はみんなラグビー部なのだろうか?


「うわ……女の子も美人ばっかり」


「ホント、モデルみたいだ」


 スレンダーな女子学生が髪をなびかせて歩いていく。


 と、その学生はこっちの視線に気付いたようだ。

 こっちに向かって手を振ってきた、僕と優佳は手を振り返す。


 通り過ぎる時の横顔も後ろ姿もキレイだ、というか歩き方すら洗練されてるように見える。


「ちょっと、いつまで目で追ってるの? おしりばっかり見ちゃって、やらしい~」


 抗議するように優佳の握力を強めて、僕の手をキリキリ締め上げる。


 全然痛くないけど。


「ちょっと見てただけだろ?」


「ちょっとじゃない、けっこ~見てた。美人だったもんね~? おっぱいもおっきかったし、サトシはきっとああいうのがいいんだよね~!?」


 握力が効いてないことに気付き、もう片方の手で僕の脇腹を突いてくる。


「痛い、痛いって!」


「サトシのバカ。アホ。ドテカボチャ!」


 悪口のセンスがない。


 僕は優佳の殴る手を受け止めると、両手を握り合って向き合うような形になる。


 そんな体勢になって気恥ずかしさが出たのか、優佳は少し俯いて唇を尖らせて言う。


「ほんっと、いっつも他の女の子ばっかり見て」


「悪かったって」


「かわいくて美人だったら誰でもいいんでしょ、つ~んだ」


 つ~んだ、て。


「そんなわけないだろ、早く上に登ろう?」


「やだ、もうおうち帰る」


 子供か。


 そんなこと口にしながらも、手を離す様子はない。


 僕は心の中で一つだけ溜息をついて、拗ねた顔の優佳を真正面に見る。


「久しぶりに見たけど、優佳の拗ねた顔もかわいいね」


「……なっ!」


「目、背けないでよ。優佳のそうやってコロコロ変わる表情、好きなんだから」


「な、なに言ってんのよう……」


 声音には照れが混じっている。それに気付かないふりをし、僕は空とぼけた表情を作って優佳をイジリ続ける。


「そんなこと言いながらも、口元ちょっとニヤけてるよ?」


 優佳は口元をむずっと大きく歪めたあと、顔を背けながら唇を片手で隠す。本当は両手で隠そうとしたけど、繋いだほうの手は離してやらなかった。


 これで優佳のわがままを言う口も塞いだ格好になる。


 ……秘技、べた褒め作戦。


「優佳、肌が白いから赤くなるとわかりやすいよね」


 僕の意図に気付いたのか、優佳はいじめられるのをイヤイヤするように繋いだ手を揺すってくる。


 絶対離してやるもんか。

 僕も目的を忘れて意地になってきた。


「さっきの人もキレイなブロンドの髪だったけどさ、優佳だっておんなじ色なんだ。……いや僕は優佳の髪の方が好きだな、少しくせっ毛のこがね色」


 もう優佳はなにも言わない、表情を見られまいと俯いている。


「ね、優佳。髪触ってもいい? そういえば僕、優佳の髪をもう四ヶ月近く触れてない」


「……いや」


「駄目か、残念」


「…………いつも勝手に触ってたクセにぃ」


「そういえば、そうだったね」


 僕は空いた手で、勝手に優佳の頭を撫でる。

 優佳は触れた瞬間、ぴくっと反応したがなにも言わずされるがままだった。


「一人でこんなの登っても、つまんないからさ。優佳がいないと、つまらないから……だから、お願いっ!」


 本気で言うとただの重い奴だから、語尾を上げ調子にしてお願いする。


「……も~っ!」


 優佳は突然大声を上げて、僕の手をがっしり掴み直して先に歩きだす。


「ほんっと調子いいんだから!」


「なんのことかな」


「どうせ褒めとけば、なんとかなるって思ってるんでしょ!?」


「……なんのことかな?」


「ばかものっ!」


 優佳はムキになって、かじりつくように腕に抱き着いてきた。


 半袖同士なので素肌が触れ合って、なんかこう……むずがゆい。


「……こうしてくれたら、付き合ってあげないこともないんだから」


 むくれながら、上目遣いに交換条件を申し出る優佳。


「よろこんで!」


「うむ、くるしゅうない!」


 優佳がおどけながらそう言うと、僕らは同時に堰を切って笑いだした。


「ね、サトシ」


「なに、優佳?」


 優佳は僕の顔を長く見つめ――


「……へへ、なんでもない」


 腕に感じる細い指先が、胸の疼きを優しく引っ掻いた。

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