8-6 めんどくさい女は、かわいいらしい


「映子……顔真っ赤じゃないか」


「それは、傑さんに会えたからだと思います」


「いや、違うだろ」


「ノってくださいよ、つまらない」


 私が真っ赤なのは……日焼けのせいだ。

 炎天下の中、私はオナチューの男友達とスリッパ飛ばしで遊んでいたんだから。


 傑さんはデスクで顔に手を当て、大きくため息を付いた。


 現在時刻は二十一時半、場所は牛木興業。


 纏場と別れた後、今日会いたいと連絡したところ『まだ仕事中、終わってからなら……』と返ってきたので、そのまま乗り込んでみた。


 一度家に帰って私服に着替えていたので、仕事場を訪問するには、やや場違いな格好だ。


 傑さん以外の人が職場にいたら、場違い女の訪問に笑いながら傑さんを帰してくれるんじゃないかって期待もしながら。


 もし、それでも帰ろうとしなかったら「ほら傑しゃん? 映子ママが迎えに来ましたよ?」とでも言ってやるつもりだった。あとは噂に任せるのみ。



「やっぱりブラック企業じゃないですか、ここ。なんなら私が火をつけてあげましょうか」


「冗談でもそんなこと言うな。社長の耳に入ったら本気にするだろう?」


「でも、その時は傑さんが庇ってくれるんですよね? 私、そーいうのに憧れてたので、ちょっと楽しみです」


「……映子なんかテンションおかしいぞ? それになんで……ぷっ」


 顔に当てた手の合間から私の顔を覗き込み、失礼なことに笑い出した。


「映子、その日焼けどうしたっていうんだ? 華暖クンと一緒にガングロで夏休みデビューでもするのか?」


「あ、その発言差別的。全国の日焼け女子を敵に回しますよ?」


「で、一体どうしたんだ?」


「ここじゃ話したくありません、外に出ましょう?」


「あのな、まだ仕事が残ってるって……」


「シゴトとワタシ、どっちが大事なんですかぁ~!?」


 わざと冗談っぽく言ってみた。


「仕事だ」


「ですよね? だから私、終わるまでここで待ってます」


「そうか」


 私は遠慮なく応接用のソファに腰かける。わざと傑さんの視界に入る位置に座って。


 事務所に沈黙が訪れる。

 聞こえるのは傑さんのキーボードを叩く音だけ。


 私は構ってくれない傑さんに気にする風もなく(強がりじゃなく本当に)スマホを取り出し、絵里にLINEで帰りが遅くなる旨を伝える。


 ちなみに傑さんが家に来てくれた翌々日、絵里が合宿から帰ってきて、それに合わせてお母さんも実家から戻った。


 お父さんは多分、八月末までは現場から帰って来ないだろう。


 ああ、そうだ。あと華暖にも言ってやらないと。纏場にバラしてたこと、本当にただじゃおかないんだから……


 私はスマホ越しにチラッと傑さんの様子を窺う。あ、目が合った。


「ああ~クソッ!」


 傑さんが珍しく大声を出している。


「集中できないっ、今日は帰る!」


 パソコンの電源を落とし、上着を羽織って、バッグを肩にかける。作戦成功。


「さ、帰りましょう。私、夜ご飯まだなんですよね」


「わかったわかった。この時間からだと、どこか開いてるか……?」


 スマホを開いて、ぐるなぼうとする彼を遮って私は言った。


「私が作ります。だから……今日は傑さんの家に行きたいです」


 彼は目を点にし、呆けたような顔で、私が言ったことの意味を反芻していた。


---


 車を出してもらい、閉店ギリギリのスーパーに駆け込んだ。


 時間もないから彼には車で待っててもらおうとしたが、彼は荷物持ちをすると言って聞かず、結局お代も荷物も持ってもらった。


 ……これじゃ、なんのために今日という日に滑り込ませたか分からないじゃない。


 傑さんの家は、思ったより職場から遠かった。


 なんでも、せっかく実家から出たのに夕霞市から出なかったら、なんのための一人暮らしか分かったもんじゃない、というのが彼の主張だった。絵里や家族と離れて暮らそうなんて考えたことない私には、よくわからない。


 傑さんの住まいは、ゲーテッドコミュニティの七階建てマンションだった。


 マンション敷地内に門があり、そこを抜けなければそもそもエントランスまでたどり着けない、厳重なセキュリティだ。こんな厳重なマンションで、一体なにをそんなに守るものがあるんだろうか。


 エントランスは吹き抜けになっていて、暖色の明かりに包まれており、白い清潔そうなソファとテーブルが二対ほど並んでいる。


 まるでホテルかデパートじゃないか。


 そこに長ネギが飛び出したビニール袋を抱える傑さんと、日焼けでタコのようになった女子高生は、まったくもってその場に不釣り合いだった。


 傑さんはそんなことを気にする風もなく、七階のボタンを押して私共々エレベーターに乗りこんだ。


 乗り込んだエレベーターのミラーを見て、私はぎょっとした。


「うわぁ……思ったより真っ赤」


「だから言ってるだろ」


 傑さんは口元に浮かびそうになった笑いを噛み潰して言う。


 少しイラっとしたけど……笑ってくれて安心した。

 だって私の悪行の数々は羅列すればするほど、自分でも大丈夫かって思うことがある。


 転勤の話でブチギレる、告られそうなタイミングはスルー、職場に押しかけて仕事を強制打ち切り、人によっては本気で怒りかねない内容だ。


 でもまだまだ自重はしない。めんどくさい女は可愛い、それを今日だけは信じてみることにする。失敗したらそれを口にした、ヤツのせいにしてやるんだから。


 七階に着き、静かにエレベーターのドアが開いた。


「……うわ」


 綺麗な夜景……


「どうした?」


「いえ、あまり高いところから夜景なんて見ないから……」


「でも、たかが七階だぞ?」


 そう、たかが七階だけど。

 ここ最近、高い建物にも観光地にも行かなかったからか、ちょっとした感動があった。


 道路沿いに光る、黄色や赤のライト。


 遠くの団地はまばらに明かりを灯し、一方で住宅地から離れた林は不自然なくらいに真っ暗だ。


 高いところに立つと、こんなに人の生活が見える。人ひとりの存在なんてこうしてみたらいかにちっぽけなことか。


 だから宇宙飛行士が人の悩みなんて――って言ってしまうのだろう。


 私一人がウニウニ悩んでたって……よし、そう考えたらなんでも出来る気がしてきた。


 そんなことは関係なしと傑さんはスタスタ歩いて、壁際の部屋に鍵を通し、くいくいっと手招きをして私を招き寄せる。


 途端、私は急にドキドキしてきた。


 ……私、いまから男の人の一人暮らしの部屋に入るんだ。

 中に入って急に(もしもだけど)傑さんが襲ってきても、私は抵抗できない。


 なんか怖いような、嬉し恥ずかしいような、変な気分。


 けど、私のそんな懸念はすぐにかき消される。


「ど、どうぞ」


 とか言って、傑さんも緊張していることに気付いてしまったから。


 ……かわいいとこ、あるじゃない。


 顔には出さないようにひっそりとそう思ったけど、口元に笑いが浮かんだのはバレてしまい「……なに笑ってるんだ」とツッコまれてしまった。


---


 中に通されて驚いた。リビングが十畳ほどもある2LDKの広い部屋だった。


 廊下のフローリングもワックス加工してあるし、なかはホテルと大差なかった。


 無粋にも「一人暮らしで部屋二つも必要ですか?」って聞いたら「一つは仕事にも使えるPC部屋、もう一つは寝室。分けないと落ち着いて眠れない」ともっともな意見が帰ってきた。


 にしても家賃いくらなの、ここ?


 改めて考えてみると……私よりいっこ年上なのに、地元でいま急に伸ばしてきている会社の社長秘書、って結構すごいんじゃないか?


 私みたいなイモ、もとい今は焼きイモが、おいそれと近づいていい相手じゃないんじゃないか……?


 って私、自虐ネタがいつの間にか定着しつつあるぞ。

 よくない、よくない、私は彼にとって……


 ……なにかをハッキリさせるためにここに来たんだ。


 私は改めて拳に力を込める。やるのよ、林映子。


 部屋のライトを浴びて左手首に巻いたケースが光る。片時も離さず付けてきた、彼にもらった腕時計。


 これがあれば、私はなんでもできるのだ。


「エーコ、どうする先に風呂に、入るか?」


「い、いえ、私は先にこれ作っちゃうから……」


 言ってビニール袋を指さす。


「そ、そうか、じゃあ俺もてつだ……」


「私だけにやらせてっ!」


 声を震わせながらも、自然と大声で叫んでしまう私。


「わかった……」


 傑さんもどこかぎこちない。やはり緊張しているのだろうか。

 だって部屋に初めて入った女に「風呂入るか?」とか聞く? 普通。


 下心が覗いたというよりは、傑さんも結構にテンパっているのだろう。以前に言っていた『特別な仲になった女性なんていない』というのは、どうやらデマカセじゃないようだ。


 別に疑ってるわけじゃないけど……長年の思い込みがあったから、中々そのイメージが払拭できない。


「じゃあ、俺は風呂に入ってる」


「え、ええ……どうぞごゆっくり」


 なにを言っているんだ私は。彼にとっては自分の家だろう。

 まあ、あとでお風呂借りられるなら入りたいけど、って日焼けの状態で風呂なんて入ったら阿鼻叫喚?


 ……いや、もう余計なことは考えずに、とりあえず当初の予定通り夕食を作ろう。


 冷蔵庫横に青のエプロンが掛けられていたので、それを拝借する。


 私服で来ちゃったけど、エプロンするんだったら制服の方が喜んでくれたかな? なんて下世話な想像を脇に、私はビニール袋を開いて材料を用意する。


 長ネギや豆腐、三割引きのシールが張られた牛肉パックを取り出す。


 作るのはすき焼き。

 男性なら間違いなく嫌いな人はいないだろう。


 それにしっかりした料理ではあるが、作るのはそこまで難しくない。

 昔からよくお母さんに手伝わされて作っているので失敗することもないだろう。


 こうしてキッチンを前にして料理の準備をしていると、緊張するよりも先に美味しい料理を作りたいという気持ちの方が前に出てくる。


 あ、これってちょっといい傾向かも?

 なんなら彼がお風呂あがった時には、私が話の主導権を握るくらいでいたいかな?


 ……と、そんなに世の中は上手くいかなかった。


 すき焼きのタレがない。

 実家だと市販のタレを入れて終わりだったけど、それを買ってくるのを忘れていた。


 ということはそのすき焼きのタレを作るほかない。そんなイレギュラーに私の背筋に汗が滲んでくる。


 とりあえず必要な調味料を検索してみると、醤油、砂糖、みりん、あとダシも出来れば必要らしい。


 醤油と砂糖はあったけど、みりんとダシは置いてなかった。


 なんでそんなものもないのよっ! と思ったけど、男の一人暮らしだったら確かに無いものなのかもしれない。


 ダシは鰹節があったのでそれで取ることにしたが、みりんを作るのは骨が折れそうだった。


 日本酒+砂糖とあるが当然日本酒なんて無い。


 コーラも味が近いとあったが、冷蔵庫には見当たらなかった(お風呂中だったので勝手に開けました、ごめんなさい)


 けど、私の目に入るものがあった。


 テレビの横に鎮座した琥珀色の液体。


 近づいてラベルに欠いてある名前を読む。○年の孤独。


 ウイスキーだ。

 って、なんて名前のウイスキーよ。


 そして何故ここにあって、半分はなくなってるのよ。


 けど私はその瓶を握ってキッチンへ戻る。それを計量カップに入れて、砂糖を入れる。


 う……当たり前だけど、アルコールが強すぎる。

 水を少し入れて……こんな感じ?


 あ、これなら意外といけるかも。なんか風味がとてもスモーキーなみりんだけど。


 私はいまのひと舐めで”お約束”にはならないように、作り置きのしてあった麦茶をがぶ飲みする(また勝手に開けたし、今度は飲みました。すいません)


 それでも頭がちょっとポーっとするのは、きっと日中に陽にあたり過ぎたせいだろう、うん。


 これであとは材料を焼いて、煮つければ完成。というかようやく調味料が完成しただけじゃん……



 それから十数分で傑さんはお風呂から上がった。


 彼はTシャツとジーパンのラフな格好で、毛先をまだ少し濡らしており、普段見ない彼の一面に私はしどもどする。


 私はミトンを手にはめ、フロアテーブルの鍋敷きにまだ湯気の立つ鍋を置く。その間に彼は取り皿と卵、箸立てを持って来てくれる。


 なんだろう。私が作ってくれる間にそれに応えるように、自然と下準備をしてくれるのが、ささやかながら嬉しい。


 まるで……いや、なんでもない。


「お、美味そうじゃないか」


「当たり前です、私を誰だと思ってるんですか」


 ミトンを手にはめたまま、腰に手を当ててちょっとドヤッてみる。


「はやく食べよう」


「もう、落ち着いてください。料理は逃げたりしませんから」


「でも冷めたら味が落ちる。もったいないじゃないか」


「そう言ってくれるのは、嬉しいですけど」


 私はミトンとエプロンを外して、冷蔵庫脇に戻しに行く。背中に傑さんの視線を感じてどぎまぎする。


 机に戻り、手を合わせて――


「「いただきます」」


 私たちは少し遅めの夕飯をいただいた。


 傑さんはさっそくとばかりにお肉に箸を伸ばし、溶いた卵につけてから一口。


 私はまだ箸になにも取ることが出来ず、彼の動向を伺う。


「……うまい」


 子供のような笑顔で彼はそう言ってくれて、胸をなでおろす。


「よかったぁ……」


「なんだよ映子、さっきはあんなに自信満々だったのに」


「ですけど、そりゃ私だって気になりますよ。私と味覚が全然違ったらイヤだし……」


「自信持てよ、これなら店も開ける」


「それは言い過ぎです」


 私も安心からか空腹を覚えた。だって気付けばもう二十二時半だ、夕飯には遅すぎる。


「いや、ほんと美味いな。毎日作って欲しいくらいだ」


「ふふ、本気にしますよ?」


「……そのつもりで、言ったんだけど、な?」


「……少しどもったから、失敗ですね」


「揚げ足を取るな」


 なごやか。


 傑さんとこんな普通を送れることが楽しい。


「でも」


 彼は考えるようにして、視線を上向ける。


「なんか少しスモーキーだな?」


「……気のせい、じゃないですかね?」


 もし隠し味に気付くことがあるのなら、私がこの部屋を去ってからにして欲しいものね……

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