8-5 エーコ
ゲームの内容はスリッパ飛ばし。
お互いの右足に履いているスリッパを五回ずつ飛ばし、表が出た数の合計で勝敗を競う。
試しに二人で何回か飛ばしたが、意外にもスリッパは回転せず、飛ばした表のまま着地することが多かった。
だからフェンスに当てて変化を付け、それで確率がようやく五分五分になった。
フェンスの高さは三メートルほどあるが、もし場外に飛んでいったらその時点で負け。
……炎天下の中、こんなアホなことする奴がどこにいるだろう。
けどお互いにこのまま屋上を後にする選択肢はなく、必ず決着をつけるという気持ちは同じだった。
「エーコ、先攻と後攻どっちがいい?」
「後攻で」
汗を拭きながらエーコが答える。
「よっしゃ、じゃあ僕から行くよ」
フェンスから二メートルくらい離れたところで立ち止まる。これ以上離れるとエーコがフェンスにスリッパを当てられないかもしれないから。
僕は無駄に足を後ろに振り被って、フェンスに向かってスリッパを蹴り飛ばす!
カシャンと小さな音を立て、スリッパはそのまま爪先から真下に落ち……踵を地面につけた、表だ。
「よし、きたっ!」
僕はガッツポーズをし、対戦相手にドヤ顔を見せつける。
エーコはケッ! とでも言いたそうな顔で、僕の喜びを水を被せる。
そして僕はケンケンをして、スリッパを片足に戻しに行く。
間抜けな構図この上ない。脳内BGMとしてディック・〇イルのあの曲が延々と流れている。
「じゃあ、次は私ね」
エーコが定位置に立ち、僕と同じように無駄に足を振り被ってから、前に突き出す。
しかし途中ですっぽ抜けたのか、足が上がり切る前にスリッパが発射され、低空でフェンスにぶつかり、そのまま角度を変えることなく地面に着地した。
……いろいろ解説したが、要は表だ。
「さっすが、私」
涼しい顔で顎を斜めに上げ、見下した視線を投げかける。
「いやいや、ちょっと待ってよ! いまのはズルイだろ? そんなの僕だって同じことすれば百パーセント表が出るよ」
「そんなの決めたルールに無かったわ。それにこの方法で百パーセントなら、失敗するのをお互いに待てばちゃんと勝敗つくじゃない」
飄々とした顔で結果をゴリ押しするエーコ。
「わかったよ、そこまで言うなら続けてやろうじゃないか」
そしてエーコが先ほど僕がしたようにケンケンでスリッパに近づく。
体を弾ませるたびにワイシャツがたわみ、胸が揺れているようで目の保養になる。
「だが小さいので実際に揺れてはいない」
「なに口に出して言ってんのよ」
エーコがスリッパを手に取り、僕の頭をはたいた。
僕は再び定位置につき、先ほどエーコがそうしたように直進の射出を狙う。第二投。
「さすがにフェンスにぶつけるってルールはつけましょう。フェンス土台のコンクリートに当てるのは禁止よ」
「僕の番になって急にルール作るなよ!?」
「でもそれくらいは決めましょう。地滑りさせてしまえば百パーセント表になるし、勝負もなにもないわ」
「まあいいけどさ……」
先ほどエーコも低空とはいえ、ちゃんとフェンス部分にあたっていた。
「じゃ、二投目。発射!」
僕は膝を振り子の支点にし、足首にスナップを効かせてスリッパを飛ばした。
回転せずにそのままフェンスにぶつかったが、フェンスの網がスリッパの端にぶつかったせいか、外側に傾き……そのまま裏に着地した。
「なんじゃそりゃああ!!」
「ふっ、勝負あったわね」
ウソだろ……なんか本当にこのまま負ける気がしてきた。
「こ、このままじゃ、本当に優佳を取られてしまうっ……」
「ははは~ゆうかさんはあたしのものだ~」
棒読みで僕の嘆きに応じて見せるエーコ。
「そうはさせない! 優佳はエーコと違ってそっちのケはないんだ、僕が優佳を、守らなくてはっ!」
「……ええと、纏場?」
エーコが汗を垂らしながら、半笑いで僕の前に出る。
「えと、いまのはね、纏場の冗談に乗っただけで別に私は……」
「フフフ……この期に及んで言い訳は見苦しいぞエーコ?」
状況が不利なのにもかかわらず、腕を組んでエーコを威圧する。
「僕は華暖から”第一ボタンを受け取った本当の理由”を聞いてるんだぞ? いまさらなにを言ってもムダムダァ~!」
エーコの顔が、暑さのせいで赤かった顔が、さらに赤くなる。
「な、なななな……」
「お? その反応ということは、華暖の推理当たってたんだな?」
「か、華暖のやつぅ……バラしやがってぇ……!」
「ライバルだったとはいえ、一人でも優佳を好きな人がいて嬉しいよ? もし勝ったら僕の代わりに優佳をシアワセにしてやってくれよな?」
僕は調子を外した声で、羞恥に俯くエーコの肩をポンポンと叩く。
「あ~もうこうなったら絶対に負かす、そして泣かす! 纏場に優佳さんはもったいないわ! 略奪! 略奪よ!!」
エーコは大股で定位置に移動し、乱暴にスリッパを蹴っ飛ばす。
真っ直ぐに射出されなかったそれは、大きく回転したけれども、エーコの望む結果をそこに叩き出した。
「さ、このまま全部表で決着をつけるわよ!?」
肩をいからせたエーコが興奮気味に言う。
……もしかして僕、墓穴掘っちゃった?
---
それから三回目で僕が成功、エーコが初の失敗をした。四回目はお互い成功、そして現在三対三のイーブンで迎えた僕の先攻。
「負っけ~ろ! 負っけ~ろ!」
「うるさいっ! 気が散るっ!」
暑さのせいでエーコもノリがおかしくなってきている。ちなみにお互いの左足スリッパは高熱コンクリートのせいで、素材がちょっと溶け始めていた。
もし片足立ちが失敗して倒れたら、ヤケドしかねないだろう。
「よし行くぞ……? あ~した天気に、なぁ~れぇ!」
もう真っ直ぐ射出させるのは諦めた、ここで僕の全ての運を使い切る。
もう低空で云々のことなぞ気にせず、思い切りフェンスにスリッパを蹴り飛ばす。
やや右に飛んでいったスリッパは、地面に落ちた後も二回転ほど横に転がり、僕達に足裏を見せつけた。
「ウソだろ~!?」
僕は頭を抱えその場にしゃがみ込む。
「ふっ、勝負あったな」
エーコがメガネをくいっと持ち上げ、低い声を出す。傑先輩の真似でもしてるつもりだろうか、全然似ていない。
「……じゃ、エーコ。最後、頼むわ」
意図せず、少し落胆した声を出してしまった。
それを受けてエーコも素に戻ったのか、真面目な顔に戻る。そのまま定位置につき、背中を向けたままエーコは僕に聞いて来た。
「もし、私が失敗したら、延長戦ってやる?」
「そりゃ、やるだろ。どっちかが勝たなきゃ、引っ込みがつかないんだから」
「そう」
エーコはその返事を聞いて、大きくため息を付いた。
いつものようなつまらなそうな、仏頂面の顔。
そしてなにを思ったか右足のスリッパを片手に持って、大きく振りかぶったと思ったら――
「とんでけ~」
……棒読みの声と共に、フェンスの向こうに投げ飛ばしてしまった。
「「…………」」
お互い、なにも言わない。
興醒め。
失格。
試合放棄。
不戦勝。
「あ~あ、負けちゃった」
エーコは力なく言って、ケンケンでフェンスに向かい、カシャンと音を立てて、背中を預けた。
そしてエーコがこちらを見て、薄っすらと笑う。
――なぜか僕はその笑顔に、胸を鷲掴みにされ、泣き出したい気持ちになった。
「……危ないよ」
「うん」
僕は近づいて片方のスリッパをエーコに差し出した。
「ありがと」
エーコは素直にスリッパを片足に入れ、僕はフェンスに片手と片足をかけてバランスを取った。
なんとなく向き合うのが気恥ずかしくて、僕は視線を逸らした。
ここに来た時、お互いの距離は遠かった。
物理的にも、精神的にも。
元々はお互いに違う世界に生きてきたんだ。そう簡単に分かり合えるはずがない。
でもいまのエーコは、近かった。
暑さに顔を赤くし、汗を額に浮かべ、髪を靡かせ、礼を口にする。
砂漠に閉じ込められた世界に二人ぼっちの、生徒会室で二人コーヒーを飲んでいた時の二人だった。
あの時、あの瞬間、この時が永遠に続くような気がしていた。
色々な可能性が待っている未熟だったあの日、ささやかな出来事にワクワクして、ドキドキした。
けれど大人になった僕らは、その出来事に少しずつ区切りをつけて、前に進んでいく。
「これ、返すわ」
エーコがポケットから取り出したのは、三年前にここでエーコに渡した制服のボタンだった。
「返すなんて、失礼だ」
「つっ返されて、悔しい?」
「……すこし」
「ふふ」
「笑うなよ」
「すこし、期待したんだ?」
「……しょうがないだろ?」
「ははっ」
エーコは笑う。
「私なんかでも、纏場嬉しかったんだ?」
「……うん」
「そっか……」
エーコは背中に手を組み、屋上をペタペタと歩き出した。
溶けたスリッパの塗料が溶け、屋上に緑の足跡らしきものを残す。
僕はそれを黙って眺めている。
エーコがそうすることになんの意味があるかはわからない。
けど、きっとエーコにとっては意味のある行為で、僕が聞いたとしても理解できないのだろう。
そしてひとしきり歩き回った後、僕の元に帰ってきたエーコは片手を突き出す。
「……はい」
あの時に手渡したボタンを、僕に返す。
その姿を確認し、しっかりと受け取る。
「私ね、傑さんのことが好き」
「うん」
「なんだかんだ、私ってメンクイだったみたい」
「そっか」
「久しぶりに会って話したらね、すぐ惚れ直したんだって。どんだけチョロいのかって話よね」
「そうだね」
「……否定しなさいよ」
「じゃあ、そんなことない」
「遅いっ」
微笑み合う。
「傑先輩を、頼むよ」
僕は言った。
「エーコ、先輩にキツく当たったろ? 結構凹んでたぞ?」
「……ほんと?」
「ああ、だからきっと上手くいく」
「自信、ないな」
「僕が保証する」
「私、めんどくさくて重い女だからな」
「女の子は少しめんどくさいくらいの方が可愛いよ」
「……ほんとかしら?」
「ホント」
実体験に基づくから、間違いない。
「じゃあひとつ聞いていい?」
「ん?」
「纏場はなんて言って、優佳さんにコクったの?」
「……いきなりだね」
「いいから」
興味半分、からかい半分でエーコは先を促す。
「コクったのは僕じゃないんだよ」
「ウソ? じゃあ、優佳さんから!?」
エーコは話の展開に色めき立つ。
「うん、そして僕はそれを断った」
「え?」
嘘はついていない。
職員室で大揉めして、僕の家に入って優佳に全部白状した時の話だ。
「その時は生徒会長の優佳に迷惑をかけると思ったから。僕は公式には悪い奴になってるし、いい噂立たないだろうって」
「……そんなの」
「優佳は一度その答えを聞き入れた。けどその後に聞かれたんだ、自分のことは好きか? って」
「……なんて」
「好きだ、とだけ言おうとした。けど一度口にしたらオシマイだった。気付いたら馬鹿みたいに泣き喚きながら、優佳に対する感情を巻き散らかしていた」
エーコは、少し遠い目をしていた。
「それで、決意空しく、優佳とは付き合い始めた」
「……空しく、なんかない。最高の結果じゃない」
「当時は少し情けなく思ったけど……後悔してない」
「後悔したなんて言ったら、コロしてやるわよ」
エーコは唇を尖らせそう言った。
「だから結局好きって気持ち、抱え続けるのツライと思うんだ」
僕は聞かれてもいないのに喋り出す。
「僕はそれを我慢しようとして、我慢できなかった。一番好きな人に一番話したいことを打ち明けるなんて、とても自然なことだと思うから」
だから隠そうとしても言葉の節々に表れる。
そしてふとした瞬間に、きっと我慢できなくなるものだ。
「だからエーコの気持ちは伝わってると思うし、先輩の行動にそう言った心当たりを感じるなら、自信持っていいと思うよ?」
エーコは僕の言ったことを反芻しているようだ。
願わくばエーコに思い当たる節があればいいんだけど。
そしてしばらく考えこみ、自分の回答に辿り着いたようだった。
「じゃあ私からも」
「ん?」
「優佳さんのことお願い」
「任せろ」
「優佳さんも、ちゃんと纏場のこと好きなままだから」
「知ってる」
「纏場にたくさん謝られたら、絶対許すから」
「ああ」
「あの人の大丈夫ほど、大丈夫なものはないから」
「よく、わかってるね」
「……伊達に長いこと見てたわけじゃないから」
エーコの物言いに笑う。
そうして僕は片足でコンクリートに立ち直す。
「そろそろ行こう、さすがに日射病になりそうだ」
「そうね。むしろよく今まで平気でいられたもんだわ」
僕達は屋上の出口に向かって歩き出した。
とある桜の日、僕達は屋上で意図せぬ会合と別れを経験した。
それでピリオドを打つのも、また一つの卒業式の形だっただろう。
けど僕らは巡り合わせの中でまた出会って、仲直りをすることができた。
人生なんて案外そんなものかもしれない。
僕たちの関係は最初から中途半端で、なにか始まったのかも終わったのかもよくわからないままだ。
でも、それに満足できたんだったら、いいだろう?
友達とか、恋人とか、家族なんて所詮申告制みたいなものだ。
お互いがそうだと思っていれば、そうなんだ。
型にはめる必要なんて、最初からないのだから。
僕たちは日常に戻った。
鉄扉は重たい音を立てて閉まる。
スリッパの塗料跡が僕たちがここに来たことの証。
けれど僕たちがここを訪れることは、もうないのだろう。
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