7-18 最後に縋れるのは


 それからお母さんと少しばかり雑談をした。


 あちらの国のこと、こっちの街のこと、私にファンという名の弟がいること、私たちを取り巻く人たちのこと。


 そして私は一番気になっていたこと、本人から聞けてないことを、お母さんに聞いてみた。


「アネキの気管支炎の話、本人から聞いてる?」


「ハイ、聞いてます。ワタシのせいで体を壊してしまって……本当に申し訳なく思っています」


「本当に気管支炎なの? もっと悪い病気だったりしないよね?」


「それは大丈夫と思います。ワタシたちの住む所、ゆうかさんも来てた地域は工場遠くにあります。それでも喉を悪くする人いましたが、みんな症状は軽かったですから」


 それを聞いて胸をなでおろす。けどアネキのことだ、もし重症化していても隠しているとも考えられる。


「ゆうかさんには本当に迷惑をかけてしまいました。こっちに三ヶ月も居ることになってしまいましたし、エンドウさんの説得も全部変わってもらって……」


「私が言うのもなんだけど、そこは気にしなくていいよ。アネキが自発的にやり始めたことだし、それに……」


 私がお願いしたわけじゃないし、と言いそうになって口を噤む。そんなこと言ったらまるで私がお母さんに会いたくなかったみたいじゃないか。


「ゆうかさんはとてもやさしくて、ずるい人です。ワタシはイェンファに会えないと言っているのに、ゆうかさんはイェンファのことを話し続けました。そしてワタシも少しずつ聞き返して、どんどん会いたくされてしまいました」


 少しすねているような、おどけたような声ぶりで、知らなかったアネキの一面を語って聞かせてくれる。


 けれどお節介のアネキならありえるだろうな、と納得してしまえるような話。


「それと、ゆうかさん言ってました! 口をきいてくれなかったこともあるって。最近は普通になった言ったけど、それは本当ですか?」


 少しだけ責めるような目で、私を見つめてくる。


「そんなことまで聞いてるんだ……」


 もう、だいぶ昔のこと。


 中坊時代に私がアネキと諭史と一歩離れた時期。黒歴史でもあり、私が一番まともでもあった時期。

 友達がいるという意味ではあの時期の方が、いまより健全だったのかもしれない。


「そうだね。私はアネキとそして諭史に甘やかされてたから、子ども扱いして欲しくなくて二人から離れていた。反抗期とでも言うのかな」


 言いながら私は笑いそうになってしまう。

 反抗期だって。いまも卒業してるか怪しいのに。


 そして反抗期の時期に二人に当たってしまうなんて、それこそ二人を保護者と認めてしまってるようなものじゃないか。


「いまでこそアネキとは普通に話をできるようになったし、諭史とも……いろいろあって、仲直りをした。だからもう大丈夫」


 それを聞いてお母さんはホッとため息を付いて見せた。


「本当に、ダメですからね? 二人はイェンファにとって大切な人です、きちんと感謝をしないと……」


「あ~もうストップ! 分かってるから」


「なにがわかってるんですか、そんな言い方をしてはダメです」


「その言い方、本当にお母さんみたい」


「……ふふ、そうですね。少しファンと一緒にいるような気持ちになってしまいました」


 そう言って二人で笑いあった。……なんだろう、これ楽しいかも。


 胸に広がる、優しい気持ち。


 お母さんとはいまが初めて会うようなものだ。でもそれでいてこんな気兼ねない会話が出来ることこそが、家族ってものなのかもしれない。


 あ、これがお母さんと会った実感てやつかも?


「ねえ、ファンって私の弟なんだよね」


「ハイ、最近とってもナマイキです」


「へえ、写真ある?」


「ありますよ」


 お母さんはスマホを取り出し、写真の一つを見せてくれる。


「うわあ……こいつはすごい」


 見せられた写真にはマッカッカに染まった髪の毛にあどけない顔。少しばかり照れ臭そうにポケットに手を突っ込んで、視線を逸らす少年の姿があった。


「でしょ? ナマイキなんです。何度言っても髪の色を戻さないですし」


 そう言いながらも写真を見つめるお母さんの顔は、本当に怒ってはいない。そうやって突っ張った我が子を愛おしむ様子さえあった。


「でも無理やり戻したりしないんだね?」


「最初は戻させようとしたけど、やめました。ワタシも昔は親に殴りかかったりしてましたから」


「えっ!?」


「ワタシもこのくらいの時、すごい暴れていました。だから実はイェンファのこともファンのことも、しょうがない思ってます。イデンシですね?」


 そう言ってコロコロ笑いだす。……こんな温厚そうなのに、意外だ。


「はぁ……なんていうか、ビックリ」


「ワタシもゆうかさんからそれを聞いた時ビックリしました。ワタシとおんなじだって」


「じゃあ私がアネキや諭史に反抗したのは、お母さんのイデンシのせいだ?」


「もう! だからってワタシのせいにしてはダメです!」


「ごめんなさい。言ってみたかっただけ」


 そう言って笑い合ったあと、お母さんが補足する。


「だからイェンファが言うこと聞かない話、ちょっと嬉しかったです。本当にイェンファが私の子供だなって思えて。その時のファンは、まだ小学生でしたから」


 ……あれ? なにか違和感が。


「あれ、この話を聞いたのって最近じゃ?」


 お母さんがきょとんと首を傾げる。


「いえ? だいぶ前にゆうかさんから聞きました」


「だいぶ前って、だってアネキがそっちに行ったのって今年の四月の話でしょ?」


 なにか話が食い違っている。


「ゆうかさんが来たのは四月ですよ? でもその話を聞いたのは五年以上前のことです」


「え、ちょっと待って?」


 五年って、私もアネキも中学生の時?


 そんなのおかしいだろ?

 だってその頃はもうアネキも諭史も、お母さんの話をしなくなって随分経ったころだ。


 だから私はずっと疑問だったんだ。アネキがいまさらお母さんのことで、諭史やお父さんと揉めていることに。


「イェンファ、もしかして知らないのですか?」


「なにを?」


「ゆうかさんはずっと……五年以上も前から、ワタシとイェンファ会わせようとしてましたよ?」


「……え?」


 私は知らない。


 そう、私だけが知らなかった。


 だって私の前では、誰もお母さんの話はしなかったから。避けていたから。


 諭史も、お父さんも話をしようとしなかった。


 アネキとは少し話したことはあったが、それはうんと昔の話。


 私から聞くことなんて出来なかった。


 幼いながらに自分の立場を理解していたから。


 縁藤家に来る前のお母さんの話をすると、イヤな空気になることがわかっていたから。


 だから私は新しい家で優しくしてくれる両親の前で、聞くことなんて出来なかった。


 臭いものに蓋をした。


 だからその蓋を開けてはいけないと思い込んだ。


 それを開けようとしたら、魔法が解けたようにみんな敵になってしまう気がして。


「ウソ……?」


「ウソでは、ありません。イェンファ、聞かされてなかったんですね」


 五年前……?


 その時期にアネキがお母さんと会わせてくれようと動いていた? なぜ?


「ゆうかさん、言っていました。イェンファはワタシに会わなければいけない、って」


「なん、で?」


「そこまでは話をしませんでした。けどゆうかさんは、それが正しいと思っていました」


 絶対に正しい? なに言ってんだ? なんで私がお母さんに会わなければいけない?


 会えるなら会いたかった。でも会わなきゃいけない理由なんてなかった。


 そうだよ、私はお母さんに会いたいなんて言ったことない。

 縁藤のお父さんもお母さんも、アネキだっていい人だって知っていた。


 別に不満なんてなかった。

 手を上げられることもなかったし、だから元の国に帰りたいなんて言ったこともなかった。


 じゃあ私は過去にこだわらなかったのか?


 ……違う、気にしないふりをしていただけ。


 このままじゃいけなかった?

 でも私はなんだかんだ言っても、その時の暮らしには満足していた。


 優しい家族に、優しくしてくれた幼馴染。言葉も分からなかった私に、無条件の優しさをくれた人たち。


 それなのにアネキは、お母さんに会ったほうがいいと、正しいと思っていた。


 それは、なぜ?



 ――私にはしっかり記憶があった。


 物心はついていたんだ。


 私はある時、聞いたんだ。


『なんで、わたしだけ違うの? お母さんはお母さんじゃないの?』って。


 その質問にだけは、誰も答えてくれなかった。


 ……だから、か?


 だから気になりだしたのか?


 そうだ。


 お母さんのことを隠すから、話したがらないから、私は気になりだした。


 それはイコール、お母さんに会いたいからではない。


 普段は優しい縁藤家のみんなが”隠そうとするから”気になった。


 私には教えられない。


 なんで?


 それは、私が……よそ者だから?


 本当の縁藤の家族じゃないから。


 だから教えられない。


 私だけ仲間はずれ。


 アネキは私をレイカと呼んでくれた。


 イェンファって名前はよそ者だから。


 本当のお母さんのことを知らないのは、きっと私だけ。


 なんで?


 それはやっぱり私がよそ者だから。


 私はそれに気付いた、そうだと解釈した。


 よそ者だから、みんなと秘密を共有できない。


 心の奥底で……そう考えるようになった。




 それはちょうど私と諭史が中学に上がった頃。


 私の周りの環境はガラッと変わった。


 両親は私たちが大きくなったこともあり、家を出ることが長くなったし出張も増えた。


 諭史とも同じクラスにいないし、アネキも生徒会活動で忙しかった。


 けどなにより大きな変化は、アネキと諭史を介さずに友達が出来たことだ。


 イェンファという名前が周りにウケた。


 これまで小学校の生活だとその名前は、見るからに”よそ者”だったしそれが理由で囃し立てられた。


 けど、そんなことはなくなった。


 中学校に入ってからはそれはプラスの目立ちになって、その物珍しさによって来る人も多かった。


 そうして私は”普通”になった。


 いま思うと普通でもないのだが、私はこの時はじめて自分が”よそ者”じゃないと思えたんだ。


 だからアネキや諭史と一緒にいたくなかった。


 だって二人は私に隠し事をしている。


 私がよそ者だから。


 よそ者だから、特別扱いをされた。


 でも友達ができたこと、クラスのみんなが受け入れてくれたことは自慢したかった。


 他でもない二人に、いつでも私を過保護にしてきた二人に。


 そうして言って見返してやりたかった、褒められたかった。


 なんてガキだ。


 自分でもそう思う。いまでこそ、そう思える。


 いや、いまでもガキだ。だっていま初めてそれに気付いたのだから。


 二人はなんとなく気に食わなかった、そう思い続けてきた。


 そして疎遠になった二人はいつしか付き合い始めた。


 きっと私という子供が離れて行ったからだろう。


 まるで子供を寝かしつけた両親が、夜の営みでも始めるように。


 それを告げられた時にアネキは言った。


 ごめんなさい、と。


 意味することは分かった。


”レイカが好きな人を取ってしまってごめんなさい”


 ふざけんな。


 諭史なんて好きでもなんでもない。


 勝手に解釈して頭を下げるアネキも不愉快だった。


 もう全部が全部、不愉快だった。


 だから外に居場所を求めた。


 ちょっとガラは悪いけれど、気の置けない友人たち。


 私もその雰囲気に酔っていた。悪いことをするイコール、人より経験が多いと思い込んでいたし。


 けれどその集まりも長続きせず、私はまた一人になった。


 そして今度は、本当に一人だった。


 二人の元には、もう戻れない。


 だって私のことを本当はよそ者で、自分の都合で二人を突き放したのだから。


 いまさら甘えることなんて出来なかった。


 だからすべてに耳を閉じて、国道を走る車を眺めていた。


 とても長い間。



 それを経て、私は全てを失った。


 家族を信じられず、居心地のいい場所をみずから壊し、築き上げた新しい居場所も違和感から溶かしてしまった。


 なんとか仕事を見つけて形にはなった、けれど心の中は空っぽだ。


 どうすればよかったの?


 いまの私は悔しいけど、自分を幸せだって思うことはできない。


 なにが間違いだったの?


 そもそも間違いなんてあったの?


 私が生まれ落ちた時には、もうこうなることが決まっていたの……?




「……ねぇ、お母さん」


 幽霊みたいな、ふらふらと地に足がつかない私の声。


「私、バカだから、なにが正しいとか間違ってるとか分からないんだ」


 誰を恨めばいいのかわからない。でも恨んでもしょうがないことはわかっている。


「私さ、いまの自分を好きになれないんだ。毎日が楽しいとか思えないんだよ」


 毎日が灰色。

 あの頃からずっと、自分の将来を考えることが出来ない。


「でもさ、アネキ言ったんだろ? お母さんと会ったほうがいいって言ったんだろ?」


 居場所のない、私。


 よそ者の、私。


「じゃあ私……お母さんの国に行きたい。連れて行ってよ」


 居場所が欲しい、どこでもいい。


 いまよりもマシなどこかへ。


「弟にも優しくするからさ?」


 お母さんの国へ行ったら、アネキと諭史とは完全に離れ離れだ。

 ……でも別にいいじゃないか、二人も余計なお守をせずに済むって、肩を撫でおろすだろう。


 ――じゃあ、いますぐ夕霞から出て行って。


 いやだ、本当は出て行きたくない。

 アネキだって引き止めてくれるはずだ。


 諭史だって言ってくれたじゃん。


 ――エーコに言われたこと、気にするなよ?


 そうだ、本当は二人とも私のことが好きなんだ。

 私がもう一度甘えれば、きっと二人は受け入れてくれる。


 ――わたし、サトシと……付き合うことになったの。


 いや、駄目だ。

 二人はお互いのことしか見ていない、私は脇役だ。


 きっと二人で仲良くしてるところを見た私は、一人でいる時にどうしようもなく惨めな気持ちになるんだ。


「私、お母さんの子供……だよね?」


 でも、お母さんが来てくれた。

 私に会うために、私を取り戻すために、そして私を助けるために。


「お母さん、助けて……一緒に暮らそう、そして一緒にやり直そう?」


 だから私は、手を伸ばす。


 この泥沼から助かると、信じて。


 わざわざ私を助けるために、隣の国から来てくれたお母さんを、信じて。



 ――風景が、ぐるりと回る。


 気づけば私の座っていた椅子は横倒しにされ、私は地面に這いつくばっていた。


 そうして目の前にスリッパを履いた、細い足首が並んでいる。


 見上げると底冷えするような、細い目の女性が立っていた。



「――なに、考えてるの?」



 お母さんだった。


 私は椅子から引き倒されたのだ。


「甘えるのもいい加減にしなさい」


 気が付けばいつしか日は落ち、夜の帳に包まれていた。

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