7-16 贖罪のチャンス
その後、私はどうやら眠ってしまったらしい。
時間を確かめると、十五時。
この季節にとってはまだ夕方ではなく、昼間と言って差し支えのない時間だ。
起きた時の気分は……言うまでもなくサイアクだった。
だってあんなタイミングで、傑さんの言葉を保留させるなんて信じられる?
私はなにかに体でも乗っ取られているのだろうか?
一度お祓いにでも行った方がいいのかもしれない。こないだ夏祭りをやった神社でも祓ってくれるかな?
私は体を起こし、手櫛で寝癖を直す。
視線を横に逸らすと、傑さんがベッドの脇をを背もたれにして眠っていた。
……私は彼の頭に手を伸ばし、起こさないように静かに頭を撫でる。
ごめんなさい、訳の分からない女で。
あなたに振り回されてばかり、とか思っていたけれど、よくよく考えると私の方があなたを振り回してたかもしれない。
我慢が出来ない、癇癪を起こす、ワガママばかり。おまけに電波持ちと来たもんだ、満願全席かよ。
私は自分に掛けていたタオルケットの匂いを嗅ぎ、汗臭くないことを確認してから傑さんの肩に掛ける。ベッドから抜け出し、カーテンの合間から外を見ると、晴れてはいなかったが雨は上がっている様子だった。
薬が良かったのか、すぐに眠ったのが良かったのか、風邪の症状はなりを潜め、万全とは行かないけれど普通に生活はできそうだ。階下に降りて冷蔵庫を開けたが、実家での一人暮らしも長くなったせいか、中にまともな食べ物はほとんど残されていなかった。
……少しばかりめんどくさいけど、コンビニにでも行こうかな。
私は着替え直そうか考えたけど、部屋に傑さんを置いてきたままだし、着替え中に起きちゃったら嫌だから、仕方なくスウェット姿のまま外に出ることにした。
本当はこういう身なりは不良っぽくてイヤなのだけど、いまは風邪ひいてるから多少だらしなくても許される、という謎ルールを適用させた。
表に出ると屋根や雨どいから、ぱちぱちと水のしたたり落ちる音が心地よく響いている。
電線の上で井戸端会議をするスズメ達に一羽のハトが混ざると、重みで雨粒が一直線上に地面へと叩きつけられた。雲間からは陽の光が降り注ぎ、あと数時間も経てば雲を隔てない茜空が眺められるだろう。
私は水たまりを避けながら、雨上がりのアスファルトの上を歩いていく。
たまに大きな窪みが水たまりになってるのを見ると”誰か市役所に連絡しなよ”とは思うけど、自分がそれをしないから誰もしないんだな、なんて思う。
……なんだろう、憂鬱って言うのとも違うけれど、なにかパッとしない気持ちが続いている。
近場のコンビニに入り、明日の朝までのお弁当とパンを買った。
本当はスーパーまで足を伸ばしたかったけれど、さすがにこの格好のまま街まで出たくはない。
一応、傑さんの分も買った。明日の朝の分まで。
……別に深い意味は、ないんだからね?
そうしてコンビニを出ると女の人がナンパをされていた。
背の高いスラッとした綺麗な女性だ。
男の目線は女性の胸元ばかりに行っている。別に男を応援するつもりはないが、アドバイスしてやりたくなる。
そんなにガッツリ見たら相手側も気づいてるぞ、って。下心ばかりだから、君のナンパは失敗ばかりなんだぞ~って。
「へへっ、いいじゃねえか? カラオケ行ってくれたらちゃんと道案内してやっから」
「え、ホントですか? だったら行きます。夜にならないなら、いいですよ」
「……」
なにそのベリーイージー案件……私は心の中で盛大にため息を付いてから、その二人に近づき低い声をかけた。
「ああ、ここにいたんですね、姐さん。組長がお待ちですよ? ちなみに誰ですか、このチンピラは」
二人の会話が止まり、私の方を注視する。
私はそれに渾身のジト目で対抗。
「……アンタ、ウチの組員ですか?」
「いえ、違ぇます、失礼しやす……」
すごすごと男が小走りで逃げて行った。女性もベリーイージーだったら、男も同レベルだった。
あんたみたいなのは、コンビニでグラビア誌でも眺めてなさい。
「ア~、すみません。組長のヒトは、ワタシ探していない思うのです」
どこかカタコトの彼女は、私のウソを真に受けていた。
「知ってますよ、あれはウソですから。ってか、あなたもナンパする人に簡単に着いていったら――」
私はその女性の顔を見て、心臓が止まりそうになった。だって彼女の顔はあまりにも……
「ウソですか、ウソはあまりよくないです。それにまた道が分からなくなってしまいました」
「そ、そうなんですか……」
私はごくりと唾を飲んで、そう返すのが精いっぱいだった。
彼女の髪色、顔立ち、背格好、どれをとっても私の知っている人にそっくりだ。
……私はなぜ、今日の今日にして、この人に出会ってしまうのだろう?
神様は私になにをさせたいのだろうか?
私のしたことが間違っていたから、その罪滅ぼしをさせようって、そういうことなんだろうか?
「……道に、迷ってるんですか?」
「ア~! そうなんです、この街初めて来ました。行きたいところあるけど、ワタシわからない」
そう言って彼女は手元のスマートフォンを取り出した。
そこにはピンが立っていて、その住所は……やっぱりそこなのね。
こういうのが、運命って言うのかしら……だったらそれを拒むことなんて、できるはずもないのだろう。
私はテレビで見た海外の観光地を紹介する番組を思い出した。
そこに出てくる現地の人たちはみんな親切で、サムズアップばかりしている。
日本語吹き替えられた会話中も「良い休日を!」「この街は良いところだよ!」とか、そんなポジティブばかり口にするあの人たち。
だから私はそれになろう。だってこの人と私は、本来なんの関係もないはずなのだから。
彼女がこの街に来た目的を私が知っているはずもないし、なぜ彼女がそこを訪問するか見当がつくはずもない。
私は気分を切り替えるために、自分の顔を両手でパチンと叩く。
……いいじゃない、なってやるわよ、現地のいい人に。
彼女がここに来たのは、私に必要な物語じゃない。
けど、誰かにとって大切な物語であるのは、疑いようがなかった。
だったらそれをサポートしてあげるわよ。
何度も言うけど、私は”あなた”が嫌いなわけじゃないのだから。
「よし、わかりました。私が地図の場所まで、案内します」
「いいのですか? めいわく、じゃないですか?」
「そんなことはないです。この街にいる人はいい人ばかりですからね?」
ああ、なんかいい人を演じるのが楽しくなってきたかもしれない。
「ホントですか! でもあなた、さっき男の人にウソつきましたね?」
「……ウソも方便ってやつです」
「ン~? ニホンゴむずかしい?」
彼女は私よりだいぶ年上だろうに、一つ一つの仕草がとてもかわいらしい。その点はあの人とは大違いだ。
「とりあえず着いてきてください? 早くしないと夜になってしまいますよ?」
「ア~待ってください!」
そう言って私は隣国からの観光者を連れ立って歩き出した。
「そうです、自己紹介してませんでした!」
彼女は私の前に立ち、天真爛漫な笑顔で私に名乗った。
「わたし、隣の国から来ました……」
私のちっぽけな贖罪だ、これで許されるなんて思ってはいない。
けれど、これが彼女の一助になるのなら、それを後押しする権利くらいはあるはずだ。
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