7-14 火の後始末も、自分で出来やしない
纏場たちは、どうしてるかしら……私、林映子はベッドに寝かされながらそんなことを考える。
私が暴走して、失敗したその後の話。
纏場が現れて、優佳さんを受け止めたあと、レイカさんを伴って三人は帰路に就いた。
そして雨に打たれたまま放置された私は、傑さんに肩を抱えられてとりあえず自宅に戻った。
そのときは呆然としてて、自分で考える力なんてなかった。
傑さんに言われるままシャワーを浴びに行き、着替え終わったら朝ご飯を食べさせられ、気づいたらベッドに寝かされていた。
頭に張ってあるのは冷えピタ。
……熱が出ているみたいだ。おそらく優佳さんの風邪をもらったのだろう。
どうりで頭がボーっとするわけだ。
ガチャリという音を立て、傑さんが部屋に戻ってきた。
「映子、まだ起きてたのか」
「……寝るには、ちょっと眼が冴えすぎちゃいまして」
「そうか、薬を買ってきたから飲め。市販のものだけど、飲まないよりはマシだろう」
そう言ってドラッグストアの袋から、瓶詰めの錠剤とペットボトルの清涼飲料水を取り出し、手のひらを後ろに当てて体を起こしてくれた。
「わざわざ、買ってきてくれたんですか」
「近かったしな」
「ありがとう、ございます」
私は素直にそれを受け取り、錠剤を三つほど飲み干す。傑さんがそれを横目で覗いていたが、私は気づかないふりをした。
飲み終わると同時に「なにか欲しいものはあるか」と聞かれ「いえ……」とだけ歯切れ悪く応える。
そして彼はベッドの横に背を合わせ、床に座り込んだ。それが私と彼の距離感だった。
それ以上近づいていいものか、離れていいものかどうかわからない。
薄暗い部屋には、しとしと降り続ける雨音以外は聞こえない。室内を灯す明かりは、カーテンから僅かに漏れる灰色の光と、待機中のテレビの赤いランプだけ。
「仕事、行かないんですか」
「今日は休みを取った」
「……なんで」
「体調不良だ」
「傑さんも、体調悪いんですか?」
「いや?」
「じゃ、仮病ですか」
「病人は静かにしていろ」
傑さんはぶっきらぼうに背を向けながら言い放つ。そして私は少し布団を持ち上げて……顔を半分まで潜りこませる。
……なんでよ。私なんて気にせず仕事に行けばいいじゃない。
先日、私を放って転勤するって言ったのはどこの誰よ。電話だってしてくれないし。
なんであの時は冷たくて、いまは側にいるのよ?
もう、わけわかんない……
「傑さん」
「なんだ」
「なにも聞かないんですか」
「聞いて欲しいのなら聞く。けど違うなら、早く寝ろ」
傑さんは未だに背を向けたままだ。けど、それでよかったのかもしれない。
正面から向き合ったら、また先日の続きを始めてしまうかもしれないから。
彼の見せる小さな優しさが憎い。私が弱ってるとこに入り込んできて、優しさなんか見せないで欲しい。
そんなことで好感度が上げてしまいそうな、自分の単純さにも腹が立つ。
だから私は、少しばかり捻くれたような心持ちで、自分の失敗を口にした。
「レイカさんは……優佳さんと纏場の近くにいてはいけないんです」
口にして自分の淡々と話す声の冷たさにぞっとした。
「あの人がいると、必ず優佳さんたちの邪魔になってしまう」
自分の望みをかなえるために、人の人生を変えようとしている。なんて自分勝手なんだろうか。
「だから彼女に街から出て行って欲しい、って言いました。二人に上手くいって欲しいから」
二人のために一人を犠牲にしてもいい、そんな残酷な考え方をする女。
「優佳さんが怒るのはわかっていました。だってレイカさんを本当に大事にしてるのはイヤというほど知ってから」
そして当事者同士の気持ちさえ無視して、第三者から見た自分の考える幸せを押し付ける始末。
「でもこのままじゃダメ。だってレイカさんが二人の関係を崩してしまうのは、理屈じゃないから」
優佳さんも纏場も、レイカさんにいなくなって欲しいなんて、考えたことすらないはずだ。
「だからこの三人の間にはきっと荒療治が必要なんです。私はそう思ったから誰にも相談せず、レイカさんにそれをお願いして……失敗しました」
私がそうしなければいけないって思った。二人は絶対にそんなこと言えないし、思いつきもできないだろう。
だけど無関係の私なら、それができる。
「……だからね、傑さん。私、全然後悔してないんです」
私はレイカさんを”嫌い”ではない。だから彼女に対する罪悪感は、ある。
「私、間違ったことはしてないって清々しい気分なんです。やれることをやった、って気持ちでいっぱいなんです」
だから私はその罪悪感さえ受け入れられればそれでよかった、はずだった。
「でもどうしても私、無視できない不安に押し潰されそうなんです」
そう、私は不安感でいっぱいだった。
でもそれは罪悪感から来るものではない。私がそのことでしか不安になれないこと自体が、自分が汚い人間であることの証明。
「……それは、自分が優佳さんに嫌われていないかどうかだけ」
私が恐れる唯一のこと、それは仲良しの先輩を失ってしまうことだけだった。
「最低ですよね。人の幸せを願うとか大口叩いておいて、自分が嫌われることだけはあって欲しくないって、どれだけ自己中なんだよって感じですよね……?」
それ以外はなにも怖くなかった。自分のしたことはエゴまみれだと理解した上で、胸を張れる。
わたしは優佳さんのために、自分を犠牲にできたことに酔っているだけかもしれない。でも優佳さんに嫌われるかもしれない現実を前にすると、そんな清々しい気持ちも泡となって消えていくようだった。
そういう意味では、後悔がないと言うのはウソだったかもしれない。ただその後悔はレイカさんに告げた行動にではなく”優佳さんに嫌われる覚悟ができていなかった”とまた自分本位な後悔だ。
「……全部、話しちゃいましたね」
私は結局のところ誰かに聞いて欲しかったんだ。いまこうして全部口にしてそう思う。
誰にも相談せず、しようと考える時間すらなかった。ただ朝早くにレイカさんが訪ねてきて、そのタイミングで覚悟を決めただけ。
だから私には考える時間が足りていなかった。
「傑さん、一つだけ答えてください」
そして一人で決めてしまったからこそ、全部を知った人に聞いてみたかった。
「こんなことをした私は、やっぱり間違っていましたか?」
反応が欲しかった。
こうして私が行動を起こしたことに、なにかしらの意味があったのかと。
結局、レイカさんにはイエスもノーも取れなかった。
そして優佳さんにはその方法は間違っていると言われてしまった。
纏場は起こしたことに対してなにも言わなかった。なにも言わず、私の前から優佳さんを連れて行ってしまった。
二人から引き離そうとしたレイカさんと、一緒に。
「……映子」
しばらくぶりに傑さんは重い口を開く。
私の名前。
ああ、彼は私の話を聞いてくれていたんだ。
ずっと私だけが喋っていたから、幻かなにかに話しかけていたんじゃないかって錯覚しそうだった。
傑さんは黙って私の話を聞いていた、背を向けたまま。
雨は一向に晴れないし、胸の内の不安もちっとも軽くならなかった。
私が持ってくるのは厄介事ばっかりだ。
前回会った時もそう。
……いまさらだけど、傑さんは愚痴ばかりでうんざりしてないだろうか。
してるよね、会社も休ませちゃったし。こんな重い女のために。
傑さんは開けていた私との距離を無視し、振り返る。
問いに対する応えを返すために。
そして彼の返答は、私の予想に反するものだった。
「……ありがとう」
嬉しさと悲しさを同居させたような、表情で。
「映子が口にしてくれて、胸のすくような気持ちだった」
彼は穏やかな口調で、おおよそ的を射ていない応えを返した。
けど、その言葉がウソではないことがわかった。
なぜかって? ……それくらいは、わかる。
だって傑さんとは、決して少なくない時間を、共に過ごしたんだから。
「そして、すまない」
「……なんで謝ったり、お礼なんて、口にしてるんですか」
「いつか五年前の真実は、レイカ君に伝えてやらなきゃいけないと、思っていたから」
五年前の真実、それは纏場が関わった一連の事件。
「無論、レイカ君にそれが伝わらないようにすることは、諭史の望んだことだし、彼女の自尊心を守ることでもある」
レイカさんは養子として縁藤家に入ってきた。
言葉の壁もあるし、学校に打ち解けられなかった日々もあると聞いてる。
だから二人が彼女を慎重に扱う気持ちも分かる。
「けどレイカ君だっていつまでも子供じゃない。ずっと諭史や優佳さんに守られているわけにもいかない」
私もそこが引っ掛かっていた。
優佳さんと纏場は、レイカさんを過保護にし過ぎている。だからレイカさんだって、きっとそれに甘えてしまっている。
「だから彼女には遠からず俺がそれを伝えるつもりだった。もちろんレイカ君に仕事を斡旋した背景も含めて」
「本当、ですか? それって私を庇うために……」
「違う、本心だ」
「……」
それが本当だったら。
傑さんもこのままではいけないと。考えてくれていたということだ。二人が望まなかったとしても、レイカさんのことを考えればそれは知る必要のあることだって。
「けど……映子に先を越されてしまった。だから俺は感謝することはあっても、お前を責めたりなんて出来やしない」
傑さんはそう言うと、私の頭に手を乗せて言った。
「すまない。映子に辛い役目を追わせてしまった」
どこまで本当だろうか。
私がその言葉をそのまま受け入れるには、少々擦れて育ってしまった。
けれど否が応でもその言葉が胸に染みてしまう、謝る必要のない彼の謝罪が、私を暖かくする。
でも、きっとは彼はこう言ってくれている。
――こんな私の、味方で居てくれるんだって。
「……けど、確かに少しばかり気持ちが逸ったかもしれないな? 出て行け、はちょっと言い過ぎだぞ?」
彼は調子を外して軽く笑う。なにげない日常の失敗を小馬鹿にするような気軽さで。
空気が柔らかくなった。
そんなふわっと軽くなった空気に当てられて……私は、もうダメになっていた。
「そうですよね、出て行け、はダメですよね……」
私は彼の笑顔に釣られて、笑って、そのまま泣いた。
布団に顔を擦り付けている間、傑さんは黙って頭を撫で続けてくれていた。
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