7-13 私は、独り……?


「それと……エーコに言われたこと、気にするなよ?」


「えっ?」


 考えに耽っていた私は、諭史の声で現実に戻される。


「なにも出来ないとか、出ていけとか……」


「ああ……うん、大丈夫」


「本当は五年前の話が始まった時点で、エーコを止めに行こうとしたんだ。けれど傑先輩はその話は聞かせた方がいいって」


「ニッカが?」


「うん。それはレイカにとって知っておいた方がいいことだって」


「……」


 ニッカが私に対してそんなことを?


 彼とは会社に入ってから再開したけれども、お互いに昔の話を持ち出すことは無かった。プライドの高いニッカからしたら、私と会った時の話なんてされたくなかっただろうから。


 けれどエーコの言うことが事実であるのであれば、ニッカから話し出さなかったことの意味合いが変わってくる。


 それにいまの仕事をさせてもらっているのもニッカの采配だという。……なぜ私なんかを、そこまで気に掛けていたのだろう?


「諭史も、私がニッカに誘われた入ったこと知ってたの?」


「知らなかったよ。というかレイカが傑先輩と一緒に働いてるのを知ったのも、つい最近のことだし」


「あれ? 言ってなかったっけ?」


「そうだよ! レイカも傑先輩も、なんでそんな大事なこと言ってくれなかったの!」


 そういえばそうだったかもしれない。まるで意識していなかった。


「諭史と住むようになる前から、ニッカと仕事するなんて当たり前になってたからね」


「別に、いいけどさ。世間話感覚でいいからもっと報連相してくれよ」


 諭史はものすごく疲れた顔で溜息をつく。


「……なあ、ニッカが私を会社に呼んだのって、やっぱり私を憐れんだからなのか?」


「それは……僕も知らない。でも聞いたって、きっと盛大にはぐらかされるだけだ」


「はは、わかる気がする」


 彼の言う話はどこまでが本当か冗談か分からない時があるから。


「だから、もし聞いてはぐらかされても……」


「わかってる。それ以上は聞いたりしない」


 ニッカは得体のしれないところがあるが、彼の動き振りを見れば、信頼することはできる。だからそれは知らなくても問題ないのかもしれない。


 今回、エーコはなにを思ってか、ニッカの代わりにそれを告げるという暴挙に出た。

 だからニッカの望んだことではない……と思いきや、彼は諭史を止めてエーコの言葉を私に聴かせた。


 知る側が伝えずに墓まで持っていくつもりなのならば、それは永遠に明かされないままだ。けれどニッカはそれを聴かせるべきだと判断した、それは何故?


 でも……そこまで知ろうとするのは野暮かもしれない。

 隠すこと・伝えることに理由があったとしても、そこまで知ろうとするのはただの詮索だ。


 相手は知らないほうが幸せだと思ってくれたのなら、それを自分からかき乱すようなことはその人に対して失礼かもしれない。


「そうそう、あと李さんもレイカが働いてるって言ったら喜んでたよ」


「お母さん、か」


「レイカ会いに行くんでしょ?」


「……うん、せっかくアネキが機会を作ってくれた。それにやっぱり会ってみたい気持ちもある」


「それ、なんだけどさ」


 諭史は目をあさっての方角に向け、頬を掻きながら聞いて来た。


「いつ行くとか、決まってる?」


「いまのところは。……なんで?」


「……決まってないならいいんだ。ただもし行くならもうすぐお盆じゃん? だからその期間は避けた方がいいかなって……」


「それより早く行けってこと?」


「違う違う! お盆が終わるまでは行かないほうがいいんじゃないかな、ってこと!」


「……? まあ、別にいいけど」


 しどろもどろになる理由はわからないが、別にまとまった休みも取っていないし、行けと言われてもしばらくは無理そうだ。

 あちらの国ではお盆を”鬼節”と言い、日本のお盆時期と重なるようだ。


「お母さん、どんな人だった?」


「レイカにそっくりだよ、見てすぐに分かった」


「そうなんだ……」


 自分に似てるなんて言われてもピンと来ない。


 そもそも自分はアネキや両親に似てる、なんて言われるはずもなかったし、似てるってどれくらいからが似てるの? と言う気持ちにしかなれない。


「写メは?」


「……あ~撮ってない」


「使えないわね」


「うるさいよ! 僕だってあの時はいっぱいいっぱいだったんだから」


「そういえば、そもそもなんで私より先にお母さんに会ってんの?」


「……秘密」


「は? なにそれ」


「とても恥ずかしい、というか気持ちの問題と言うか、僕個人の黒歴史問題に関わるので……黙秘権を行使します」


「なにそれ、人の母親に会ってなんでそんなことになってるの!?」


「だ~か~ら~、気持ちの問題だって言ってるだろ!? なんで傑先輩の事情は引いて、こっちはグイグイ来るんだよ!」


「え、まさかあんた、私のお母さんに手を出し……」


「そんな昼ドラみたいな展開はないッ!」


 対面からJCの集団が歩いて来る。これから部活にでも行くのだろうか、大きなバックパックを抱えていた。


 彼女たちは箸が転んでも可笑しい年頃だ。……当然、相合傘をする私たちは好奇の目に晒される。


 ひそひそと話しながらも彼女たちは”いま私たち、あなたたちの下世話な話してます~”と隠すつもりがないトーンで話を続けている。


 私と諭史は、何事もなかったように無言でその集団とすれ違う。その間もJC達はきゃあきゃあ言いながら横を通り過ぎていく。


 通り過ぎる瞬間、一番声が良く聞こえる瞬間に、そんな下世話が耳に良く入った。


「めっちゃ背高~い」

「寝てる女の子見た? フランス人形みたい!」

「てかあの三人どういう関係?」

「二人で子供を預かってる的な~?」


「「……」」


 私たちは顔を赤くさせながら、そのJCの気配が消えるまで口を閉じたままでいた。


 そりゃ話の種にされてもしょうがないだろう、いまも諭史はアネキをお姫様抱っこをしている。そして私が隣にいる私と言うシチュエーション、それはつまり……


「ねえ……諭史、本当にいまっさらなんだけどさ」


「うん……」


「あんた、自分の彼女をお姫様抱っこしながら、その妹に相合傘をさせるって何様のつもり?」


「ぼ、僕が望んでそうしたわけじゃないんだからな!? というかレイカだってその流れでここまで来たじゃないか?」


 そりゃ、まあそうなんだけどさ。


 けどさ、あまりにみじめ過ぎない?


 私は諭史とアネキの召使いでもなんでもないんだからさ……


---


 そんなこんなで最初は気まずい帰り道になるかと思ったけれど、意外と普通の会話をすることができた。


 昔から長くいるとこういうものなのだろうか、一か月ぶりの再会に着信拒否の手前もあったけれど肩の力を抜いていられた。


 ……今後、諭史の着信は出ようと思う。


 エーコの家から歩いて三十分ちょっと。私と諭史は家の前まで戻ってきた。


 お父さんは外出していて家は真っ暗だった。


 諭史はベッドの前までアネキを運び、布団を被せてやったあと、少しの間アネキの顔を眺めてから、部屋を後にした。


 私は「起きるまで待ってないの?」と聞いたけれど「僕は、まだ優佳とケンカ中だし……」と言って聞かなかった。


「……別にいいでしょ、あんたはアネキを颯爽と助けたヒーローなんだから」


「ガラじゃないよ。それに恩着せがましいじゃん? 助けてやったから許して欲しい、なんて言ったらフェアじゃない」


 諭史は笑いながらそんなことを言い、私もつられて苦笑する。


「それにかこつけて許してもらえばいいのに。相変わらずマジメと言うか不器用と言うか……あんたらしいけど」


 そして諭史は「また連絡する」といって帰って行った。



 諭史とは、本当はもう少し話をしなければならないことがあったはずだ。

 けれど、目と鼻の先にアネキがいる。ここでそんな話ができるはずもなかった。


 それにこの件はもう有耶無耶にしてしまっても、いいんじゃないか?

 私は諭史に対して個人的な感情を抱かなかったというのが、最終的な結論だった。

 

 それにアネキと諭史は少しずつ、ではあるが関係を戻している。

 もう私には彼らの関係を引っ掻き回すつもりは……ない。諭史も私に深入りすることもなくなっている。


 全ては未遂に終わったんだ。


 けれどアネキは傷つき、諭史やその周りにたくさん迷惑をかけた。


 そこに間違いなく罪は残っている。


 だから口にしなかったとしても、私にはそれを清算する義務があるんだ。


『それと……エーコに言われたこと、気にするなよ?』


『なにも出来ないとか、出ていけとか……』


 それに私はなんと答えだろうか?


『ああ……うん、大丈夫』


 ウソだった。


 これまで自分が築いて来たと思っていたものは、すべては誰かの借り物で、お膳立てされたもの。


 決められたレールに沿って歩いてきただけだった。


 それをあたかも自分自身で勝ち取ったものだと錯覚し、そこに立つことで自立できているという優越感に浸ってきた。


 昔からまるでなにも変われていなかったんだ。


 エーコに言われてようやく気付いた。ニッカが私に聞かせるべき話と言ったのは、正鵠を射ている。


 だから……私は決めた。


 この町から出ていく。それはきっと自分のためにもなる。


 私が離れることで諭史とアネキが幸せになる、というのもエーコの言う通りだ。


 私は彼らの幸せに対してなにも貢献できない、どころか疫病神でしかない。


 いつだか佳河に言われた寄生虫という言葉を思い出す。まさにその通り。


 諭史にちょっかいを出していたのも、言ってしまえばアネキに対して無いものねだりをしていただけなのだろう。



 アネキには謝っても謝り切れない。この数ヶ月で私はそれに気付くことができた。


 だからいまなら清々しい気持ちで受け入れられる。私は彼らに必要ない存在だったと。


 だから私は自分から、去ろう。

 二人の人生の邪魔にならないように。


 色々……本当に色々と無茶をしてきたけれど、それもあって自らの”分”と言うものがわかった気がする。


 そう考えればこれはマイナスじゃない。

 むしろ、いままでがマイナスで、ようやくスタート地点に立てただけ。


 この夏の間に家を出よう。


 過保護な周りはおそらく反対する、それは絶賛ケンカ中のアネキであっても。


 でもそれは既に揺るがない、決めたことだ。私はもう周りに迷惑を掛けない。


 迷惑をかけないで生きられる。その言葉は思い浮かべるだけで、胸の内が軽くなるようだった。


 生憎、今日の天気は私の気持ちを支持しない雨模様だ。

 それでも頭の中が整理され、やるべきことが見えたいまならそれも気にならない。



 ベッドの中のアネキを見る。


 こうやってみると自分の姉だなんて、思うことは出来ないくらい可愛らしい生き物だ。


 むろん、実の姉ではないのだから、当たり前なのだけれど。


 私の髪色とも別物だし、考え方も喋り方もまったく似ていない。


 けれどそれでも間違いなく私をここまで導いたのはアネキだった。そして私が迷惑をかけ続けて、人生の多くを割かせてしまった人。


「もう迷惑、かけないから」


 そう口にしつつも、家に出ていくことを話せば、またアネキの雷は落ちるだろう。


 でも納得してもらわなければならない。アネキの足枷にならないように。


 それがきっと私の出来る最大の恩返しだから。




 ――ふと、私は一つの疑問に遭遇した。


 それは今回の騒動の一番根っこにある部分。


 アネキは私をお母さんに会わせるために隣国までわざわざ出向いた。


 諭史にも一切連絡を取らず、単独で。


 ……なぜ?


 だってアネキからしたら私の母親のことなんか関係ないはずだ。


 私は既に縁藤レイカで、元のお母さんとは無関係の人間だ。


 それを引き合わせたって、アネキにいいことなんて、ひとつもない。


 アネキからは産みの親の話なんて、ほとんどされたことがない。


 最後にした記憶で小学生低学年頃だろう。


 その時にどんなやりとりをした?


 ……思い出せる、こんなことを話したんだ。


『お母さんどんな人なんだろうね』『もし会えたらどんな話がしたい?』


 あの頃のアネキは、よくそんなことを聞いてきた。


 そんなことを聞くのはアネキだけだった。


 なぜお父さんや、諭史は聞いて来なかったのだろう?


『……そんなことになったら、きっとお父さんとお母さんに怒られる、諭史にも嫌がられる』


 そうだ、私は確かそんな答えを返したはずだ。


 それからはアネキからもその話題に触れることはなかった。


 ……なぜ?


 あれ?


 これは知らなくて、いいことなのか?


 私はなにか、とんでもない思い違いをしているんじゃ……


 世界は私の知らないところで、どこまで動いているんだ……?

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