7-12 姫の帰還


「……これで許したわけじゃ、ないんだからね?」


「わかってるよ」


 そんな短いやりとりを終えたアネキは、諭史の腕の中で眠ってしまった。


 安心した結果なのか、体が休息を求めていたのか、それとも睡眠時間が足りなかったのかは、わからない。


 けれどアネキの無邪気な寝顔を見ていると、最悪の事態が回避できたということだけは実感できた。


 そして、私にはもう一つ問題が発生していた。


 この場に諭史と二人きり(厳密には違うけれど)になってしまったということだ。


 いまも私の手にはビニール傘が握られていて、アネキを抱きかかえる諭史の傘代わりになっている。



 ……気まずい。


 だって私はあれから諭史の着信をことごとく拒否し続けているのだから。


 普通だったら出会い頭にそれを詰問されても仕方ない、けど今回のケースは特殊も特殊だった。


 でも、いずれはその話になる。


 じゃあ素直に頭下げたり、理由を説明すればいいじゃないかって?


 違うんだ、それ以前の問題なんだ。


 ……恥ずかしいことに私はその解答を持ち合わせていない。


 だって諭史の着信を断り続けたのは、強いて言えばなんとなく、だ。


 いや、それも正確に言うと間違いだ。

 ちゃんと頭の整理をして筋道立てて考えれば、うまい言い訳……違うな? 着信拒否をした正確な理由を見つけることだって出来るはずなんだ。


 けれども私は馬鹿だからそんなこともできない。……ううん。馬鹿だと言い訳して、それを放棄してる。


 そして馬鹿で他人任せの私は、諭史がきっとその話題に触れずに、他の話題を振ってくれることを期待して黙ったままでいる。


 こんなことだから、私は一人でなにも選べないままなんだ。先ほどのエーコが放った言葉がまざまざと思いだされる。


 ……そして、いよいよ沈黙に痺れを切らした諭史が口を開く。



「レイカ、なんで電話に出なかったんだよ?」


「……」


 前言撤回。


 普通に聞かれるのが当たり前だった。


「えっと、電池がたまたま切れてて」


 なんとか言い訳をして凌ごう。


「なに言ってるの? 全部コール鳴ってたよ?」


「……」


 お手上げだ! 手の内は出し尽くした!

 私はこれから着信拒否した理由はなんとなくです、と馬鹿正直にも愚かな回答をして、諭史に怪訝な目で見られるのだ。


「……ま、いいけど」


 けれど諭史は応えない私の質問を早々に切り上げた。


「なんか、意外と元気そうで安心した」


 満足そうな顔さえして見せる。


「……あんたこそ大丈夫なの? アネキとケンカしたって聞いたけど」


「ああ、全然よくないよ。いまも”これで許したわけじゃない”って釘を刺されたし」


「じゃ、なんでそんなに嬉しそうなの?」


 諭史はビニール傘越しに空を仰ぎ、考え込む仕草を見せた。


「嬉しくなんかないよ。でもなんだろう? ランナーズハイみたいなものかな。さっき色々なことが起こって、感覚がマヒしてるのかもしれない」


 そしてその時になって、ようやく私の中にあった聞きたいことが顔を覗かせた。


「諭史、そういえばいつから近くにいたの?」


「ごめん、実は最初から全部聞いてた」


「最初って……エーコが家から出てくるところから?」


「ああ、僕と傑さんは朝一でエーコの家に行くって約束をしていたんだよ」


「なんであんな朝早く?」


「だって事前に行くとか連絡したら『来るな!』って言われるのが目に見えてたから。あ、そうそう僕だけじゃなく、傑先輩もエーコとケンカしてて……」


 そんな偶然ってある?

 私が朝一で訪問した理由と同じだった。


 アネキは私のLINEを全スルーし、エーコもそれに取り合わなかった。


「そしたらさ、レイカの姿を見かけて、もしかしたら……と思ってたら先にエーコの家に入って行くから驚いたよ」


「驚いたのはこっちだっての」


「だからとりあえずレイカの用が済むまで、待っていようってことになったんだ」


「それで一部始終を聞いていた、と」


「うん。その、ゴメン」


「別にいいけど……」


 そこで一旦、会話が途切れた。


 時間は色々あってもう朝の八時、あれほど怪しい色を見せていた空は灰色で統一されていた。


 こんな朝早い時間を誰かと歩くなんてしばらくぶりだ。小学生らしき子供と母親が手を繋いる姿を見かけて、あの子は今日学校休みかな? と思ったけれど、いまは夏休みであることを思いだした。


 私も学校に行かなくなって二年が経ち、学生的な気持ちとはだいぶズレてきた。


 けれど学生でなくなったからと言って別に誇れることはない。私はただ一般的な生活をドロップアウトして、首の皮一枚でそれらしい生活を送ってるだけなのだから。 


 そういえばニッカは今日出勤だったけど、どうするつもりなのだろうか?


 まさか惚れた女のために、仕事を投げ出すような奴にも思えないから、出勤はするのだろうが。


 あの様子だと遅刻は免れない。ニッカ頼りで仕事をしている社長が慌てふためく姿が想像できる。



 隣にいる諭史の顔を眺める。


 こいつと顔を合わせるのは一か月ぶりだ。

 けれど以前あった時とは印象はがらりと変わっていた。


 いまでもあの時に目の前を駆け、アネキを抱きとめた瞬間のことがまぶたに焼き付いている。


 おおよそ諭史の普段の行動からは、想像もつかない光景だ。こういうのを火事場の馬鹿力と言うんだろうか?


 どちらかと言うと目立たないほうで、波風を立てずにクラスの端っこにいるタイプの人間。


 けれどもいまアネキを腕に抱える姿は頼もしく、目立たない彼とはミスマッチのはずなのに、不思議と違和無く私の目に映っている。


 ……ああ、でもそうか。

 諭史は意外と土壇場で行動を起こせる人間だったな。


 そして私は先ほどエーコが氷解させた、五年前の出来事に触れる。


「諭史、なんで”あの時”私なんかに気を遣ったの?」


「……そんなの、当たり前だろ」


 ”あの時”それは五年前に牛木社長とのケンカを事前に防いだ諭史の裏工作。社長がもくろんでいた私たちのグループへの報復の阻止。


「当たり前なもんか、あの時の私とあんたの間にそんな義理はなかった」


「義理とかそんなの関係ないよ、だって僕らは幼馴染なんだから」


「なんだよそれ……幼馴染って単語、便利過ぎるでしょ」


「ああ、とても便利だ。それを引き合いに出せば仲が良いことは伝わるだろ?」


「でも、庇う理由にはならない」


「なるさ。その人の身に危険が迫ってるなら、背に腹は代えられない」


「またそんな、こっ恥ずかしいことを」


「まあそう言わないで、僕だって恥ずかしいこと言ってるとは思ってる。でも遠回しな言い方が思いつけないから、そのままを口にするしかないんだよ」


「……なんだそりゃ、あんたらしいけど」


「でしょ? 背中で語るような男になれないのはわかってるから」


 鼻で笑ってしまう。


 でも諭史はそれで十分だ。背伸びをするわけでもない、等身大の自分でやれることを精一杯やっている。


「それと義理ならあったよね」


「ん?」


「だってあの時、レイカ助けに来てくれたじゃないか」


「……ああ」


 生徒会室の一幕のことだ。

 追い込まれた諭史とニッカがボロボロにされていた時の話。


「あの時に借りは出来てたから、それをすぐに返しただけだと思ってもらえれば」


「わかる形で返せっての、でないと私の中じゃ貸しイチのままなんだぞ?」


「幼馴染なんだから貸し借りなしだろ?」


「……ほんっと、便利な言葉だな?」


 私たちの間に穏やかな空気が流れた。これが幼馴染と言う間柄なのか、と漠然と思った。


 だから少しでもいい気分のうちに言えることは言っておこう。ひねくれた私の本性が顔を出す前に。


「……ありがとう」


「うん」


 諭史は私の礼に対して、軽く頷いて返すだけだった。


 ……本当はそれで済まされないくらいのことが、起きたはずなのに。


 生徒会予算の盗難という大事件。


 学校や両親に怒られ、居場所を失くし、転校を余儀なくされ、それを弁解する機会も設けられず。


 軽く謝って済むことなんかじゃない。

 でもそんな大きなことなら、なおさら私には返すものがない。


 諭史はあくまで笑いながら、幼馴染というフィルターを通してそれを語る。


 そして私の中にじわりと温度を伴って、一つの感情が沸き上がってくる。なんで諭史は私のためにそこまでしてくれたのか、って。


 こんな捨て鉢になった私なんかにそこまでしてやる価値なんてないのに。あの時なんてアネキと諭史を見返したくて、意図的に目を背けていたのに。


 それでも諭史はいつも変わらず私に接してくれた。


 それがいまになって、言葉にできないくらい嬉しかった。

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