7-10 いつも輪に入ることが、出来なくて


 不思議に思ったことって、全部解決できている?


 読めない漢字だったり、単語の意味だったり、飛行機雲が出たら雨になる理由とか、タクシーの値段が上がる基準とか。わからないと思ったときにすべて解決できている?


 私……縁藤レイカは、わからないままにしてきたこと、たくさんあったと思う。


 でもそれって生きていく上で本当に知る必要があるのだろうか? それをしてこなかったことで大きな後悔をしただろうか?


 もし失敗をしていないと感じるんだったら、それはさして重要じゃなかったってことじゃないの? むしろ知ってしまったがために後悔することだってあるはずだ。


 無知が罪というのは真実かもしれないけど、知らなければ幸せなことだって多いんだ。


 罪を抱えたままでも幸せになる権利はあるのだから。


 けれどその中には知りたかったことも本当はあるはずだ。

 でもそれは自分の手の届かない情報だったり、親とか身内に隠されたりとか、様々な理由がある。


 なぜそんなことをされるのか?

 それはきっと……知らないほうが幸せだと、周りに判断されたからだろう。知ることと幸せは関係がない。


 だから時に真実とは残酷なのだろう。

 現に縁藤レイカ、いや李燕華は、その無遠慮な真実を、前に立ち尽くす他なかったのだから。




「――だからレイカさん。あなたが暴力に晒されなかったのは、纏場が庇ってくれたからなのよ」


「……ウソ?」


「ウソじゃないわ。纏場はあなたのために転校までしたのよ」


「はは……ウソだろ? それに、なんでエーコがそんなこと知ってるんだよ?」


「纏場と優佳さんに聞いたから。事実、無関係の私が詳しく知っていることがなによりの証拠じゃない?」


「なんで諭史とアネキは私にそれを知らせなかったんだよ!?」


「そんなの知られたら、あなたに気を遣わせてしまうからに決まっているじゃない」


「なんだよ、それ……」


「それにきっとあなただったら『余計なことをするな』と反抗だってしたんじゃないかしら?」


 否定し切れない。当時グループの中でも中心核にいた私は天狗になっていた。だから売られたケンカなんてあったら引き下がれなかっただろう。


「そしてあなたはそのケンカ相手になるはずの、牛木さんのとこで働いているわね?」


「……ああ」


「あなたは不思議に思わなかったの?」


「……」


 もちろん思ったさ。

 なんで私が牛木巌の元で働くことを勧められるのか。


「纏場はあなたに暴力が及ばないために最善を尽くした。けれどそれはあなたを会社で雇う理由にはならないわよね」


 そんなこと言われるまでもない、社長とも先日その話をした。


 けれどその時の回答で私は納得できただろうか? 全く納得なんて行かなかったはずだ。

 ガキのグループなんてほっといても構わない、そんなことを言われた。


 チンピラなんてケンカがしたくてしょうがない生き物だ。

 そんな連中が自分たちに楯突かないだろうから、なんて訳の分からない理由でせっかくのケンカをする機会を失うわけがない。


「傑さんが根回ししたのよ。あなたを雇ってもらえるようにって」


「……ニッカが?」


 二階堂傑、牛木興業の社長秘書。

 実質、会社の最高権力で社長のブレイン。


「纏場が上手くやったとは言え、牛木さんはどうやらそれを反故にする予定だったらしいわ」


 私はその言葉に息を呑む。

 普通に考えたら、そうなることは想像に容易い。


「けれど傑さんがそれを止めたの、その詳しい手管や経緯は私も知らない。でもあの人が社長さんの下で働いていることは、決して無関係じゃない」


「なんだよ、それ……ニッカが人質になって働いてるって言うのか?」


「それは違う。傑さんは本心からいまの仕事を好きになってる。そこに至るまでの過程は別としてね」


 それは私も同感だ。

 ニッカは仕事に誇りを持ち、自分から望んでその仕事をしている。それは疑いようがない。


「でも、なんでニッカが私のことを? あの頃は私たち知り合いですらないのに」


「彼が纏場の意を汲んだからよ。あなたに暴力が降りかかるのは纏場の望まないことだと知っていたから」


 諭史とニッカが、私のために……? にわかには信じがたかった。

 ニッカみたいな合理的な人間が、他人のために自分を犠牲にするなんて真逆に見える。


 私の考えを読んだかのように、エーコは付け加える。


「とても傑さんには似合わないわ、私も耳を疑ったもの。でもそれが真実。彼には纏場に感謝してもしきれない恩があるようだから」


 エーコは”恩があるようだ”と言ったけど、おそらく真実を知っている。そう感じた。


「そしてあなたは、牛木興業に招き入れられた。その後のレイカさんの窮状を見兼ねて、ね」


 その後? まさか、その後って……私が独りで過ごしていた、時のこと?


 エーコは一つため息交じりにそう言った。


「ねえ、レイカさん? そのことを踏まえてもう一度聞くわ」


 私を逃がさないとばかりに瞳を合わせて、見詰める。


「あなたはこの五年間、なにをして来たの?」


 ……エーコの言いたいことが分かった。


 こうして言葉を重ねて、背景を説明されて、ようやく理解した。そうされなければ理解できないくらい、私は馬鹿だったから。


「あなた中学の頃は不良ぶってたんでしょ、それはなぜ?」


 その時の友達がそうだったから――


「普通の人とは外れた道を行って楽しかったのかしら」


 楽しかったよ、諭史と優佳はいつでもマジメでつまらなかったから。


「でも、それも中学生まで。卒業した後あなたはどうしたの?」


 みんなと同じさ、ベンキョウしてジュケンしてコーコーセーになっちまった。


「みんな高校くらいは普通に行くわ、あなたもそうでしょう?」


 行くだけ行ったよ。でも私には行く理由を見つけられなかった、楽しくもなかった。


「勉強なんて、進学なんて楽しくなくて、当たり前。でもみんなそれを分かった上で高校に行くわ、そして卒業する」


 うるさい。


「けれどあなたはその道を外れた、なにをしていたの?」


 流れゆく車の姿を眺めていた。けれどいつしか声がかかり社長の元で働くようになった。


「それは本当にあなたが、あなたの力で、勝ち取った場所だったの?」


 ……違った。


 それは諭史とニッカが作ってくれたレールだった。私はなに一つ、自分の手で勝ち取ったものなどなかったんだ。


「ねえ、レイカさん?」


 やめろ。


「あなたは一人じゃ、なにもできないの?」


「……うるさいっ!」


 私はエーコの胸元を捕まえて、顔元に引き寄せた。


「服が、伸びてしまうのだけれど」


「っ!」


 私が渾身の力を込め、エーコに敵意を向ける。が、エーコが取り合う様子はまるでない。


「こうして恫喝したり、手を出したりすることしか出来ないの、あなたは?」


「ケンカ、売ってんのか?」


「いいから早く答えて、あなたは……」


「……んなことねぇよ! ガキ扱いすんじゃねえ!」


 罵声をぶつけながら心の中では、別の自分がその言葉を否定しようとしていた。


 私は所詮、なにもできない。


 アネキと諭史から離れて、自分だけの友人の輪を作った。

 だけれど、欠陥を抱えた私は彼らと違い、自分の将来を見据えられなかった。


 そして私は友達を失い、勉強する必要性も見つけられず、二人に頼りきることも出来ず、高校を中退。


 自分だけでは、なにもできなかった。

 そしてなあなあで諭史を家に住まわせ、自分の気持ちに白黒決めることも出来ず、姉にさえ手をあげる。


 ああ、いまなら分かる。

 諭史を家に住まわせた理由が。


 私も欲しかったんだ。恋人がいるという、社会的ステータスが。だからなし崩しで諭史が私の恋人になってくれるのを望んでいた。


 直接言われて初めて気付くことができた。縁藤レイカと言う、ちっぽけな人間にも。


 ガキ扱いすんじゃねぇ? ガキそのものじゃないか。から返事もいいとこだ。

 エーコの言うことに、私はなに一つ筋道だった反論すらできていない。


 けれど私は大見得を張った、だからそのしっぺ返しは瞬く間に返される。


「そう違うのね――じゃあ、いますぐ夕霞から出て行って」


「――」


 頭の中が、真っ白になった。

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