7-8 華暖
「あ~あ、アタシもオトコに生まれたかったなあ」
「ハッ、あそこまで思い切れんのは確かに男の特権だあなぁ? けど別にお前もやってくれていいんだぜ?」
「や~よ、色々透けちゃうでしょうが、このスケベ親父」
「だから、オレはお前に親父って呼ばれる歳でもねぇっての」
そう言いながら外野席のアタシらは、瓶一本単位の飲み比べに興じる三人を暖かい目で見守る。
なんて楽しそうなんだろ、アタシら女はあんな風に友達と激しくじゃれ合うのは難しい。
女社会じゃあんなスカッとした方法でヘイトを散らしたりできないもの。
「にしても、そっか……トッシ~もう心決まってんだね」
アタシは巌にぃに聞かせるでもなく一人ごちる。
なんだかんだとトッシ~の側にいたけれど、アタシのダラダラ続いていた下心もどうやらここまでみたい。
前に会った時とは全然違う。話し方とか仕草とかそんな少しばかりの違いではあるけど、もうココロ決まってるんだなぁ、っていうのが節々から感じてしまった。
アタシなんかは結局トッシ~の中で後発のトモダチ。
そりゃ、普通のトモダチよりは一悶着あったとは思うけれど、あの三人やレ~カ、そしてユ~カさんと積み上げてきたものには適わない。トッシ~にフられてることを割り切れなくて、未練がましくも”親友”なんて免罪符を付け続けていた。
見返りなんて求めない、なんて言いつつもワンチャンあんだったら求めるに決まってる。見栄張って求めないなんて言っても誰も信用しないし、アタシが信用しない。そんな口だけのオトナになんてなるつもりもないし、そう言うイミでは生涯オトナになるつもりはない。
でも今日ハッキリした。アタシは心からトッシ~にフられてることを理解してしまった。
そしてトッシ~は、大人になろうとしてる。
アタシたちが進む道は徹底的に違っていて、いままで交わってきたことが奇跡みたいなもんだったんだって。
どうやってもアタシはトモダチにしかなれない。これ以上はそっちに向かってもダメなんだ。
「……っ、ぐずっ、クソッ、バカァ」
「オイオイ、今度はなに泣き出してんだぁ?」
「なんでもいいでしょ……いいからもう一杯出して」
「はん、ヤケんなって変な飲み方すんじゃねえよ?」
「うっさい、屋台のおっちゃんは黙って注文聞いてりゃいいのよ」
巌にぃはヤレヤレといった様子で両掌を上向きにする。ふん、この気持ちがオトコにわかってたまるか。
「ハハ! 一岳、お前シャツから乳首透けてるよ!」
そんなブルーな気分を無視して、トッシ~は呑気に笑い声をあげる。
あ、いまプッツンきた。
「巌にぃ、麦炭酸の小瓶を一本ちょうだい」
「……お前らな、これは本来飲み物なんだからな?」
「アタシはこの一本だけだから」
「ったく、好きにしろ」
そう言ってアタシは受け取った瓶をシェイクし、失恋相手の元へ歩いていく。彼はゲホゲホむせるカズの背中をバンバン叩いていた。
アタシは歩きながら小さくお別れの言葉を口ずさむ「ありがと、さよなら」って。
今度は本当にただのトモダチにならなきゃ。まだしばらくはきっと割り切れないの、分かってる。
でもアタシは頑張ってそれをちゃんと受け入れる。
だから……
「トッシ~!!」
声に呼ばれて振り向く顔。
その顔に目がけてアタシは。
「しっかり、やんなさいよぉぉぉ~!!」
「え、ええええ~!」
瓶から噴き出す炭酸光線を、彼の顔面目がけて吹きかけてやった。
---
「ったく、なんで華暖まで」
「べっつに、い~でしょ~? アンタたちだけ楽しんでのが羨ましかっただけです~」
「なんか怒ってる?」
「怒ってません~そうやって聞いてくんのがイライラを掻き立てんのよっ」
「ほら! 怒ってるじゃないか!」
そう言って華暖と歩く帰り道。
夕霞駅北口と書かれた看板も消灯する頃、解散したあとの帰り道を華暖と共にしていた。
けれど夏の夜は不思議だ。
日付も変わる時間だというのに、寂しげな雰囲気はどこにもない。
それは虫の鳴き声があたりから聞こえるせいか、夜中でも蒸し暑く感じるせいか。今日と言う日がまだまだ続いていくような錯覚をさせる。
「今日、ど~だった?」
少し先を歩く華暖が、前を向きながら言葉を放る。
「来て、よかった」
「そ? それなら、よし」
そう言って振り返る華暖は歯を見せて笑う。
僕もそれにつられて笑うけど、華暖はすぐにまた前を向いて、しばらく沈黙のままに青白い月明かりを歩いた。
「車に気を付けなよ?」
「だいじょ~ぶ、もうあんなこと起こらないから」
華暖はやはり振り返らずに、そう答えた。
先ほどの騒がしい喧騒を耳の中に残しながら、僕は少しだけ物寂しさを感じていた。
それはさっきまでの高揚した気持ちの余熱であることは間違いない。けれどこの空間に感じているものはそれとは別の物だ。
前を歩く華暖の後ろ姿。
それを見て僕は少し前に交通事故に遭ったことを思い出した。
僕の数歩前を歩いていた華暖は、縁石の上を平均台よろしく歩きながら、バランスを崩して事故が起こった。
事故が起こり、代わりにケガをした僕に華暖は付きっ切りで看病してくれた。そして事故に遭ってから、僕達の関係は少しだけ変わった。具体的には、遠慮なく隣を歩くくらいには。
けれどそれも過ぎ去った出来事の一つだ。
僕は華暖との間に感じていた余熱が、少しずつ冷めつつあることに勝手に寂しさを感じているだけだ。
僕にその寂しさを感じる権利はない。だって僕がそれを選んだのだから。
これが本来の正しい距離間。いままでが少しばかり、過ぎてしまっただけ。
「ねえ、トッシ~」
「うん?」
「アタシって、ウザイ?」
「は?」
「……いいから答えて」
僕達の関係は夏になる前に変わった。そして温かくなっていくに連れ、それまで以上に仲良くなっていった。
「たまに、ね」
「そ」
けれど八月を過ぎたらどんどん気温は少しずつ秋に向かい、やがて冬が訪れる。その頃に僕たちはどんな関係になっているだろう?
「でも、そうじゃなきゃ華暖じゃないし」
「なにそれ」
「そのままでいいってことだよ」
「……そうなのかな」
「そうだよ、だって僕みたいなネクラがさ? 彼女がいなくなったって相談した時に、一緒に深刻になられたら困る」
「ふふ、そ~ね」
それは僕が華暖の代わりにケガをした時の会話。
「そんな時にさ”ケーサツ行きなよ”とか、”ユ~カさんもやるなぁ”って笑い飛ばしてくれる友達がさ、一人くらい必要なんだよ」
「そんなこと、あったね」
「うん、あの時は無責任だなぁとか思ったけど、華暖が軽く言ってくれたおかげで、深刻になり過ぎずに済んだんだ」
あの時は華暖がいてくれて心が楽になった。
華暖の不注意でケガをしてしまったかもしれないが、代わりに華暖は僕の心を楽にしてくれた。僕がそれを逆恨むこともあり得ない。
「だからさ、華暖」
隣を歩いてくれなんて言えない、そんな資格も無い。
けれど。
「これからも、よろしく頼むよ」
「……うんっ」
華暖は前を向きながら、そう答えてくれた。
高揚した気持ちの熱が少しずつ冷めてしまったって構わない。
その時の暖かささえ覚えてさえいれば、いつか冷え切ってしまった心を温めることができる。それがきっと思い出とか言うものなのだろう。
「……あ~あ、なんだかんだアタシってトッシ~に弱いなぁ」
「僕としては華暖に頭が上がらないことのほうが、多いと思ってるけど」
「そう? じゃあアタシのお願いなんでも聞いてくれる?」
「あ、ごめん、それは無理」
最後まで聞かず、突っ返す。華暖が唇を尖らせ怒って見せる。
これでいいんだ。これがお互いのちょうどいい距離感。
僕らは押したり引いたりしながら、落ち着きどころをやっと見つけたように思う。
高校を卒業したら華暖と会う回数は減ってしまうだろう。
けれど、いまみたいな関係が続いていけば、それは一生涯の友達として、付き合い続けることが出来るんじゃないか。
僕にはまだ先のことなんか分からない。
でも、そうでありたいって思いさえあれば、きっとそれは難しいことじゃない。
暖かい月明かりを浴びながら、僕はそんなことを考えていた。
「あ、そ~そ~、一つ聞きたかったんだけどさ?」
「うん?」
「トッシ~、エーコに第二ボタンあげたんでしょ?」
「……え!? なんで知ってるの?」
「あ、マジなんだ」
僕は調子の外れた声を出し、華暖は「意外~」と口ずさみながら驚いた顔をする。
「誰に聞いたの?」
「エーコ本人に決まってるじゃない」
「なんで、いまさらそんなこと……」
記憶の片隅に残っている情景が思い起こされる。
あの日、僕は夕霞中に忍び込んで一人感傷に浸っていた。そして夕霞にいた時の中でも関わりの深かった一人、エーコと偶然再会を果たす。
あれからエーコとは、ケンカしたのが最後の思い出となってしまっていた。
僕は謝ったほうがいいのか、それとも忘れたふりをして近況を話したほうがいいのか、交わす言葉に迷っていた。
けれど、そんなエーコの口から出てきたのは思いも寄らない言葉だった。
「で、聞きたいのはここから。トッシ~がボタンをあげたのは、エーコにお願いされてなんだよね?」
「そうだけど」
そんな具体的に聞いてるのか……
「じゃあそこで問題デス! なんでエーコがトッシ~の第二ボタン欲しがったか、知ってる?」
「……知らない」
「告られてないの?」
「いや、欲しいとだけ言われた」
そう、第二ボタン……いや差し出したのは第一ボタンなんだけど、その時にエーコに告白されるようなことはなかった。
「ふ~ん、じゃあエーコの言ってたことにウソはないのね」
「ん? ちょっと待って、エーコからボタンを受け取ったことは知ってるんだろ? じゃあなんでその理由を僕に聞くんだ? エーコから聞いたんじゃないの?」
「それがね? エーコはなんでトッシ~のボタンを欲しいと言ったか、自分でも分からないんだって」
「は?」
え、だっておかしいだろ。
自分でもわけがわからず、第二ボタンなんてピンポイントな物を欲しいというだろうか?
「僕が聞くのもアレだけど、エーコが僕のことを好きだったとか、そういうことは言わなかったんだよね?」
「うん、違うみたい。アタシもそこはしつこく聞いたんだけど、それは本当だと思う」
華暖は表情一つ変えずに言う。
第二ボタンは心臓の、つまり心に一番近いところにあるボタンだ。
つまりそれを欲しいと言うのは、相手の心が欲しいイコール告白と同義になる。
あの時、僕と優佳が付き合っていたのは、おそらくエーコも知ってる。エーコと直接話すことは無かったが、優佳との付き合いが続いていたことを聞いていたから。
だから僕は第二ボタンを渡すことはしなかった。代わり、と言うわけではないが僕は第一ボタンを差し出し、エーコはそれを受け取った。
でも、エーコは僕のボタンを必要とした、それは僕に想いを寄せるのとは別の理由で。
「……そんなの、僕にわかるわけないだろ」
「ね?」
「さすがにエーコが第二ボタンを欲しいという意味を知らずに、欲しがったということも無いと思うけれど」
「エーコに惚れられてなくて、残念だった?」
「……少し」
「このスケベっ!」
「痛っ!?」
そう言って華暖は僕にデコピンを額に打つ。
しょうがないだろ、誰かに好かれてて嬉しくないはずないんだから。
「ったく、ホント男ってすぐにこれなんだから」
「じゃ僕が違うって言ったら、華暖どうした? どうせ『トッシ~強がっちゃって、相変わらずのムッツリ』とでも言い出したクセに」
「ハハ、確かに言いそ~」
「自分のことだろ、まったく」
僕は額をさすりながら口を尖らせた。
「じゃ~サトシ選手、ドロップアウトですか~?」
「だってその張本人も分からないんじゃ、答えようがないだろ?」
「ノンノン、それがそうでもないんだな~?」
華暖が人差し指を振りながら、歌うように言った。
「いやいや、そうでもあるでしょ。だって本人も分からないんじゃ、答え合わせができないんだから」
「トッシ~はまだまだ子供だね~? 自分のことは自分が一番わかってるって言っちゃうクチ? 離れたとこにいたほうが分かることもあるってモンよ?」
「え? じゃあ、華暖……」
「そ。アタシ、エーコの話聞いてて分かっちゃった」
得意げな顔で華暖がウインクなんかして見せる。
「エーコにそれは教えてあげたの?」
「言ってない、その時はウンザリしてたから言わなかった」
「??? どういうこと?」
「ま~色々あんのよ、トッシ~もその場にいればわかるって」
「……まあ、なんでもいいけど。それで僕に答えは教えてくれるの?」
「ん、い~よ。その代わりにエーコには言っちゃダメね?」
「なんで?」
「そっちの方が面白いからに決まってんじゃん!」
「性格悪いなあ」
「そんなこと言うなら教えてやんないよ?」
「ハイハイ、言いませんよ」
「じゃ、ちょっと耳貸して?」
「……そんなこと言って、頬にキスしたりしないよね?」
「引くわ、自惚れんなよコゾウ」
そういって僕は耳元を寄せ、華暖から答えを聞いた。
「……それってホント?」
華暖から聞いた”解答”は僕としては首を傾げるものだった。
「疑うの? だいぶ自信あるわよ?」
華暖は腕を組みながら鼻息を荒くする。
「だってそんなことエーコから聞いたことないよ?」
「本人も気づいてないんだから当たり前でしょ? っていうかエーコがボタンを欲しがったのがなによりのショーコよ」
「……まあ、確かに辻褄は合うね」
「でしょ?」
「でもエーコのそんなところ見たことないし」
「そりゃあ見たことないに決まってるじゃない。だってトッシ~は”それからエーコに一度も会ってない”んだから」
「確かに……」
僕はこの五年の間、エーコにあったことを知らない。
というよりも”中一の文化祭準備でケンカしてから、中三の卒業式までの間のエーコ”を知らない。
その間エーコに会ったことは、優佳から伝え聞いた情報しか知らないんだ。
じゃあ確かに僕は気づくことができない。そして優佳から聞いた情報じゃ、絶対に気付くはずもない……
「確かに状況的に、華暖の推理は合ってる気がする」
「でしょでしょ? というかエーコと話し込めばすぐわかるって」
「そんなに?」
「そりゃあもう……って、これ以上喋るとヒント多すぎるからやめとくわ」
「いまのは誰に言ったの?」
僕の太鼓判をもらえたことで気を良くしたのか、華暖は鼻歌交じりで歩を進めている。
「でも、華暖の言ってるのが正解で間違いないのなら……」
「なら?」
「エーコも、若いなあ……」
馬鹿にするわけじゃないけれど、僕は口元に笑みが浮かぶのを隠せなかった。
「ハハッ、そう言ってやんないでよ。当の本人はいまもその答えに彷徨ってるんだから」
「それを教えてあげなかった、華暖も華暖だろう?」
「ちょっとなによ? アタシが意地悪してるとでもゆ~の?」
「どうだろうね?」
「ナマイキッ!」
こんな話題で盛り上がれるのも、きっといまだけなんだろう。
それでなくても多くの不安を抱えて僕たちは生きている。けれど、そんないまだからこそ楽しい時間がより輝いているようにも感じられた。
よし、明日また優佳に電話しよう、そして……の前に、スマホ修理しに行かなきゃな……
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