7-7 孤独に酔う夜


「なんであの里イモが社長秘書ゲットして、アタシがクソ真面目ヒモ男なんかハズしてんの? ホント信じらんな~い」


「信じらんないのは華暖だよ、本人を前によくそんなこと言えるね」


 さっきの大笑いから一転、華暖が不貞腐れて足をバタつかせる。けれどその足が屋台にぶつかる度、巌さんが金剛力士のような顔で舌打ちしてるからやめてくれ。


「そもそも僕はエーコと華暖が、そこまで仲良くなってることに驚いてるけど」


「ま~ね~、アタシのコミュニケーションスキルにかかれば里イモ……ちょっと地味目な女でも仲良くなれんのよ」


 華暖が里イモという言葉を口にするたび、ある一点から冷気が飛んでくるのを察し、言葉が段々とマイルドになる。


 そんな冷気、じゃなくて先輩はと言うと、テーブルに上体を乗せながら開いたままの写メを見つめて溜息を付いていた。


 結構、重症なんじゃないか、これ?


「華暖くん、映子からなにか相談を受けたのか?」


「ハイ、と言ってもスイマセン。いちお~内容は秘密です。けど相談の内容はスグルさんじゃなかったですよ?」


「そうか……所詮、俺はその程度と言うことか」


 やたら深刻に凹む先輩、なんかレアだ。


「そんなに凹むこと無いと思いますけど」


「うるさい」


 そう言って半目開きの先輩は、睨む気力も残っていないようだ。


 一岳が席を立ち、笑いながら先輩の方に寄っていく。


「ニッカもこういう時は凹むのかよ、意外だなぁ?」


「うるさい。あと、くさい……」


「クサい言うな。どうせ今日は俺っちの奢りになっちまったし飲めよ。そっちのが面白くなりそうだしなぁ?」


 そう言って一岳が品書きを眺める。けれど先輩がその品書きをひったくり、即注文を入れる。


「……社長、〇年の孤独をボトルで」


「お、ボトルたぁいいじゃねぇか……ってオイ! これいくらすると思ってんだよ!?」


「っていうか先輩、なにもそんな名前の銘柄を頼まなくても……」


 騒ぐ一岳を尻目に、先輩は突っ伏しながらさっきの話の続きを始めた。


「……映子には悪いが、俺は会社を大きくしたいという目標もある。そして新天地で自分の力が通用するか試すいい機会なんだ」


 少し場に涼しい風が吹く。先輩は酔いに自分を任せながら流れるように話の穂を継ぐ。


「当然、遠距離での関係も考えたさ。けれどそれに映子を巻き込んでしまっていいのだろうか」


「い~に決まってんじゃないですか? エ~コだってそうしたいって言うと思う。あのコはなんて言ったんですか?」


 神妙な顔をした華暖が、傑さんに問い直す。


「言ってくれたさ、遠くにいても耐えられるって」


「だったら!」


「でもどうなんだろうな。耐えられるという言葉は、我慢を強いるということだ。それを……」


「エ~コの揚げ足を取らないでよっ!」


 華暖の大声で周りがしん、となる。


「オイオイ、華暖? ヒートアップするのは構わねえが、勝手に注目集めて巡回なんか呼び寄せんなよ?」


「あ、ご、ごめん」


 お兄さんの指摘で白熱しすぎたことに気付き、華暖は差し出されたお冷を一杯飲み干した。


 少し場が冷えた頃合いに、傑先輩が続きを口にする。


「映子は進学するだろう、けど俺との関係に引っ張られて、映子の可能性が狭まるのであれば、俺はその邪魔はしたくない」


「さっきから言い訳ばっかじゃん、スグルさん。エ~コのこと本当に……」


「好きだ」


 傑先輩は華暖の言葉を遮って言った。


「……だから悩んでるんだよ、すぐには答えられない。俺といる時間が無駄なものであって、欲しくないから」


 華暖はしばらく傑さんの言葉にポーっとしていたが、すぐに唇を尖らせてソッポを向く。


 そう言われてしまっては、華暖も言い返せないのだろう。


「そんなことより諭史。……お前の方は、大丈夫なのか?」


 急に話を振られて、僕はハッとする。……少し、寝そうだった。


「お前だって人のこと心配してる場合じゃないだろ? 映子に聞いたぞ、いま優佳さんと上手く行ってないんだろ?」


「えと、まあ、ハイ……」


「なんでもレイカ君ともケンカをして、いまは映子の家に泊まってるらしいじゃないか?」


「え? それ本当ですか!?」


「……お前、そんなの知らないって、本当に大丈夫なのか?」


 傑さんが大きなため息をつく。……まあ、そりゃ無理もないよな。


「なに、トッシ~もユ~カさんと揉めてんの?」


「揉めてるって言うか……まあ、そうだね。優佳とは一度仲直りをしたんだ、それで……」


 そして僕は優佳と会ったときのことを全部喋った。前にファミレスでみんなに打ち明けた時も、すべてを口にして恥はかき終えてる。


 いまさら恥ずかしがる理由もない。あの時みんなに相談することで大きく変わることができた。


 だから僕は自分の身に起きたことを包み隠さず話す。親身になって話を聞いてくれて、思いもしない解決方法なんかに期待して……


「トッシ~、それケッコ~マズいんじゃない?」


「え?」


「そればかりは、俺たちにどうにかできる問題ではない」


「あれ?」


 いい答えが出なかったとしても……うん泣かない。


「トッシ~女ってね? すっごい厄介な生き物なんよ?」


 華暖が人差し指を立てて、講釈を垂れ始める。


「いい? 人によって生理的にダメなポイントってあるけど。その中でも浮気がダメって人は多いわね」


「……言いたいことはあるけど、まあ、うん。分かる気がする」


 華暖はレイカに心が揺れ動いた時のことを”仕方ない”と言ってくれたことがある。けど、それは誰でもそう思うわけではない。それくらいは僕にだって理解できる。


「だからユ~カさんがそれを生理的に受け付けないのであれば、それを覆すことは無理と言っていいレベルでしょ~ね」


「ははは……」


 わかってはいたけれど、改めて言葉にされるとダメージが大きい。


「とりあえず優佳さんが、映子の家にいるということすら知らないのはマズいだろう」


「それは……返す言葉もないです」


 また僕はやらかしていた。自分のショックにかまけ、優佳のことを疎かにしてしまった。


 それにレイカとケンカしたという事実も気になる。

 ただのケンカなら日常茶飯事だから気にもならないが、今回は家を出てエーコの家に泊まっているらしい。


 自惚れるわけではないけど、僕とのことが全く絡んでいないとは思えなかった。


 いまここで僕が出て行かずに誰が話の収拾を付けるのだろうか。優佳のLINEに返信がないなんて言って凹んでる場合じゃない。


「僕は、やっぱり少し甘えてたのかもしれないな」


 これは、短期決戦じゃない。


「優佳のこと、裏切ってしまったのは事実だ。けど僕はやっぱり優佳と過ごしていきたい」


 決意はもう済ませた、あとはそれに向かって邁進するだけ。


「でもやっぱり時間はかかるかもしれない。でも僕は例え、何年かかったとしても優佳に信じてもらえるまで……」



 ぐいっ、と。


 ……僕の首はなぜか強制的に上に向けさせられていた。


 そして一岳の顔が頭上に見える。

 どうやら背後に回り込んだ一岳が、僕の顔を上に向かせているらしい。


「おい一岳、なにを……?」


 僕の言葉を聞いた一岳はニヤッと笑ったかと思うと。


「う、うおおああ!! ガボガボガボ!!」


 僕の顔面を目がけて、孤独の名を冠する瓶の中身をひっくり返した。


 目、鼻、口、とあらゆる穴に注がれていく〇年の孤独。


 当然すべてを受け止め切れるはずも無く、シャツを伝ってズボン、パンツまで染み込み足元でビチャビチャ音を立てる。


「ほ~れ、飲め飲めぇ~」


 当然、僕は抵抗しようとするのだが、僕の頭はガッチリ固定され孤独の滝行から逃れられない。


「ちょ、ちょっとカズ、アンタなにしてんの!?」


 華暖の素っ頓狂な声を無視しつつも、ある一定のところで滝行は突然の終わりを迎えた。


「ゲホッ、ゲホッ、ああぁぁぁぁぁ!! 目がヒリヒリする……おい一岳、急になにすんだよ!!」


 と、僕が怒鳴り散らしたところで、一岳の姿はなかった。

 その代わり端の席ほうから、ビチャビチャと音が立ち始める。


 まさか……と思って端の席を眺めると、傑先輩が同じように、孤独の洗礼を受けていた。


「ガーボガ、ボガボーボ!」


 必死に抵抗する先輩だが、腕力差で一岳に勝てるはずも無く、数秒後にぷつりと糸が切れたように沈黙し、腕をだらりと垂らし骸と化した。


「ちょ、スグルさん!? 窒息死!? トッシ~早くっ、人工呼吸!」


「なんで僕指定なんだよ!自分でやれよ!」


 こうしてる間にも命の灯が少しずつ……ってもういいわ。お兄さんはと言うものの「あ~もったいねぇ」とだけ呟き、手を叩きながら笑っていた。


 一岳は空になった瓶を屋台の脇に置き、傑先輩の背中に掌底を打ち付けると、口からゴボッと水を吐き出し、意識を取り戻した。


「お前ら、聞きやがれ!!」


 そう言って一岳が僕と先輩を横に並べ、腕組みしながら大声を張った。


「どいつもこいつも揃いも揃って情けねぇな! 女々しいことを次から次へゴチャゴチャと……男だろうが!!」


 鼻息を荒く、一岳がふんぞり返る。


「なんだよ諭史の”何年かかっても”ってバカかよ! 男なら短期決戦に決まってるだろうが! 短く太く生きなきゃダセェっつーの! それでダメなら他の女を探しやがれ!」


 一岳は僕の方に唾を飛ばしながらそう捲し立てた。


「ニッカも同じだ! てめぇが仕事してる時は、あんだけエラそうにしてるくせに、なんだよスネに傷があるとか、どうのこうのヌかしやがって、ちいせぇ男だなァ!?」


 矛先は傑先輩へ向かい、容赦なく僕たちを否定する。


「転勤したいんだったらすりゃいいじゃねぇか! むしろ女にゃ”てめぇの人生捨てて俺について来い”くらい言えよ! そういう大見得に惚れて、女が首を縦に振るんだろうが!!」


 僕らは一岳のその発言に口を開けたまま……呆然としていた。


「お前らのやってることはよぉ! ……え~と、なんだ? つくえの、そらろん、だっけか? なんでもいいわ! それと同じだろうがよ!」


 周りの音が無くなり、一岳の声だけしか聞こえなくなる。


「当たって砕けてナンボだろ? 首を縦に振らせたいなら頭使って妙案を出すんじゃなくて、強引に縦にフラせんだよ!」


 口悪い言葉を並べつつ垂れる、彼なりの人生論。


「それにお前らの顔のサエなさったら、ほんとパねぇよな? ニッカのシケたツラで『好きだ』なんて言われてもサブイボが立つわ!」


 それは僕らとは違う人生を過ごした一岳の考えで、僕たちが生きて来なかった世界の視点。


「お前らその女に惚れたのは楽しいからじゃねぇのかよ? 好いた女の話してる時くらいシケたツラしねぇで、楽しそうに話しやがれ! それが出来てねぇから揉めたりすんじゃねぇのかぁ!?」


 ……僕はなにも言えなかった。


 それは先輩も同じのようだった。


 一岳の話を笑い飛ばすことはできた。


 お前は詳しい事情なんてなにも知らない。


 人の気も知らないで好き勝手言いやがって。


 それができないから困ってるんじゃないか。


 そんな言葉で否定することはできた。


 けれどその発する言葉の中に、間違いなく一つの正解があることは疑う余地も無かった。


「……カズ、アンタよう言ったわ」


 華暖がそう呟いた。その横顔に浮かぶのは、僅かばかりの笑み。

 そうしてびしょ濡れになった僕と先輩は、お互いのみっともない姿を眺め、相好を崩す。


「そうだな。一岳の、言う通りかもしれないな」


 同じだ。僕は自分の頭が硬かったのかもしれないと思う。


「……笑顔がなきゃ、つまんないよな? それに僕だって、少しくらいワガママ言ったって構わないよな?」


「おうよ、亭主関白上等ってな」


 一岳が白い歯を見せて笑う。

 横で腰かけていた傑さんも、濡れたワイシャツを脱ぎ、雑巾絞りにしながら言う。


「……お前なんかに、そんなこと言われる日が来るとはな」


「オレっちからしたらニッカもケツの青いチキン野郎よ。少しはウチのファミリーの飲み会にも顔出せよ」


「そうだな、次のは行かせてもらおうか」


 そう口にする先輩の顔には”シケた”雰囲気は消え失せていた。


「にしても一岳、瓶の中身をひっくり返すのは流石に無いと思うけど」


「ヘッヘ、別にいいじゃねぇかよ。俺の金でやったことなんだし」


「お金の話じゃないよ!ったく……」


 そう言ってポケットの中に入ったままだった財布とスマホをテーブルの上に出す。うわ、入ってるお札まで濡れてるじゃないか……ってスマホ!?


 僕はスマホの電源ボタンを押す……が、沈黙したまま。


「おい、一岳……」


「あ、どうしたよ? またシケたツラしやがって」


「これは、シケたツラじゃ、ない」


 おい、どうすんだよ、これ。

 これが無ければ、優佳やレイカにだってロクに連絡が取れないじゃないか……


 そういえば先輩の方は……


「社長……○年の孤独をもう一本」


 同様に暗転したままのスマホを握りしめ、静かな怒りに震えていた。


「オイオイ、ニッカ? もう一本は冗談キツイぜ? さっき溺れるほど飲んだじゃねえか」


 一岳はこれからなにが起こるかもわからず笑っている。けれど僕は先輩がそれを注文した意味を、正確に把握した。


 先輩は立ち上がり僕に目で合図を促す。


「諭史」


「ハイ」


 僕は立ち上がり一岳の背後へと回り、羽交い絞めにする。


「ん、なにすんだよ?」


 先輩は口に三日月を浮かべ、瓶を一岳の頭上へ高く掲げる。


「オイまさか、ってうおあああああああ!」


 一岳の顔に容赦なく瓶の中身をブチ撒ける先輩。


「貴様ッ、いくらなんでもなぁ、やっていいことと悪いことがあるだろっ」


「お前も僕達が味わった孤独をっ、味わえよなあ?」


「オボボ!! あが、アボボボ!」

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