7-6 飲むと落ち込むほう?


「傑先輩、転勤するんですか!?」


「多分な、でも本決まりじゃない。それに俺だって好きで転勤したいわけでもない」


 だいぶベロベロになった先輩は今日起こったことを愚痴っていた。どうやら転勤の話でお相手に大層怒られ、テンションが低かったらしい。


「なんだよ今日のニッカ、クソ笑えるな?」


 そんな先輩の不幸を一岳がさも面白そうに手を叩いて高笑いしている。ニッカとはどうやら会社内でのあだ名らしい。


「お前っ、人の不幸をなんだと思ってんだ!」


 傑さんは立ち上がり一岳にチョークスリーパーを入れる。


「よえぇ、弱すぎる! 全然効かねぇよ、少しは筋トレでもしてから出直して来いな?」


 首を絞められた一岳は余裕があるらしく、首を絞められながらも笑い続けている。転勤を決めたであろう巌さんは話に混ざらず、客の騒ぎに任せるままだ。僕はそれを横目にグラスを傾ける。


「でも先輩がその手の話で失敗するなんて、なんか意外ですね」


「なにが意外だ。お前は俺のなにを知っているというんだ」


「いえ、前に李さんの国に行ったとき、その相手らしき人と楽しそうに話してましたし」


「……諭史、盗み聞きしてたのか?」


「盗み聞きだなんて人聞きの悪い。起きたときにその人と電話してたのは先輩じゃないですか」


 先輩は少しばかり訝しむ視線を向けたが、すぐに「はぁ……」と悲しげなため息を付いた。


「なぁ……俺みたいな人間ってどう思う?」


 やたらイジけたような口調で、そんなことを言い出した。


「俺みたいな、って……どういうことですか?」


 先輩の意図したいことが分からず、質問を質問で返す。対する先輩は少し考えてた素振りを見せたが意を決して、口を開く。


「過去に悪いことをした人が、恋人になったら、その……どう思う?」


「……そんなことですか」


 それこそ僕はため息で返す。まさかこの人……


「俺は昔にお前を悪人仕立てようとした。それは諭史にも受け入れてもらったし、俺の中でも消化してる」


 先輩はジョッキの残りを一気に煽り、次の一杯を巌さんから受け取る。華暖は話の雰囲気を察し、牛木兄弟に絡み始めた。


「けどそれを知っている人はどうだ? 相手にしてみればスネに傷がある人が、自分の恋人なんて嫌に決まっているだろう?」


「それは……気にしすぎですよ」


 僕は少しだけ安堵していた、そして少しばかりこの人への見方を変えた。


「それは過去のことじゃないですか、いまの先輩はもうそんなことに手を染める人じゃありません」


 こんなの悩みでもない。単なる気にし過ぎ。ピュアか。


「そんなこと分からないだろう? いや、俺だってもうしないと言い切れるが、恋人として相手を選ぶのであれば、過去に手を汚してない相手を選んだ方がいいに決まってるじゃないか」


「もちろん、それに越したことはないと思います。けれど、いまの先輩は信頼できます、それで十分じゃないですか」


 過去は関係がない。いまの先輩が立派な人で、自分にとって良い人であるのなら関係ない。


「先輩はそれを認めて僕に謝ってくれました、そしてもうしないと悔いてくれたじゃないですか。だったらその話はそこでおしまいですよ」


「そう、だろうか」


「そうですよ。でなければ僕だって都合のいいウソを沢山ついてますし、あっちにいる一岳なんて、それこそ数年前と変わらな過ぎてイラッとするくらいです」


 一岳は端の席で、華暖やお兄さんとリールが回る筐体の話で盛り上がっている。

 ……こっちは、セーフなのか? いや適正年齢的にそれ自体がまったく問題ないとは言い切れないけれど。


「でも、一岳くらい能天気でいいんじゃないかって思いますよ。でなければ一度悪いことをした人は、挽回のチャンスなんて一生訪れないじゃないですか」


 自分で口にしながら偉そうなこと言ってるな、と感じる。けれど先輩が自信を失くして足踏みをしているのなら、僕はその気持ちを引き上げる側として、鷹揚に構えたほうがいいだろう。


「だから気にするだけムダですよ。もし過去だけで先輩を見下すような人だったら、そんな人こっちから願い下げるべきです」


 僕は笑顔を作る、少しでも安心して欲しいから。


「……お前がそこまで言うなら、そうなのかもな」


「そうですよ、僕なんかでもわかる大したことないことです」


 そのとき先輩の真逆にいる、華暖が声をかけた。


「ちょっと話挟んで悪いんですケド? アタシはスグルさんのしたことってあんま知らないけど、相手の人はそれ知ってるんですよね?」


「ああ、そうだ」


「じゃ、なんにも問題ないじゃないですかぁ~? そのこと知ってて先輩とデートしたり、転勤に怒ってくれんなら過去なんてアウトオブ眼中っしょ?」


「アウトオブ眼中、っていつのJKだよ華暖」


 そんな僕のツッコミはまたしてもスルーされ、華暖の指摘に考え込む先輩。


「ど~でもい~相手だったら怒る必要なんてないですよ? カズみたいなやつだったら、少年院から出てこないで欲しいケドォ?」


「おい、さっきから聞こえてんぞ!」


 端っこに座ってるスキンヘッドがヤジを飛ばす。


「……まあ一岳はともかく、そういうことです。先輩はこれまで通り胸を張りましょう?」


「そ~ですよ! アタシはフワッとしか知りませんケド、いまさらビビッてもしょうがないですって~」


 華暖が手をヒラヒラさせながら、軽い調子で笑ってくれる。これだけ穏やかな雰囲気になったら、先輩も大丈夫だろう。


 対して先輩は、なぜか急に真面目な顔になった。


「そうだな、あのときに諭史から罪をもらわなければ、いまの俺はなかった。だからあの出来事を忘れようとも、隠そうとは思わない!」


 誇らしげにそんなことを口にした。


「それを都合のいいウソで誤魔化すことは、俺自身が許せない。諭史のくれた罪は、誰のでもなく、俺の物だ」


 傑先輩は液体の成分に、いや場の雰囲気に酔ったのか、恥ずかしいことを宣言し出す。


 隣の華暖は「ひゅう」と下手な口笛を鳴らせ、肘でこちらを小突いてくる。やめろ僕にそんな趣味はない。


「そういえば……華暖くんはそのあたりのこと、詳しく知らないんだよな」


「えっと~? そ~ですね。そんなズケズケ聞くことじゃないと思いましたし?」


「華暖くんは――知りたいか?」


 その目は先ほどの落ち込みが嘘のように生き生きとしていた。


「俺と諭史の間にあった、後ろ暗い過去について、知りたいか?」


 ネガティブな前置きをしながらも、その顔には”是非とも聞いてくれ”と書いてあった。


 僕の座る前に顔を乗り出して、華暖に詰め寄る先輩、少し引き気味な華暖。けれど少し斜め上に視線を上げ、少し考えるそぶりを見せた後「ハ~イ、聞きたいです!」と元気に返事をした。


 光の速さで先輩が席を立ち、華暖の座っていた端っこの位置に移動した。


 そのため僕と華暖は横に一つずれ、先輩・華暖・僕・一岳の順番に入れ替わることになる。


 隣になった一岳は僕に気付き、ニヤッと笑って肩を寄せてくる。


「おう、諭史ぃ、お前はどの台が好きだ?」


「いや僕も打ってる前提で話さないでというか、一岳が台の話するのは自由だしそれについてはなにも言わないけど、ジョッキも台も深堀すると問題だから話し方には気を付け……」


「相変わらずしちめんどくせえな? なんでもいいわ、とりま諭史もお疲れな」


「あ、うん、お疲れ」


 そう言って一岳はジョッキを掲げたので、僕もジョッキを打ち合わせて軽くあおる。


「カーッ! 一仕事終えた後の一杯はうめぇなぁ!!」


「親父臭いな、さっきまでは仕事?」


「いんや? 夕方まで寝てた」


「なんだよ、それじゃ一仕事してないじゃないか」


「したわ! お前に頭下げんのに一応キンチョ~くらいしたんだからよ?」


「ああ、そういう……」


「あのな? お前はその程度かもしれねぇがな、こっちは……」


「ああ、言わなくても分かるよ。こっちも似たようなことがあったんだ」


「そうなのか? ま、そいつぁお疲れさん」


 そう言って一岳が拳を向けるので、打ち付けあう。


 ……うん、いいんだ、こういうので。ダラダラと口にする必要はない、こういう形で着地できたのなら。


 こういった雰囲気の中で飲み物を口にしてると、確かにお互い少しは大人になれたのかな、なんて思う。


「にしても一岳、頭思い切ってるな」


 一岳の草も生えない頭をペタペタ触る。少し脂っぽくて後悔した。


「おう、男らしくていいだろ?」


 際立って目立つこともない僕と比べれば、いくらかはそうだろう。


「へっへ、したらお前もやってみるか? いい理容師紹介してやるぜ」


「やらないよ、ってその頭にするんだったらバリカンでいいじゃないか」


「お前、いまの発言は全スキンヘッドと全理容師を敵に回すぞ?」


 理容師はともかくとして、全スキンヘッドを敵に回すというのは、大変恐ろしい絵面なので発言には気を付けよう、うん。髪型に貴賤はない。



 それから一岳と僕はこの五年にあったお互いのことを話した。


 一岳は中学卒業後に公立高校に入学するも、ケンカやその他諸々が重なって退学。


 兄のツテで仕事をしたのを口切りに金を稼ぐことに熱中、それを元手に色々なギャンブルで勝ったり負けたり(大体の話がこれだった)


 顔に少しばかり傷がついているのは、一度大勝ちした時に相手に踏み倒されそうになってケンカした際についたらしい。……というのも、お兄さんがその話を横で聞きながら「随分都合よく語るじゃねぇか」とか言っていたから、どこまで本当か分からない。


 にしても一岳本人はそれを喜々として喋るので、僕から茶を濁してやろうとは思わなかった。他人がどう思おうが自分が楽しければいい、それを体現している一岳の姿は少し羨ましくもあった。


「で、諭史はあん時の会長と付き合ってて、いまも続いてるってか。……飽きねぇか?」


「いや飽きる・飽きないとかの問題じゃないだろ」


「いや、飽きるっしょ。お前頭いいんだし? 地味な顔だけど上手く言いまわせば、いくらか女釣れんべ?」


「いやいや、そんなことしないし出来ないから」


「え、ウ、ウッソ~!? じゃぁなに、アタシのことはアソビだったの~?」


 なぜか華暖が強引に話に割り込んでくる。

 けど疲れた華暖の顔色を見て、言わんとしたことが分かった。傑先輩の話がつまらなくて助けて欲しいのだ。


「……華暖、助けて欲しいのに僕を貶めるフリはどうかと思うよ?」


「マジお願い、これ以上は興味なくてキツイって……」


「どうしたんだい華暖くん? まだ話は十七パーセントしか終わっていないよ?」


「ヒィッ!?」


 華暖の横からぬうっと顔を出してそう告げる傑先輩。目がヤバいって……


 僕はなにか方向転換ができないか、頭を巡らせて……そうだ!


「そ、そうだ。先輩とデートに行ってた女の人って、中学時代のこと知ってるんですよね!?」


「そうだが?」


「だったら写メとかないんですか、僕の知ってる人かもしれませんし!」


「ハハ……」


 なんだよ、華暖ならめちゃくちゃノってくる話題だと思ったのに妙に淡白だ。


 傑さんは少し考えた様子を見せたが、スマホを取り出した。どうやら意外にも抵抗なく見せてくれるらしい。華暖を不幸から引っ張り上げるための無理くり提案だったけど、見せてくれるってなら否が応でも僕の好奇心は高まる。


 そして先輩が写メを表示させた、スマホを寄越してくる。


 それを見て僕は目が点になった。だってそこに映っていたのは……


 ――なぜか頭にうずまきの芽を生やした、ぎこちない笑みを浮かべたエーコがいた。


「はああああっ!?」


 僕の反応に華暖はたまらず声を上げて笑い出す。


「先輩、これ本当ですか!?」


 先輩はテーブルに肘を乗せて頬を掻きながら、拗ねたようにソッポを向きながらも、コクンと頷いた。

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