7-4 物哀しい月明り
先ほど舞い上がっていた気持ちが嘘のようだった。
閉店の二十一時が近づいて人が少なくなったにも関わらず、投光器はショッピングモールの外壁を照射し続けていた。
この周辺の地域は決して賑やかではなく、モールが明かりを消したのなら、この辺りは一変して住宅街より暗くなってしまうだろう。
先ほどの喫茶店も私たちが出た後に明かりを落とし、微かに聞こえていたジャズの有線放送も聞こえなくなった。次々とショップから賑やかさが無くなっていく様は、明確な終わりを感じさせる。
傑さんは私から自分のバッグを受け取った後、お互いに口を噤みながら出口へと向かった。バスの停留所と数台のタクシーが止まっている路地を横に逸れ、屋根と小さなベンチがある数台ある休憩所がある。
刈り込まれた芝生が月明かりに照らされて薄白く輝き、植え込みの草木が風に揺られ、囁くようにざわめいた。
彼はベンチに向かって歩を進めていくが、気の逸りを抑えられず、道半ばで声をかける。
「傑さん」
風で髪を横に流し、不思議そうな顔で傑さんが振り向く。
「私……あなたの恋人に、なれませんか?」
少しだけ彼の目が見開かれた。
心は物哀しい気持ちと、やるせない怒りを抱えている。
けれど、一つ彼の表情に変化を与えたことが、少しばかりの慰めになった気がした。
「私たち、結構いい関係だと思うんです」
自分の口元に浮かぶそれは、作り笑いか自嘲なのか分からなかった。
「傑さん、馬鹿だけど、優しいし、なんだかんだで私のこと見てくれてるし」
いまも私の器から、絶え間なく感情が溢れ続けている。
「少し意地悪なところはちょっとイヤですけど、心からイヤってわけじゃないんです」
その溢れた一滴でも彼に触れられるといい、と願いながら。
「転勤のこと、イヤなんて言ってごめんなさい。私にそんなこと言う権利、ないですよね」
彼はなにか言葉を絞り出そうとしていたが、口開く前に言葉を重ねる。
「でも、もし私の自惚れじゃかったら、その……傑さんも私のこと少なからず、イヤじゃない、というか……」
いまアクセルを踏まないと、後悔してしまう気がしたから。
「だから、もし傑さんも同じ気持ちでさえいてくれるなら。私、離れ離れになっても耐えられると思うんです」
だから私は自分勝手に、自分の望みを押し付ける。それが少しでも好転することを信じて。
傑さんは俯き、私の言葉を反芻しているようだった。
辺りには沈黙の音がうるさいくらいに鳴り響く。そして私の胸中には対極の疑問が流れ込んできた。
……本当にそうなの?
私は自分で口にしたことが、実現不可能な気がした。
もし遠距離で彼と交際を続けたとして、すぐに会えない、見えない不安を抱え続けることになる。
それは優佳さんの心を折らせた五年間と同じなのではないか?
纏場と近くにいるのに、彼の心が本当に自分に向いているのか、抱え続けた不安。
優佳さんでさえ、それに耐えられなかった。
なのに、私がそれに耐えられるのだろうか?
しかも優佳さんより条件が不利だ、物理的な距離まである。
それを私は、いまこの場で彼を繋ぎ止めるために、無茶な約束を押し付けている。
この選択は、本当に正しいのだろうか……?
「はは。私、重い女なのバレちゃいましたね……」
沈黙が耐えられず、私自身でその場を混ぜっかえす。
繋ぎ止めるはずの言葉だったはずなのに、自分の口にした言葉の大きさに恐怖し始めている。
「あ、一つ言わせてもらえば変にカッコつけるの止めて欲しいです! そんなことをしなくったって傑さんは……」
「映子」
「前にも言ってましたよね? 傑さん自分の容姿に自信あるって! だから私が不安なのは女の人が寄ってきても、それを躱し……」
自分でもなにを言っているのか分からない。
でも言葉は止まらなかった。もうすべてが失言だったような気がして、それに言い訳で塗りつぶしたくって……
「もう少し、考えさせてほしい」
「いつまで、待てばいいんですか!」
ああ、終わった。
私の心にいる虫にハンドルを奪われてしまった。
あとは野となれ、山となれ――
「前だってそうだった! 迷うことないでしょ? 首を縦に振ってくれたっていいじゃない!」
「すまない」
「あなたと一緒にいて楽しかった、傑さんは違ったの? 体だって預けてもいいと思った。ううん、いなくなっちゃう前だけでもいい!」
「女の子がそんなことを言うもんじゃない」
彼が冷静でいることがまた私の神経を逆撫でる。こういった場に慣れてるとでも言いたいのだろうか?
「そんなこと言えるくらいなら、前向きに捉えてよ! 男だったらそう言われて喜んでよっ!」
その辺の男と同じになって欲しい。欲望のままに私を必要としてくれる人になって欲しい。
「どうしてここ一番であなたは馬鹿になってくれないの? 私みたいなどうしようもない女、適当に相手してくれればいいじゃない……」
「そんなこと、出来るか」
傑さんの表情は見えない、既に視界が定まっていない。
「いいから、ウソをついてよ……」
「映子に、嘘はつきたくない」
「馬鹿!」
私はそれだけ言い放って、彼に背を向ける。
「もう知らない! 関西でも、海外でも言っちゃえばいいじゃない!」
「映子!」
呼び止められた声に、私はなにかに期待し、聞き耳を立てる。
「……あとで電話する」
私は一笑に付して、その場を後にする。
いまの私にはそうするしかない。
これ以上みっともない姿を、彼の前に晒していたくはないから……
今度は、彼が腕を引き止めてくれることはなかった。
---
モール内すべてのショップが営業を終えた。
あれだけの賑やかさを見せた建物も、灯りと音を失ってしまえばただのコンクリートの塊だった。
けれど時計が一回りする頃には、また親子連れがやってきて賑やかさを取り戻すだろう。
二階堂傑は一人、休憩所の屋根の下に入りその建物を眺めていた。
そして月明かりを一身に浴び青白く佇む姿を見て、小学生の頃に教科書に出てきた、石創りのライオンの話を思い出した。
あまり詳しくは覚えていなかったが、大理石かなにかで作られたライオンの像の話だ。そのライオンに跨ると願いが叶うという触れ込みで、利己的な願いを胸にした人々が代わる代わるやってきて、その願いを聞いているうちにライオンの体が底冷えにされてしまう話だ。
なぜ、そんな話を思い出したのだろうか。
少なくとも自分はライオンではない。なぜなら女一人の願いも叶えることは出来ないのだから。
いや毛布を持ってきた子供を、追い払ってすらいるのだから話にならない。一人苦笑を浮かべ下らない妄想に耽っていると、こちらに向かってくる一つの影があった。
「よォ」
「……なにしに来た」
「ナニって……なんかフられてる男がいっからね? どんな情けないツラしてんのかな~って見たら、こりゃビックリ知り合いじゃんって!」
現れた男は、さも面白そうに二階堂を覗き見ていたことを告げる。
相変わらずいつ見ても気持ちの下がる、騒がしい顔だ。
「で、何の用だ?」
「なぁ~に冷たいことイってんだよ。凹んでんだろうなって、オレっちが心配してんのにその態度?」
「だったら放っておいてくれないか」
「ダメだ、今日は放っておかねえ。それに付き合ってもらいてぇトコがあんだよ」
「……好きにしろ、車は?」
「んなもん無ぇよ、オレっちまだ免許取れないし」
「意外だな、お前なら無くても運転できると思ったんだがな」
「出来るよ、けどいま車は無い。そんだけだ」
そう言って牛木一岳は一人で歩を進める。
向かう方角を見て二階堂は悟る「ああ、いつものとこか」と。
しかし二階堂に拒否権はない、なにも言わず一岳の後についていくだけだった。
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