7章 無駄なんか、ひとつもない

7-1 いまだから、できること


 え~こ

「びっくり、帰ってきたら優佳さんが家の前で泣いてた」


 カグラ

『なにそれ!? どゆこと?』


 え~こ

「レイカさんと大きいケンカをしたみたい」


 カグラ

『……時間の問題だったよね。ユ~カさん大丈夫なの?』


 え~こ

「熱が少しあったからすぐ休ませた。一応レイカさんに連絡したら、悪いけどしばらく預かって欲しいって」


 カグラ

『なにそれ。ケンカしたって、薄情過ぎない?』


 え~こ

「そうでもないかも。優佳さん、結構すごかったから」


 カグラ

『すごい?』


 え~こ

「うん、ちょっと普通じゃないくらい泣いてた」


 カグラ

『そっか。なんかあったら言ってよ、協力できることはするからさ』


 え~こ

「ありがと。その時は頼らせてもらうわね」



 私はそれだけ送って、華暖とのLINEを閉じる。


 と、いうことで今度は私の番みたいね。



 床に敷いた布団から、ベッドで寝息を立てる優佳さんに視線を向ける。いまは穏やかな寝息を立てているが、昨夜は大変だった。


 昨夜、華暖とファミレスで別れた後、家の前にいたのは焦燥し切った優佳さんだった。ボロボロに泣き腫らし、声もガラガラに枯らした状態で。


 汗をすごい掻いていたし風呂に入ることを勧めたけれど、体調が悪いと言うので熱を測ってみたら三十八度超え。


 すぐにタオルで優佳さんの体を拭き、パジャマを貸してそのまま私のベッドに寝かせた。


 なぜ、優佳さんが私の家の前で、泣き腫らしていたのか事情を聴きたかったが、さすがにこんな状態では気が引けた。


 けれど、おおよそはこの一言で十分だった。


「レイカと、ケンカしちゃったあ……」


 それだけ言った後、眠りについた。


 走ってきたからなのか、苦しそうに呼吸していたのが気になったが、とりあえずいまは寝せておこうと思った。


 幸い、自宅には私しかいない。


 お父さんは現場仕事で長期出張。お母さんはそれに合わせて実家に帰り、絵里は新聞部の合宿。ということで家には私一人だ。


 最初はだいぶ寝苦しそうにしていたが、寝ついて一時間後には少し落ち着いたようだった。


 優佳さんがこの家に来るのは三年ぶりで、過去に一度だけ私の家に泊まりに来たことがある。


 それは中学三年の夏休み、受験勉強を見てもらう名目で呼んだのだけれど、結局生徒会の話や、お互いの近況を話し、最後にはバラエティ番組を見て終わった。


 私も正直そんなことになるだろうなとは思っていた。……一応、次の日は朝から勉強をみてもらったけれど。


 それでも優佳さんと過ごす時間は私にとって大切な時間だ。本当にわたしのお姉さんになって欲しいと、いまでも思っている。


 私は布団から出て、優佳さんの額に手を当てる。まだ熱は少しありそうだ。


 部屋を後にし、一階のリビングに降りる。

 テレビをつけると今日は一日雨の予報だった。


 優佳さんを起こすまいとカーテンは開かなったけど、合間から差し込む光は鈍色だったので予想はしてた。


 以前のようにこれが楽しいお泊り会なら、外に出れないことを理由に映画鑑賞会でもするのだけど、そんな空気じゃない。


 リビングから見える道路沿いの窓を見やると、いろとりどりの傘が通り過ぎて行った。


 赤、緑、ピンク、黄色……そしてまた赤。

 その五人組は声からして夏休み中の小学生だろう。きゃいきゃい言いながら長靴を鳴らす。


 最後の赤からは「待ってぇ~」と湿った声を出し「早く来いよ」と何色かが答えた。


 このあと赤は待ってくれなかったことに怒って、泣いてしまうだろうか? 泣いたら待てなかった四人組は謝るだろうか、それとも遅いのが悪いと文句を言うだろうか。


 でもどちらにしたって彼らは仲直りできる。自発的にしたって、先生や親に怒られてだって、どちらでもいい。


 すぐに謝って非を認められるのは、子供社会のいいところだ。


 じゃあ大人はどうなんだろう?

 大人だってすぐに謝れば、仲直りできるんじゃないだろうか?


 なぜそうしないの? 自分が正しいから? 謝ると恥をかくから? 相手の下に立ちたくないから?


 ……どうしても、こういうことばかり考えてしまう。


 でも、もう大丈夫だ。

 きっと纏場は、本当に許してくれている。


 だからこんなことで、心を濁らせることはない。


 すぐに謝らなかったことで、私はこう言った機微に敏感になってしまった。他のみんなはきっと、こんな深く考えたりはしないのだろう。


 だからこれは呪いみたいなものだ。もうあんなことをしないようにするために必要なもの。


 それを抱えることで私が少しイヤな思いをしても、もう人に迷惑をかけないためのものだと思えば、いくらかマシなものに感じられる。


 私はそうやって長らく雨の音に耳を澄ませていたが、テレビの表示する10:00と合わせて鳴った音で我に返った。


 ……優佳さんに朝食を用意しよう。


 そう思い立った私は”おかゆ”を検索し、一番上に表示されたレシピ通りに作業を始める。


 研いだお米と水を鍋に入れ、醤油と塩を入れて蒸らす。

 蒸らしてる間に冷蔵庫を覗くと、ほうれん草が使えそうだったので食べやすい大きさまで千切り、頃合いを見て火にかける。


 もうちょっと茹った頃に、卵を入れればそれなりの物になるだろう。


 思えば私がなにか優佳さんに作るのなんて初めてだ。そう考えると自然に口元に笑みが浮かぶ。


 それにしても優佳さんはなぜ私の家に来たのだろう? きっと私以外にも頼れる人はいただろうに。


 ……私を一番頼りたい人だと思ってくれたのなら、嬉しい。


 優佳さんが辛い思いをしているのに、こんなことを考える私は最低だと思う。

 けれど、やっぱり憧れている先輩に頼られて、嬉しいと思うのは仕方ないじゃない。


 ごめんなさい、優佳さん。

 火にかけていた鍋の蓋を開け、味見をしてみる。うん、これなら申し分ない。


 二人分の茶碗に盛り付けをし、冷蔵庫に鮮やかな黄色の沢庵があったので、それらをお盆にのせて二階へ上がっていく。


 部屋に戻ると優佳さんはまだ目を閉じていた。前回泊まりに来たときも優佳さんは起きてから長いこと微睡んでいた。朝にはあまり強くないのだろう、ましてや今日は熱だってある。


 私は仕方ないなあ、と心の中で呟いて勉強机にお盆を避難させる。


 カーテンの合間から外の様子を窺うと、雨はもう長いこと降っているらしく、道路の端にいくつもの水たまりができていた。


 それと少し離れたところに先ほどの小学生の一団が見えた。どうやら少し遅れて歩いていた赤傘の子は、なにごともなく仲間に迎えられたらしい。


 赤、緑、ピンク、黄色……そして赤。


 空も住宅地も曇天の灰色に染まる世界の中、パステルな輝きを見せる傘たちはアジサイのような彩りを見せていた。


「……いい、におい」


 その声に振り返ると、薄っすら目を開いた優佳さんがこちらを眺めていた。


「おはようございます、気分はどうですか?」


「う~ん、絶好調! と言いたいけれど、さすがに少し体がだるいかな……」


 そう言って体を起こそうとしたので「無理しなくて大丈夫ですよ」と静止させたが「大丈夫」と、上体を起こした。


「迷惑……かけちゃったね」


 少し掠れた声で、申し訳なさそうにぽつりと言う。


「そんなことないです。頼ってくれて嬉しいくらいです」


「ふふ、ありがと。助かっちゃった」


 そう言って惜しみない笑顔をみせる優佳さん。


 けれどその笑顔に覇気は無く、灯りの点いてないせいか、いつもより青白く見えてしまう。


「電気、付けても大丈夫ですか?」


「うん、もちろん」


 灯りを点けても優佳さんの顔は、やはり血色がよくなかった。


「ちょっと失礼します」


 優佳さんの額に手を当てて熱を測ってみる。


「きゃっ」


「……変な声出さないでください」


「だってエーコちゃん、強引なんだもん」


「まだ、少し熱がありそうですね」


 私は優佳さんから体を離し、勉強机の椅子に腰かける。


「おかゆ。作ったんですけど食べられそうですか?」


「……ごめん、ちょっと食欲ないかも」


 断られた……少しばかり気持ちが落ちてしまう。けれど口からは自然と次の言葉が飛び出した。


「でも薬を飲むためには、少しでも食べないと」


「そっか……そうだよね、そしたら少しもらおうかな?」


 私の言葉で優佳さんが意見を変えてくれた。そんな小さなことで嬉しくなる私は子供か――


「ふふ、そしたらエーコちゃんにあ~んってしてもらおうかな」


「……しょうがないですねえ、優佳さんは甘えん坊なんですから」


「ふふ~病人には優しくしてくれないと~」


 私は弾む心を抑えることなく、椅子をベッドまで寄せ優佳さんの口元にれんげでおかゆを運ぶ。


 優佳さんは一口目を運ぶ前に、私と目を合わせてクスリと笑い、小さい口を開いておかゆをほおばった。


 目を瞑ってもぐもぐと咀嚼する優佳さん、かわいい。


 一言「おいしい!」をいただいてから「まだありますから焦らないでください」と、ママゴトをするお母さん役みたいなことを言い、二口目を運んであげる。


 れんげが近くに寄ってくると、さも当然のように口を開ける優佳さん。まるで雛鳥みたい。


 そうして数回その作業を繰り返すと、あっという間に茶碗が空っぽになってしまった。


「優佳さん、しっかり食べられるじゃないですか」


「そうだね。おいしいのでうっかり全部食べてしまいました」


 そう言う優佳さんは、気持ち顔色が良くなったように見える。


 と、同時に私は優佳さんのボサボサになっている頭が気になってきた。


 昨日、体は拭いてあげたもののシャワーを浴びれたわけではない。

 おまけに優佳さんはクセっ毛が強いので、寝ぐせもあいまって頭はだいぶバクハツ気味だった。


 私は手鏡の前に置いてある二つ折りの櫛を取り、優佳さんの髪をといてあげる。


「髪、失礼しますね」


「ふふっ、どうしたの急に」


「いえ、気になっちゃいまして」


「わたし、いつも寝ぐせひどいから」


「特にこの時期は、湿気もひどいですからね」


 私は優佳さんの広がってしまった髪を、引っ張りすぎないように、できるだけ優しく櫛をあてていく。


「そうなんだよね~もういっそのことバッサリ切っちゃおっかな」


「昔はもうちょっと短かったですもんね」


「うん、でも短くてもクセが治るわけじゃないから、それはそれで大変なんだけどね」


「私は、優佳さんの長い髪も好きですよ」


「そう? ありがと。褒められちゃった」


 いまバッサリ髪を切られてしまうと、違うことと繋がってしまいそうだ。やめて欲しい。


 でも長い髪も好きなのは本当、ウソはついていない。


 髪をあらかた櫛で通すとモサモサだった頭は、いつもの大きさに戻っていた。


 地毛で金色の綺麗な優佳さんの髪。


 いつでも目立っていて、存在感があって、鈴のなるような声でコロコロ笑う、とても頼れる先輩。


 けれど髪をときながら考えていたのは、優佳さんの頭ってこんなに小さかったんだ、ということだ。


 大きい存在感に反して小さい存在。


 いつもは放っておいても元気な姿を見せてくれるが、いまのように病気で少し弱った姿を見ていると、儚くて守ってあげなければいけないような存在に思えた。


 そんな大先輩が涙を流してしまうような辛いことがあって、私を頼って家まで来てくれた。それはとても誇らしいことのように思えた。


 私は優佳さんの力になりたい――改めてそう思った。


「優佳さん」


「なあに?」


「話したくなければ大丈夫です。でも、もし少しでも力になれるならなにがあったか、教えてくれますか?」


 正面を見ながら口にすると少し照れクサくなってしまいそうだったので、優佳さんの頭に向かって話しかける。


 優佳さんは、話してくれるだろうか。


 こうやって人に一歩を踏み出すとき、いつも自信が無くなる。そして断られたときが一番怖い。


 だって私の中には癇癪を起す虫が住んでいるから。


 それが暴れ出さないか怖くて仕方がない。

 でも、その虫が住んでいたとしても、相手の心に近寄っていくことを止められない。


 だってそれ以上に人と繋がっていたいと思ってしまうから。そんな寂しがり屋の心を持ち合わせていることに、自分自身で気付けるくらいには、大人になったつもり。


 それが現時点での林映子という人間だった。


「もちろん」


 そう言って優佳さんは、私の体を抱きしめる。


「こんなくだらないこと聞いてくれるのは、エーコちゃんだけだと思うから」


 本当だったら私が安心させるために、手を伸ばさなきゃいけないのに。

 優佳さんは自分から私に抱きついてきた。


「エーコちゃんなら、信じられるから」


 私は……少しずつ自分が紐解かれて行くような気がした。



 大昔に生徒会室であった出来事。

 それは私が纏場に癇癪を起こして傷つけ、胸に抱える不快感を罪悪感と気付いてもいなかった日。


 元気のない私に気付いて優佳さんが明るく振る舞い、自分の悩みだけを話して、気が楽になったことにお礼なんかを言った日。


 そして自分の言った無責任な言葉。


『私には、その、重すぎる話です……それに会長に私がなにか妙案を出せることも……そのできないと思います』


 それに対して優佳さんはなんて言っただろうか?


『私はね、一人で抱え込んでるのがちょっと重くなっちゃったから、エーコちゃんにグチって軽くしちゃおうと思っただけよ?』


 いまならわかる、優佳さんのあの時の発言はウソだ。

 だってそれが原因で纏場に理解してもらうのをあきらめ、単身でレイカさんの国まで出向くことになるのだ。


 優佳さんはあの時点で纏場の説得が八方塞がりだったんだ。

 だからこそ年下である私の意見をも求めた。


 けれど私が答えられないことに肩を落とすことも無く、笑顔で私のフォローさえしてくれた。



 なんて……大きい人。

 そしていま優佳さんは、私を頼ってくれている。


 今度こそ私はその期待に応えられるだろうか? いや、応えなければいけない。


 でなければ優佳さんと出会ってからの私は、なにも成長していないのも同じだ。


 私は覚悟を新たに優佳さんの頭に手を回す。


「優佳さん……の髪、好きです」


 抱えられた頭の主は、なにも言わない。


「優佳さんの長い髪、好きです」


 私はその小さくて、大きい存在を、壊さないように優しく触れる。


「でも……」


 優佳さんなら、なんでも受け入れる大きい人だ。


 そんな人に私はなりたい。


「もし、バッサリ切りたいのであればそれもいいと思います。私はそうしてしまっても、絶対にあなたの味方ですから」


「……うん、ありがとぉ」


 そうして優佳さんは、またボロボロになってしまった。


「もちろん、そんなことさせませんけどね」


「うん、うんっ……」


 それは私が五年前にできなかった選択。

 あのときの私は、自分の感情に振り回され自分のことしか考えられなかった。


 けれどいまは違う。

 相談に乗ってあげられないことが原因で、孤独な思いをさせたりはしない。


 そして私は先日聞いた、あの言葉をまた思い出す。


『馬鹿言うなっ! 親友だから間違った選択をしようとする、アンタを止めてるんじゃないの!』


 どうやら私はあの言葉が好きらしい。


 私はこっそりと、そいつに感謝をした。 

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